一昨日亡くなった先輩 の葬儀&告別式に参列してきました。


眠るように安らかなお顔でした。

長年の闘病生活からようやく解放され、安堵しているようにも見えました。



その先輩の胸元には、ギターを抱えて真剣な表情の堂本剛君が……。


それは前日のお通夜のときに、お母様にお渡ししたKinKi Kidsコンサート「KinKi Kids concert tour J」のパンフレットでした。



素直な女になるために……-Jコンパンフ(剛君)


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導師がお経を読み上げる間は、閉じた状態で祭壇に飾ってくださっていたパンフレット。

表紙の“J”の文字が妙に輝いて見えました。


親族がお別れのお花を手向ける際、葬儀場の方(男性)がアタシのところへ来て、先輩が喜ばれそうなページを選んでほしいと言われました。


「男の目線ではちょっとわからないので……」


なんて、ちょっと冗談めかして。


先輩は剛君のファンだったので、やっぱり見開き両ページに剛君がいたほうがいいかと思い、このページを選びました。

おひげがある剛君は、いつも先輩、嫌がっていたのですが、残念ながら、パンフレットにはおひげなしの写真がなく……。

でも、コンサートのとき(大阪公演に限り)はおひげはなかったので、そしてそれは真っ先に先輩にメールで伝えていたので、今回は(……でも次回はもうないけれど)おひげのある写真で我慢してもらうことにしました。


アタシが、「じゃあ、このページでお願いします」と、葬儀場の方に渡すと、「あ、この方がお好きなんですか! 2人じゃなくて!?」と、なぜか少し驚かれていました。



親族の献花が終わり、アタシもお別れをさせてもらいました。

先輩は、本当に穏やかな表情をしていました。


お通夜のときに、最期を見届けた、いとこの方と少しお話をしたのですが、まったく苦しむことなく、まさに眠るように息を引き取られたんだそうです。


「あれだけずっと苦しい思いをしてきたんだから、最期だけでもそんなふうだったのがせめてもの救い……。そう思わなきゃ不憫でしかたない……」


アタシなんて、たった9年しか先輩のことを知らないけれど、ずっと小さいころからを知っているいとこの方がそう言われるほど、先輩の闘病人生はすさまじいものだったのだと感じました。


そういえば、このいとこの方は、先輩と、8月に行われた堂本光一君のソロコンサートin大阪城ホール に参戦されていました。
アタシは30日夜の部だったのですが、先輩たちは昼の部で、IMPビルの1階で遅めのブランチ をしながら、先輩を待っていました。


ところが、「いとこが早く帰りたいって言うから」と、結局会えずじまいでした。

その“いとこ”だったのです。


半年前に会えなかったいとこの方と、こんな形でお会いすることになるとは……。

実際には、そのいとこの方は「早く帰りたい」なんて言ってなかったようで、なんだかお通夜の席だというのに意気投合してしまいました。
それは、先輩が遺してくれた、じんわりと温かい“笑い”でした。




先輩に花を手向けながら、涙でかすむ目をこらしよく見ると、パンフレットの上部には、金テープがかけられていました。

これも、アタシがお母様にお渡ししたもの。


ホントは、しめやかな場でこんなキラキラした金のテープを出していいものか迷い、前の晩、お母様にパンフレットを渡した後で、1月10日のコンサートに先輩と同行するはずだったAさんへ、コンサートグッズのクリアファイルと一緒にお渡しをしました。


「ホントは1本は○○さん(先輩のこと)にあげるつもりだったので、2本入ってるんですが……」


アタシがそう言って、中身を出さずに袋ごと渡すと、Aさんが、


「それはぜひ、一緒に棺に入れてもらおうよ」


と、お母様のところへスタスタと歩いて行ったのです。

先述のいとこの方がお母様と一緒におられ(というか、お母様は高齢のため、いとこの方がいろいろと世話をされている様子でした)、


「私が責任をもって、パンフレットと一緒に入れさせてもらいますね。○○ちゃん(先輩のこと)、仕事人間だったから、こういうの入れてあげたらホント喜ばれるわ」


と、金テープも預かってくださったのでした。



素直な女になるために……-Jコン金テープ


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これを切って、お渡ししました。





さらに、Aさんから、ある喫茶店の方に連絡をしてあげてほしいと言われました。

先輩がよく通っていたお店で、そこの従業員の1人が光一君のファンということもあり、よくキンキ話で盛り上がり、仲良くされていたというのです。

喫茶店にはよくつれていってもらったけれど、連絡先がわからないから、なんとか調べられないかとのことでした。


よく聞いてみると、どうやら、ちょうど1年前、「endless SHOCK」のチケットを譲っていただいた 方だということが判明!

アタシが親孝行できたのも、先輩のおかげであり、その喫茶店の従業員の方のおかげなのです。

ぜひともお礼を言いたいところ。


ただ、こじんまりとしたお店で、平日の昼間しかやっていないため、祝日の昨日はお店はお休みでした。

Aさんから、


「場所だけ教えとくわ」


と言われ、お店の前までつれていってもらい、昨日はそれで帰りました。




そして今日、告別式を終え、会社に戻ってきて、でもどうも仕事に身が入らなかったので、そのお店をネットで検索しました。

穴場中の穴場という感じのお店だったのでなかなかヒットしなかったのですが、たった1件だけ、電話番号が掲載されているものを発見!!

16時半ごろ、お店へ電話をしてみました。


先輩が親しかったその方は、お昼1時間だけの勤務らしく、すでに帰られた後。

しかし、お店の方みんな、先輩が最近顔を見せないことを心配されていたらしくて、その方にもすぐに連絡をとってくださいました。


17時すぎに電話がかかってきて、少しお話をしました。

本当に驚かれていて、でも告別式には間に合わなかったので、お家にお邪魔してみるとのことでした。

本人同士は親しくしていたとしても、高齢のお母様しか家族がいないため、やはり連絡がいっていなかったのです。



近いうちに、Aさんと一緒に、その喫茶店へお昼を食べにいくことになりました。


Aさんも、喫茶店の方も、そしてアタシも光一君のファン。

喫茶店の方とはもちろん初対面、Aさんとも、これまでまともに話をしたことがなかったので、これも先輩がもたらしてくれた縁なのかなと感じています。



先輩はもうこの世にいないけれど、こうして先輩が遺してくれたものを大切に、いつまでもいつまでも、アタシたちの心の中で生きていてもらいたい。


告別式を終え、枯れるほど涙を流し、今はそういう心境にまでなれました。




とはいえ、やはりまだ、何かを見聞きするたびに先輩に結び付けてしまい、堪えられなくなります。


仕事で、ある文書データを作成していると、


「あー、この箇所、○○さん(先輩のこと)と何度もああでもないこうでもないって考えたなぁ」

「これ、珍しく○○さんが間違って削除されて、大騒ぎになったっけ」


そんなことばかり考えてしまいます。



また、KinKi Kidsの曲が流れるたびに、


「あ、この曲、○○さんが好きだったやつや」

「これ、アタシが好きだって言ったら『え~』って言われたなぁ(笑)」


どの曲にも先輩との思い出があるのです。



完全復活まではまだ少し時間がかかりそうですが、とりあえず明日は、チョコづくりをして恋人に会いに行き、チョコをあげる代わりにパワーをもらってこようと思います。