「おっぱいどう」クスッ!子どもの頭の柔らかさに乾杯( ^^) _U~~ | love-junのブログ

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聖書、陸上、防災、教育、女性問題などについて書いています。

おやつの時間に子どもたちとおしゃべりしていた。笑いながらいきなり「おっぱいどう」の言葉が出て来た。

何処に遊びに行ったことがあるの話だったのでクスッと笑って北海道と分かった。

今まで73年間生きて来て北海道をおっぱいどうと言ったのはその子が初めて……

おっぱい、お尻は得意だが、子どもたちと一緒にいると楽しくなることがある。いつもは全然言うことを聞いてくれない。

昨日は雨が降っていて外遊びが出来なかったので、何をして遊ぼうと考えていたのだろう。

今まで一階と二階を走り回っていた子どもたちが、二階に上がったら、連絡帳を出して宿題をするのが定着してきた。

おやつの後も、本を読んだり座って遊ぶことが出来るようになった。中には全然落ち着かない子どももいるが。

少しずつ成長し、私が嫌がることもしなくなった。アレッと言うほど子どもたちが私に興味を示した。

名前から判断する人生論を読んでいた子どもが「先生僕は頑張ったら自分の思い通りの人生が出来るって」と言ってきた。

「すごい、そしたら頑張ればよかとねー」と笑った。報告し終わると「先生のも占ってあげる……」。ところが報告がない。

「先生のはどうだった?」と聞いてみた。すると「載ってなかった」と答えた。

昔、昔、そういうことを占う人がいて母が占ったことがあった。私が小学生の頃だったと思う。

それがあたっているかどうかは知らないが、あまり出世しなかったこと、平凡だったことははっきりしている。

小学生の時に聞いたのは「結婚したら、運気が落ちる」ということだった。

運なんてその人のやる気の問題だと思っていたが、やる気があってもうまくいかなかったのであたっているかも?

しかし、子どもたちに囲まれてここ十年近く働くことが出来るというのは、幸せ者であると思う。

好きな時にすきなように行動し、ひとりでフラフラ出来ることも感謝かもしれない。

私を縛る人はいないから勝手な行動が出来る。会社の言うことも聞かないから飛ばされる。

「そんな働きはおかしい」と抗議するからだ。もっと働け、扶養は抜かないの綱引きだからだ。

これ以上働くことはできない、とずっと言っているのに、まだ働いてくれと電話がかかる。

そしてとうとう。先生の数の多い学童に回されることになってしまった。その他にも理由があるのかもしれない。

昨日から唐津くんちがある予定だつたが、中止になったとメールが入った。何もかも中止。

唐津くんちは私たちには直接関係なかったが(ヤマを弾かないということでは)学校は午前中で終わり。

母から着物を着せてもらってなにがしかのこずかいをもらって人込みの中に繰り出す。

出店もいっぱい出て、お化け屋敷なんかもあって楽しみにしていた。

中学は陸上部だったので、他の地域の友達が料理を食べにやってきた。母はにこにこして作っていた。

今は多分料理も作っていないだろう。私もくんちだからと言って唐津に行くことはなくった。

親が亡くなってしまうと、兄弟姉妹の付き合いもなくなってしまう。何となく悲しい。今年のお正月はどうするのかしら( ^^) _U~~