「普通に」食べるということ。 | snowdrops are bloomin'.

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ふつうの顔して生きているバケモノこと私の、漠然とした不安と殺意と希望と殺意と慰め。
寛解したけれど時々現れるもの:うつ、摂食障害(非嘔吐過食症)、パニック障害、不眠

今日は、本当は宝塚歌劇団の公演に行くはずだった。

しかし、まさかというか、またかというか、

関係者にコロナ陽性が出たことによる公演中止。

私の推しにとってはキャリアで初めての全国ツアーで、

凄く意気込んでいたのをインタビューで見てたから可哀想でツラかった。

 

悔しいので、一緒に行くはずだった友達と、

行き先だった富山のお寿司を食べに、銀座へ行ってきた。

私たちの大好きな言葉は「食べ放題」なので、食べ放題コースで鬱憤を晴らしに。

 

富山の食材と赤酢を使っているお店を友達が見つけてくれた。

軍艦が昆布で巻いてある。これはこれで風味豊か。

富山といえば白エビ。友達が中トロにハマって何回も食べていた。

ウナギやアナゴも。見てわかる通り、私も友達も非常に大食い。

何を食べても凄く美味しかった。元は取れたかしら?

そして何貫食べたんだろう?お腹いっぱいになって幸せだった。

ああ。それにしても運よく取れたチケットだったから残念だった。

また争奪戦頑張ろう。

 

***

 

私はそもそも、子供の頃から大食いの肥満体だった。

摂食障害にコロっと落ちていったのも、太っていたから疎まれたり、

からかわれたり、暴言をぶつけられた経験から、

自分の容姿が物凄いコンプレックスになったことに起因している。

 

一度摂食障害が寛解してから社会人になって、

そこからストレスや自堕落な生活で入社時から10kg太ってしまった。

体脂肪率なんて38%とかだった。

非嘔吐過食症の全盛期よりも太っていた。それが2年くらい前。

 

そこから適当な食事管理と筋トレをきちんとやるようになって、

最盛期から17kg・18%落として、今に至る。

デブスが痩せてもブスなのは仕方ないのであるが、

前は何だったんだよというくらいナメられにくくなった。

 

摂食障害の経験があるからこそ、普通に食べられることのありがたみが身に染みる。

食事を管理するときも、昔と違って極端な「自分ルール」に縛られることはなくなった。

たまに今日のように確実に凄まじいカロリーオーバーをした日でも、

罪悪感みたいなものは一切なくて、むしろ楽しくて清々しい気分になれるようになった。

 

あと我ながらすげえと思ったのが、摂食障害全盛期にはコンビニとかスーパーとかで、

市販のお菓子の栄養成分表示を何度も見てカロリーを気にしまくっていたんだけど、

その時の記憶がまだ残っていて、今でも大体のカロリーとタンパク質量の見当がつくようになったことw

 

この何度も何kgも増減し続けて、色々病み続けた経験が無駄にならなくてよかったなと思う。

 

どうして寛解したのか考えたら、

1)一旦就職するのに地元に帰る前、現在のストレス源である人間関係を全部断ち切ったこと

2)全てに疲れて「もうどれだけ太ってブスになってもいいや」と食欲を許したこと

3)多忙な仕事のストレスがひどく、鬱ってたら職場が回らなくなるのでとにかく必死になったこと

この3つがとりあえず思い当たるかな。

2)が一番大きかったかも。これが「自分はどんな見た目になっても自分」という、

ある種の自己肯定感の端緒になったんじゃないかなあと今になっては思う。

 

***

 

今日は帰宅して、楽しかったけど歩き過ぎて人込みにもまれて凄く疲れた。

そうしてふと、

「ああ、こうやって帰って来たときに気が張ってたのがプツンと切れて、

お腹いっぱい外食した後でも過食しまくってたな」

という遠い記憶を思い出したのだった。

 

今日は死ぬほど歩いたので夜の筋トレはお休み。

お菓子食べて晩酌しながら転職活動とゲームかな(まだ食う)。

明日も休み取ってあるけれど、一体何しようか。

 

ようやく、このブログを始める少し前の本当にヤバかった時期に比べたら、

だいぶ精神的に安定し始めてきた。

絶対に負けないし殺されないぞっていう気持ちが今は強い。

 

まずは転職だ……

志は低く、欲望は高く。頑張ろう。