むかしのアメブロの思い出。 | snowdrops are bloomin'.

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ふつうの顔して生きているバケモノこと私の、漠然とした不安と殺意と希望と殺意と慰め。
寛解したけれど時々現れるもの:うつ、摂食障害(非嘔吐過食症)、パニック障害、不眠

アメブロをよく更新していたのは、今から10年も前のことだった。

 

当時私は大学生で、都内に一人暮らしだった。

とあることがいくつか重なって、完全に心身共にバグってしまった。

(客観的に考えられるうちに、この“とあること”達のことも書いておきたいと思っている)

 

毎日毎秒死にたくて、やがて過食や自傷が止まらなくなって、

そんな事態が恐ろしくなって、ネットに助けを求めたのだった。

アメブロもその一環で始めたのだった。

 

今のアメブロから見つけられなかったけど、

コミュニティ(だっけ?)ってまだあるのかな?

「非嘔吐過食症の人あつまれ」、「邦楽ロックが好きな人」みたいな、

同じ境遇の人とか、共通の趣味を持ったブロガーが集まって、

意見交換をしたり、苦しみを吐き出し合ったりできる場だった。


当時の私は毎日、鬱と過食に追い立てられていた。

追い立てているのはもちろん自分自身なんだけど、

分かっていたってどうにも制御が出来なかった。

処方薬もだんだん効かなくなるのが本当にツラかった。

そして人間関係もぐちゃぐちゃだった。

 

だから同じ悩みを抱える人たちとの交流とか、

感情の吐き出し合いとかに物凄く救われていた。

同年代が多かったのも気持ちが楽になった要因だったと思う。

 

そんななかで摂食障害を抜け出す最初のきっかけになったのは、

残念なことではあったけれど、その非嘔吐過食症のコミュニティの存在だった。

 

とあるテレビ番組で、母親からの虐待で子供の頃から「あなたは大人になってはダメ」と

厳しい食事制限・行動制限を課されてきた結果、拒食症になって痩せ細りきってしまった外国人女性が来日した回だった。

その方は本当に食べることになるとツラそうで、回転寿司の1貫すら食べきるのがやっとだったのを覚えている。

確か、拒食症の啓発活動もされていたんだったと思う。

 

「ああ、方向性が違うだけで拒食症も過食症も「食」に関してとてもツラくなる病気なんだな」

って心の底から思ったし、彼女のことが凄く可哀想に思えた。

 

そんな時に非嘔吐過食症のコミュニティを何気なく見たら、

番組に言及する書き込みがたくさん新着していた。

 

「この程度でお腹いっぱいとかって言われると侮辱された気分」

「過食が止められない私への当てつけ?」

「何なのこの人。食べ過ぎてツラい人もいるのに」

みたいな書き込みの数々。もっと酷い言葉もあった。

 

確かに、「過食症」を名乗るのに厳密な定義なんてない。

〇kcal以上を摂取したらあなたは過食症です、みたいな基準は存在しない。

 

だから非嘔吐過食症のコミュニティの「過食してしまったものを書き出す」系のトピックにも、

「それは過食に入らなくない?」みたいなごく少量の食べ物を書き込む人も結構いた。

当然それは、本人がとてつもない罪悪感や後悔を感じているから書き込まれたのであって、

「過食しちゃった……マジでデブ……」というその人の気持ちも本気なのだ。

病んでいるから。

 

でも、その何倍も、何千kcalも過食してしまった他の人は、

そうした書き込みを見ると更に追い込まれたりする。

「じゃあ、この人の何倍も食べてしまった自分って一体……」って落ち込むのだ。

ただでさえ体型や体重を非常に気にするようになる病気だからなおさら。

 

その落ち込みが、この番組の放映によって攻撃性に転じてしまったのだろうなと今では思う。

拒食症で人並みに食べられない彼女の姿が、その書き込みをした人たちにとっては

「多量に過食してしまった自分を否定(非難)する存在」に映ったっていう。

被害者意識甚だしいのは分かっているんだけど、

私も拒食から過食に移行しつつある人(標準を遥かに下回る細身体型)の

「食べ過ぎちゃった。太って醜い。死にたい」という書き込みを見て

いい気持ちにはならなかった覚えはあるから、

その人たちの気持ちも全く理解できないわけではなかった。

 

でも、私はいま苦しんでいる人を更に非難するような、

今まで私を追い込んできたような人たちのようなことは、やりたくなかった。

そして、そういうことをするような人たちと同じ場所には、いたくないと思った。

 

なので、何の前触れも発することもないまま、

黙ってコミュニティを抜けて、摂食障害の情報もシャットアウトしたのだった。

 

これが、私の摂食障害脱却を意識し始めた原体験だったなと、今になって思う。

皮肉なかたちではあったけれど、まさかどうしようもなくて縋ったアメブロがきっかけになるとは。

人生わかんないものだよね、本当に。

 

それから色々忙しくなったり、本当に、本当に色んなことがあったりして、

アメブロを離れていたら、いつの間にかIDやらパスワードやらをすっかり忘れて、

ログインが出来なくなってしまったのだった。

 

むかしの私の怨嗟の吐き出しを目にして自分のことのように心配してくれた、

アメブロを通じて知り合ったたくさんの優しい人たち。

 

あなた達がいてくれたから、いま私は死にたいなりにも生きていられますって言いたかった。

伝わることがないにしたってね。

 

そこから仲良くなった人たちとリアルに遊んだりもしたことがあったな。

他のSNSでつながれた人たちとは今も交流があるけど、ほとんどがもう連絡先すら分からない。

思い出せる限りで検索してみたら、まだブログをやっている人もいて嬉しかった。

覚えているか分からないけれど、あなたが生きていて嬉しいよ。

 

検索したらむかしの私のブログが出てきたりするのかな。絶対読み返したくないw

当時関わったみんなが今も元気でいるといいな、と思った今日だった。