維摩会で仏教哲学を学んでいます
難しくて付いていけないだろうなあと思っていましたが、
確かに本質は深くて難解なのですが、
これこそ聞熏習(もんくんじゅう)と言うのでしょうか
わからないなりに、沁み込んでくるものがあるものです
因縁とか、因果応報という言葉をよく聞きますが、
仏教では、全ての因は自分の中にある、苦悩は自分の執着の産物であると
また、全ては縁起、関係性の中で成り立ち、ただ単独で成り立ち存在するものはない、
全て実体のないものである、と説きます
目に見える現象だけに頼ると、因果は、苦の結果である果は、
誰々さんが私にこういうことをしたからだ!と、
実に表面的なことで捉えて、人の所為にしたり、恨んだりと、
また更なる悪因縁の種を次々と作り続けてしまいかねません
自分にとって仮に理不尽と思える出来事も、
全ては自らが過去に作り上げてきたものから発していると、実感として理解できれば、
少しでもその種を作らない、正しく果を昇華していこうという生き方に変わっていこうと思えます
自らを省みて、不条理と思えることも呑み込んで、
他者へも愛情が示せたら、真の安寧に近づける、
そのような生き方をしていけたらと思います
人生100年時代と言われていますが、
残りの生を、さあ、しっかりと頑張るぞ!