転勤は私事としては大変だけど、未だ仕事があるだけましの方だと考える。
収入も随分増えたということは、頑張っている証拠。又、1から出直しと思ったらおっくうになるけれど。
何処へ行ってもあまり変わり映えはしないけど、新たな出会いがあることは確かである。
家から近くなるのは嬉しい。リーダーがベテランみたいで嬉しい。潰されないように心して勤務しよう。
どこに行っても気が合わないのはいるし、これは仕方がない。でもコロナの影響で閉店する店が多いとはなんとも悲しい!
どんな仕事でもする、しないというのにはすごい差があると思う。この歳でと歳の事を出してはいけないが。
70歳を超えるとまず仕事はぐっと減って、福祉関係が残される。保育所も、学童も福祉関係に入る。
いつまで出来るか分からないけど、頑張って見ようと思っている。土曜日勤務が増えそうだ。
大型連休しか休暇が取れないかもしれない。今月は阿波踊りで天草へ、元気シニアで大宰府に紅葉を見に行く予定。
昨日、元気シニアが終わって仲良しで飲みに行ったが、感謝献金の意味が理解できない人がいて困った。
教会では席上献金、月定献金、その他諸々の献金がある。ある意味献金には慣れていると言えるだろう。
しかし、そういう人ばかりではない。すべてお金に換算する人もいる。だからボランティアは出来ない。
何か嬉しい事、感謝なことがあれば献金をする。そして、気持ちを表す。ありがとうの気持ちだ。
それを理解できない人がいる。そういう人とはつきあうことは出来ない。
私もわがままだが、それ以上にわがままな人だ。あまり人のことは考えないようにしたいのだが。
付き合っている人を見て、その人がどんな人なのか判断できると良く言われる。
そしてそんな付き合いが、自分との関係がスムーズにいかない人とは付き合わなくてもいい。
遊び仲間だから、どうでもいいが、これが仕事仲間であれば中々難しくなる。仕事仲間でなくてよかったー。
仕事が無くなって家にいる人たちはどんな思いで過ごしているのだろうか?
孫たちの職場でも、人員が少なくなったり(依願退職などで)配置がえりなったり。こればかりは運も関係してくるかもしれない。
このような時代には、今をより良きものにする工夫が必要だろう。それには一人で遊べるかどうかが問われる。
私は、基本一人遊びが出来るのでそういう意味では大丈夫。お金も持っているし……
生活のために働いている人は、仕事が無くなれば死活問題だから大変だ。できるだけ喧嘩しないで楽しく生きたい。
付き合いもほどほどにして八方美人はしない。昨日も自分がしたい事は何かを考えて欲しいと企画部として訴えた。
私が準備することしかしない。自分で考えてこういうことをしてみよう、こういう企画があると自分の頭で考えて欲しい。
昨日、『オカリナ』を一本頂いた。ステキな陶器製。少し拭けるがギターの方が慣れているのでギターの事を考える。
コードが書いてあるので、ギターでも使えるみたい。ギターで簡単に弾けるのに、難しいコードに成っているものもある。
簡単に持ち運びが出来るのでこちらの練習もボチボチ始めたいと思っている( ^^) _U~~