snowdrops are bloomin'.

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ふつうの顔して生きているバケモノこと私の、漠然とした不安と殺意と希望と殺意と慰め。
寛解したけれど時々現れるもの:うつ、摂食障害(非嘔吐過食症)、パニック障害、不眠

Amebaでブログを始めよう!

死ぬほど忙しくて、ブログにぶちまけたいようなことがいっぱいあったのに、

それすらも出来なかった。私はつくづく自分以外の都合に振り回されることに寛容ではない。

それだけでストレスを溜めてしまう。

 

あーーーーーーーー

疲れた。

 

・突発的な残業が続いて帰宅が遅くなり続けたせいで、

自炊の気力も湧かず寝るのに精いっぱいになっていたら、冷蔵庫の生鮮品が全滅。

食品ロスがエグくて自己嫌悪。お金もったいな。

 

・婦人科にかかろうとしたら、近所のクリニックが予約全滅。

直近で10月中旬です~とかもザラ。そんなんでいいのか日本の医療。

そんな中で簡単に予約取れたクリニックのクチコミを何となく見たら、

あんまりにも酷い有様だったので泣く泣くキャンセルした。

幸い2週間続いた不正出血はおさまりつつある。

このまま生理を迎えて、一旦リセット?になればいいけど……

病院代のためにキャンセルした旅行代と美容院代……家計に入れるのかな……

 

・仕事も家計も火の車。色んなストレスで過食気味。8月頭と比べて2kgくらい太った感じ。

お金がないので、ストゼロとかの安くて強い酒で一回気持ち悪くなってから食べるようにしてる。

頭悪いなw

 

・来月からの値上げラッシュで、テレビに出てたコメンテーターが

「(節約をしながら)新しい豊かさを開拓することもできる」って言ってたけど、

そういう物質や貨幣に頼らない精神的豊かさだの、

小さく暮らすだの、ミニマリストだの、私は本当にうんざりする。

給料は上がらないのにめちゃくちゃな税金引かれて、物が値上がりして、

病院にかかる金と時間もなくて、生理用品は軽減税率の対象にはならなくて。

そのくせ意識高い系の小金持ちとかが「モノに囚われない精神的豊かさが~」

だの言い出したりするのを見せつけられるの本当にウザい。全員くたばれって思う。

私らより全然金持ってる年寄りにバカみたいなクレームとか、

かまってちゃんかまされて自分の業務が長時間停滞して結局残業になって、

家事をする余裕がなくなって食品のロスや余計な出費が発生する。

最悪なんだよ。すべてが。生きてて全然楽しくないよ今。

こんな国にした奴らも全員責任取って腹切ってから、

30、40代くらいの優秀な人にバトンタッチしてください。という気持ち。

選挙に行ったって変わんないよ。どうせ政権が変わっても同じようなことしかしないもん。

くたばれ年寄り!!というのもまたちょっと違う。

でも、敬老の日はそろそろいらないんじゃないかと思う。

昔は年寄りが珍しかったからだろうけど、今はその辺にふつうにいるからね。

私の両親ももう年寄りだよ。

もう嫌だなあ。

 

なんか、ちょっと仕事ずる休みしちゃおうかな。

物凄くしんどいです最近。

宝くじでも買おうかな。

心をズタズタにされることが起きるたびに、

少し意識をズラすクセがついたのはいつからだろう。

 

「まあ、死ぬわけじゃないし」

「最悪、死ぬだけだし」

「まあ、私は最強だから何とかなるだろう」

みたいな。

自分を守るための現実逃避なんだろうな。

うつ寛解したあたりからそうするようになった気がする。

 

でも困るのは、本当に心の底からいなくなりたくなったとき、

それすらも思えなくなってしまうことだった。

今日はその傾向が強い。台風の気圧のせいもあるのかな?

 

死んだら色々と迷惑がかかるから死なないようにはするけど。

そのためのブログだな。

 

減量したら着るものがほとんどサイズが合わなくなっちゃったから

フォーマルスーツも含めて色々買い直ししたりして。

知人が結婚するっていうからご祝儀送ったりして。

なんやかんや出費が嵩んでしまって、お金があっという間になくなった。

人間ドックの再検査にも、変な不正出血の診察も行けない。

親にお金借りようかと思わないでもなかったけど、

絶対いろいろ言われるだけでなく夫にも嫌味言いそうだからやだ。

 

まあ、夫の半分しか稼いでないのに割り勘で生活をするのが、

そもそも無理があった気がするなあ。

行けてなかった新婚旅行に行こうって話が出たけど、

そんなお金どうやって出したらいいんだろう。

 

お金のことで悩みたくなんかなかったけど、

こんなことでは殺されない。

 

転職頑張ろう。

 

私は最強なので。

 

大森靖子『Rude』

 

“Lonliness いつか誰かが社会の闇だと言った僕等は

みんな社会の裏方

僕等がいなきゃ光らない”

 

最近、あまりにも落ちた時はこの曲を聴いている。

大森靖子の歌詞はいつもスタンスが一貫しているからとても心の支えになる。

 

墓場まで持って行かなきゃいけないことがたくさんだけど、

それでもやっぱりどこかで肯定されたいよね。

 

あーあ。明日からまた連勤。台風大丈夫かね。

ただいま絶賛転職活動中。

就活のしの字もしないまま大学を出てしまったので、

全然具合が分からない。手探りでやっている。

今のところはようやく入った職場ではあったけれど、好きじゃなかった。

 

入社当初に同じ部署だった直属の先輩は、最初から当たりが強かった。

仕事も凄く難しいことばっかりで、覚えるので精いっぱいだった。

でも、質問したり教わったりできるのはその先輩だけだったからツラかった。

私は少しADHD的な傾向があるんだけれど、それが業務とも先輩とも死ぬほど相性悪かった。

今はお互い別の部署で働いているけれど、物凄く嫌われてただろうな。

 

同期や先輩後輩は良くも悪くも「田舎の子」という感じの子たちだった。

地元の高校を出て、地元の大学を出て、地元の職場に入り、

やがて地元出身の人と24~6くらいで結婚して、1年以内に妊娠して、

30くらいで実家からの多大な援助を得てどちらかの実家近くに家を建てる。

それが私にはおぞましかった。

実家との折り合いが悪く、出産を望まない私は彼ら・彼女らにとって異端だった。

みんなは実家が裕福だけど、私はそうでもないし。

 

実家にいたらおかしくなりそうだったから、実家暮らしをやめた。

同じ市内で一人暮らしを始めた時には「なんで?実家で暮らした方が楽でお金貯まるのに!」

と、まるで理解されなかった。

そうやってレールから外れた私はいつも軽くバカにされていた。

言葉の端々から「デブでモサくてどうしようもない非モテ女」っていう見下しを食らうたびに、

苛立ちと自己嫌悪で自家中毒を起こしていたものだった。

 

同じ職場に好きな人が出来たことがあったけれど、

やっぱりその人も同じように良いところのお子さんだった。

私は誰かの妻にはなれたとしても母にはなれないし、

寛解はしているけれどメンタルやられてるし、

実家は他の親族と完全に絶縁しているような状態だし、まずもって釣り合いは取れない。

きっとこの先に期待されるような幸せを彼には提供してあげられない。

だからその人に好きだって言ってもらっても、

「元彼に未練があるから」って嘘ついて断っちゃった。

そんな感じのことが別々の人と3回くらいあって、

今後その人たちと一緒に仕事することになったら気まずさに耐えられない、

と不安に思うようになり始めた。

 

そんな矢先に関連会社への出向が決まって今に至る。

関連会社の人たちはみんな親切で優しくて、仕事ができる人たちばっかりで居心地がいい。

ようやく仕事というものが見えてきた実感がある。今更ながら。

 

そんななかで何年かして、職場外の男と結婚した。

夫は年上で、子供はどちらでもいいと言うが、

かなり自由気ままな男なので(私が言うくらいなのだから相当な部類)、

子供は今後も持つことはないだろうという確信があったので結婚した。

(もちろん誰よりも愛しているからというのが一番だよ)

これで堂々と「女」の役割を降りられる!と嬉しくなったものだった。

 

そんな矢先、元会社の人間関係でまたトラブルが発生して。

それがここしばらくの情緒不安定とメンヘラのぶり返しの加速に一役買ってしまった。

 

もう嫌だ。もう何もかも嫌になった。地元ごと切り捨てて逃げたいって思った。

ちくしょう。

ちくしょう。

私だってみんなみたいにうまくのびのびやりたかった。

今の出向先みたいな感じでずっとやってきたかった。

でも出来なかった。

じゃあもう死ぬか転職するかにしよう。でも夫を残して死ねないから転職だな、そしたら。

等と思い、

年齢も年齢なのでいい機会だと思って割り切って、転職活動に手を出している。

同業他社もいいけれど、全然別業種も面白そうだな、なんて色々見ている。

 

でも、ESを書いたり企業研究したりとか、思った通り物凄く面倒くさくて、

それを働きながら、そして家のことをやりながら進めるのは自分にとってはかなり負担で、

アルコールとお菓子についつい手が伸びてしまう。

 

大学生の時にこういうことちゃんとやっておいたら良かったな、とも思わなくもなかったけれど、

正直あの当時は生存が精いっぱいだったから到底無理だったろうな。

だから、「今こうしていることに意味がある」って思っている。

 

年度末のわちゃわちゃした頃に元会社に行って、

「やーーこのたび退職することになりましてん^^どぉもぉ〇〇さんにはほんまお世話になってもーーー」

ってキッショいキッショい声色で笑顔で挨拶回りすることだけがモチベーション。

 

陰険だね。こんなんだからそんなんなんだぞ。

 

明日は仕事したらまたお友達と外食。

いやーーーお菓子にアルコールに外食、マジで太るね。

また非嘔吐過食になったら転職のお金なくなるので本気でここで踏みとどまらないといけない。

 

明日もまだ生きていたい。

今日は、本当は宝塚歌劇団の公演に行くはずだった。

しかし、まさかというか、またかというか、

関係者にコロナ陽性が出たことによる公演中止。

私の推しにとってはキャリアで初めての全国ツアーで、

凄く意気込んでいたのをインタビューで見てたから可哀想でツラかった。

 

悔しいので、一緒に行くはずだった友達と、

行き先だった富山のお寿司を食べに、銀座へ行ってきた。

私たちの大好きな言葉は「食べ放題」なので、食べ放題コースで鬱憤を晴らしに。

 

富山の食材と赤酢を使っているお店を友達が見つけてくれた。

軍艦が昆布で巻いてある。これはこれで風味豊か。

富山といえば白エビ。友達が中トロにハマって何回も食べていた。

ウナギやアナゴも。見てわかる通り、私も友達も非常に大食い。

何を食べても凄く美味しかった。元は取れたかしら?

そして何貫食べたんだろう?お腹いっぱいになって幸せだった。

ああ。それにしても運よく取れたチケットだったから残念だった。

また争奪戦頑張ろう。

 

***

 

私はそもそも、子供の頃から大食いの肥満体だった。

摂食障害にコロっと落ちていったのも、太っていたから疎まれたり、

からかわれたり、暴言をぶつけられた経験から、

自分の容姿が物凄いコンプレックスになったことに起因している。

 

一度摂食障害が寛解してから社会人になって、

そこからストレスや自堕落な生活で入社時から10kg太ってしまった。

体脂肪率なんて38%とかだった。

非嘔吐過食症の全盛期よりも太っていた。それが2年くらい前。

 

そこから適当な食事管理と筋トレをきちんとやるようになって、

最盛期から17kg・18%落として、今に至る。

デブスが痩せてもブスなのは仕方ないのであるが、

前は何だったんだよというくらいナメられにくくなった。

 

摂食障害の経験があるからこそ、普通に食べられることのありがたみが身に染みる。

食事を管理するときも、昔と違って極端な「自分ルール」に縛られることはなくなった。

たまに今日のように確実に凄まじいカロリーオーバーをした日でも、

罪悪感みたいなものは一切なくて、むしろ楽しくて清々しい気分になれるようになった。

 

あと我ながらすげえと思ったのが、摂食障害全盛期にはコンビニとかスーパーとかで、

市販のお菓子の栄養成分表示を何度も見てカロリーを気にしまくっていたんだけど、

その時の記憶がまだ残っていて、今でも大体のカロリーとタンパク質量の見当がつくようになったことw

 

この何度も何kgも増減し続けて、色々病み続けた経験が無駄にならなくてよかったなと思う。

 

どうして寛解したのか考えたら、

1)一旦就職するのに地元に帰る前、現在のストレス源である人間関係を全部断ち切ったこと

2)全てに疲れて「もうどれだけ太ってブスになってもいいや」と食欲を許したこと

3)多忙な仕事のストレスがひどく、鬱ってたら職場が回らなくなるのでとにかく必死になったこと

この3つがとりあえず思い当たるかな。

2)が一番大きかったかも。これが「自分はどんな見た目になっても自分」という、

ある種の自己肯定感の端緒になったんじゃないかなあと今になっては思う。

 

***

 

今日は帰宅して、楽しかったけど歩き過ぎて人込みにもまれて凄く疲れた。

そうしてふと、

「ああ、こうやって帰って来たときに気が張ってたのがプツンと切れて、

お腹いっぱい外食した後でも過食しまくってたな」

という遠い記憶を思い出したのだった。

 

今日は死ぬほど歩いたので夜の筋トレはお休み。

お菓子食べて晩酌しながら転職活動とゲームかな(まだ食う)。

明日も休み取ってあるけれど、一体何しようか。

 

ようやく、このブログを始める少し前の本当にヤバかった時期に比べたら、

だいぶ精神的に安定し始めてきた。

絶対に負けないし殺されないぞっていう気持ちが今は強い。

 

まずは転職だ……

志は低く、欲望は高く。頑張ろう。

アメブロをよく更新していたのは、今から10年も前のことだった。

 

当時私は大学生で、都内に一人暮らしだった。

とあることがいくつか重なって、完全に心身共にバグってしまった。

(客観的に考えられるうちに、この“とあること”達のことも書いておきたいと思っている)

 

毎日毎秒死にたくて、やがて過食や自傷が止まらなくなって、

そんな事態が恐ろしくなって、ネットに助けを求めたのだった。

アメブロもその一環で始めたのだった。

 

今のアメブロから見つけられなかったけど、

コミュニティ(だっけ?)ってまだあるのかな?

「非嘔吐過食症の人あつまれ」、「邦楽ロックが好きな人」みたいな、

同じ境遇の人とか、共通の趣味を持ったブロガーが集まって、

意見交換をしたり、苦しみを吐き出し合ったりできる場だった。


当時の私は毎日、鬱と過食に追い立てられていた。

追い立てているのはもちろん自分自身なんだけど、

分かっていたってどうにも制御が出来なかった。

処方薬もだんだん効かなくなるのが本当にツラかった。

そして人間関係もぐちゃぐちゃだった。

 

だから同じ悩みを抱える人たちとの交流とか、

感情の吐き出し合いとかに物凄く救われていた。

同年代が多かったのも気持ちが楽になった要因だったと思う。

 

そんななかで摂食障害を抜け出す最初のきっかけになったのは、

残念なことではあったけれど、その非嘔吐過食症のコミュニティの存在だった。

 

とあるテレビ番組で、母親からの虐待で子供の頃から「あなたは大人になってはダメ」と

厳しい食事制限・行動制限を課されてきた結果、拒食症になって痩せ細りきってしまった外国人女性が来日した回だった。

その方は本当に食べることになるとツラそうで、回転寿司の1貫すら食べきるのがやっとだったのを覚えている。

確か、拒食症の啓発活動もされていたんだったと思う。

 

「ああ、方向性が違うだけで拒食症も過食症も「食」に関してとてもツラくなる病気なんだな」

って心の底から思ったし、彼女のことが凄く可哀想に思えた。

 

そんな時に非嘔吐過食症のコミュニティを何気なく見たら、

番組に言及する書き込みがたくさん新着していた。

 

「この程度でお腹いっぱいとかって言われると侮辱された気分」

「過食が止められない私への当てつけ?」

「何なのこの人。食べ過ぎてツラい人もいるのに」

みたいな書き込みの数々。もっと酷い言葉もあった。

 

確かに、「過食症」を名乗るのに厳密な定義なんてない。

〇kcal以上を摂取したらあなたは過食症です、みたいな基準は存在しない。

 

だから非嘔吐過食症のコミュニティの「過食してしまったものを書き出す」系のトピックにも、

「それは過食に入らなくない?」みたいなごく少量の食べ物を書き込む人も結構いた。

当然それは、本人がとてつもない罪悪感や後悔を感じているから書き込まれたのであって、

「過食しちゃった……マジでデブ……」というその人の気持ちも本気なのだ。

病んでいるから。

 

でも、その何倍も、何千kcalも過食してしまった他の人は、

そうした書き込みを見ると更に追い込まれたりする。

「じゃあ、この人の何倍も食べてしまった自分って一体……」って落ち込むのだ。

ただでさえ体型や体重を非常に気にするようになる病気だからなおさら。

 

その落ち込みが、この番組の放映によって攻撃性に転じてしまったのだろうなと今では思う。

拒食症で人並みに食べられない彼女の姿が、その書き込みをした人たちにとっては

「多量に過食してしまった自分を否定(非難)する存在」に映ったっていう。

被害者意識甚だしいのは分かっているんだけど、

私も拒食から過食に移行しつつある人(標準を遥かに下回る細身体型)の

「食べ過ぎちゃった。太って醜い。死にたい」という書き込みを見て

いい気持ちにはならなかった覚えはあるから、

その人たちの気持ちも全く理解できないわけではなかった。

 

でも、私はいま苦しんでいる人を更に非難するような、

今まで私を追い込んできたような人たちのようなことは、やりたくなかった。

そして、そういうことをするような人たちと同じ場所には、いたくないと思った。

 

なので、何の前触れも発することもないまま、

黙ってコミュニティを抜けて、摂食障害の情報もシャットアウトしたのだった。

 

これが、私の摂食障害脱却を意識し始めた原体験だったなと、今になって思う。

皮肉なかたちではあったけれど、まさかどうしようもなくて縋ったアメブロがきっかけになるとは。

人生わかんないものだよね、本当に。

 

それから色々忙しくなったり、本当に、本当に色んなことがあったりして、

アメブロを離れていたら、いつの間にかIDやらパスワードやらをすっかり忘れて、

ログインが出来なくなってしまったのだった。

 

むかしの私の怨嗟の吐き出しを目にして自分のことのように心配してくれた、

アメブロを通じて知り合ったたくさんの優しい人たち。

 

あなた達がいてくれたから、いま私は死にたいなりにも生きていられますって言いたかった。

伝わることがないにしたってね。

 

そこから仲良くなった人たちとリアルに遊んだりもしたことがあったな。

他のSNSでつながれた人たちとは今も交流があるけど、ほとんどがもう連絡先すら分からない。

思い出せる限りで検索してみたら、まだブログをやっている人もいて嬉しかった。

覚えているか分からないけれど、あなたが生きていて嬉しいよ。

 

検索したらむかしの私のブログが出てきたりするのかな。絶対読み返したくないw

当時関わったみんなが今も元気でいるといいな、と思った今日だった。