トレーニングを勤務が終わってから行くようにしていると、時間の使い方が見えて来た( ^^) _U~ | love-junのブログ

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昨日は体育館がお休みの事もあって、綿花から綿を取り出す作業を1時間半程した。

新聞紙にくるまった数本と、地植えしている数本を少しずつ袋に入れて行った。

地植えの分はフワッーとしていて真っ白。切ってしまったものはフア間がなく、少し茶色がかっている。

植民地の人々にさせたのは、綿花摘みと砂糖作りだと誰からか聞いたことがある。

ひょっとしたら先日泊まった客からかもしれないが。アメリカ映画には綿摘みのシーンがあって、奴隷がそのことに従事している。

しかし、戦争でめちゃくちゃになった状態では主人公も綿摘みをしなければ食べていけない。

その内に商売を始めて生活が豊かになっていくこれは『風と共に去りぬ』に出てくるシーンである。

綿を袋に詰めながら、花の中から種を取り出しそれを別にして、茶封筒に綿の種と書いて今年用に使おうと思っている。

一時間半もして、ほんの少し綿が取れて、これから糸にし、布にする。大変な作業だ。私はただ綿花から綿を取り出しただけ。

大地主は奴隷を使って綿花を摘ませ、それを集荷場に持って行ったのかしら?

種なんかは、どの段階で取り除かれたのだろうかといろいろ考えてみる。

薩摩から支配を受けていた沖縄も砂糖を作っていた。サーターアンダギーはおいしいが油で揚げてあるので食べるのが怖い。

ドーナツも口にはおいしいが体重計に乗るのが怖いのであまり食べない。

よくよく考えると貧しく生きる人々の方が楽しく生きているような気がする。皆で持ち寄って仲良く食べているような気がする。

豊かな生活とは、心の問題ではないのだろうか?物が豊かでも、お金があっても仲良く生きることが出来ないなら問題だ。

沖縄に三年半住んで、よく食べて飲んでいただきものも多かった。サトウキビも「持って行かんねー」とよくもらったものだ。

綿の花を摘みながら本当の豊かさとは何かを考えるキッカケを掴んだような気がする。

お金だけがすべてではないと分かっていても、もう少しあればとついつい思ってしまう。分け与えることが少なくなっているような気がする。

生活ももう少し小さくして、お金があまりいらない生活をしてみようかなーと思ったりしている。

昨日は孫と晩御飯を食べながらおしゃべりをした。いろんな人とゆっくり話をする時間も大事なのかもしれない。