自分を変える?子どもを変える? | ハンサムおかんの子育て塾~発達障害児を育てるお母さんの心をサポート

ハンサムおかんの子育て塾~発達障害児を育てるお母さんの心をサポート

大阪を拠点に活動中。発達障害児を育てるお母さんに向けて「信じて見守る子育て」を発信しています。元毒親。息子の発達障害をきっかけにコーチングを学び、起業しました。「気質」×「コーチング」×「方眼ノート」でありのままの子どもを認めて伸ばす子育てを伝えています。

こんにちは!
ハンサムおかん☆きよみんです。

「自分を変えたい」
そう思うこと、ありませんか?

自分の子育てが、
今のやり方では
どうしてもうまくいかないとき、
その状況を
なんとかしたいのであれば、
自分を変えていくしかありません。

というのも、
自分の力で
自分以外の他人を
変えることはできないから。

いくら我が子であっても、
自分の思う通りには
動かすことも
変えることも
できないのです。

子どもは自分の所有物では
ありません。

自分とは別の意思を持った、
別の人です。

たまには言うことを
聞いてくれることが
あるかもしれませんが、
それは子どもが自分の意思で、
親の言うことを聞こうと思ったからであって、
こちらが言うことを
聞かせたからではないのです。

小さいうちは、
他に選択肢がなく、
親の言うことを聞く場面は
多いかもしれません。

けれども子どもは子どもで
成長していきます。
いろんな情報に接して、
子どもなりの考え方が身に着き、
今言うことを聞くのかどうするのか、
自分で判断するようになります。

それが、成長でもあります。
時計の針を戻すことは
できません。

子どもを「変える」のではなく、
子どもをありのままで受け止めつつ、
自分の認識や受け止め方を変えていこと。
自分の子どもへの働きかけを
変えていくこと。

それが自分を変えるということだと
思います。

子どもをありのまま受け止める。
ということは、
自分の望む子どもの姿に
実際の子どもを当てはめて、
その枠の中に
入っているか、入っていないかで、、
いい子、悪い子と判断するのではなく、
枠を持たず、
子どもの姿そのものを見て、
受け入れはしなくても、
そのままの姿をただ見ること。

この子はこういう人なんだ。
と、見たままで受け止めること。

そこに、
いいとか悪いとか、
自分が好きとか嫌いとか、
正しいとか間違っているとか、
一切の判断は
ありません。

あるのは、
目の前の我が子のそのままの姿のみです。

そこに何かを感じてはいけない、
判断してはいけない。
ということではありません。
自分の心がそう動いたとしても、
それは自分の中の事実であるだけなので、
それはそれでいいんです。

親に反抗することは、
悪いことなのではなく、
何か理由があって、
反抗という形で
行動に出ているだけ。

それは思春期・反抗期で
あってもなくても
そうなんです。

受け止める側である、
自分の気持ちの部分で考えると、
辛かったり、
嫌だったり、
悲しかったりするかもしれません。

それを
事実の部分で考えると、
子どもには子どもなりの理由があって、
その理由から導き出された行動を
今目の前の我が子がしている。
という、ただその事実があるのみです。

意識していきたいのは、
事実の問題を解決するために、
気持ちの部分を巻き込まないこと。

難しい人もいれば、
難なくできる人も
いるでしょうけれど、
自分では手に負えないように
感じる問題に
なればなるほど
気持ちと事実は
分けて考えた方がいいのです。

たとえば、
食後に子どもが食器を流しに運ばない。
そのことでいつも私がイライラするとします。

気持ちの問題で言えば、
私はそうして放置される状態が嫌。
食器を早く戻してくれないと、
後片付けが進まないから嫌。
かといって、私がし続けると、
甘えてそれが当たり前になるのが嫌。
もしかしたら、
こんなこともしつけられない自分が嫌。
なんていうのも
出てくるかもしれません。
そんな自分の気持ちを
誰もわかってくれないことが
嫌なのかもしれません。

いろんな嫌が集まって、
イライラになり、
溜まりにたまると、
爆発が起こります。

嫌だと思ったり
イライラするのは、
人として当たり前のことで
それがダメなのではないのです。

嫌だと感じたあとに、
それを解消しようとしたり、
相手にわかってもらおうとしたりして、
「怒り」という形で相手に
ぶつけてしまうことが
そもそもの問題ではないのか。
ということです。

気持ちの上で、
嫌は嫌でいい。
けれど、その気持ちをそのまま
子どもにぶつけることがないように
対応するとしたら、
どういう方法があるのか。
そこからまた先に進んでいけます。

事実の部分で言うと、
食器を戻さない。
いつまでもテーブルが片付かない。
戻さず放置しているから、
汚れがこびりついて
洗うのがさらに大変になる。
後片付けが遅れると
その後の予定もどんどん遅れてしまう。

いくつもの事実が
見えてきます。

それは、
どうしたら対応できるのか、
どう工夫したら、
彼らは食器を戻したくなるだろうか。
戻ってきたときに
さっと洗える工夫はないか。
何が原因で食器はいつも放置されるのか。
食後の過ごし方に問題があるのか。
小さいときの接し方、
対応の仕方なのか。
じゃあ何をどうすれば、
この状態は改善されるのだろう。

そこを考えずに、
口うるさく「食器を運ぶように」
と言ったところで、
今までそれで
言うことを聞かなかったのであれば、
そのやり方は通用しないということです。

であれば、
別のやり方を
考えるしかありませんよね。

本来食べ終わったら
食器を片づけることは
できるのに、
今だけしていないのなら、
部活でとても疲れている。
など、
できない理由があるはずで、
それを考慮してみるものひとつです。

今は片づけたくないけれど、
後からなら片づけてくれるのであれば、
自分の要望と
子どもの要望の
双方を聞いたうえで、
取り決めをするのもひとつでしょう。

もしかしたら、
単にものすごくめんどくさくて
今はしないだけかもしれません。

それを
必ず今すぐさせなければならない
理由はなんでしょうか?

そうすれば、自分は楽?
では、
自分の楽を相手の楽より優先させる理由は
なんでしょう?

今自分がこだわっている、
「食器をさげる」
という行動について、
どうして自分がそこまでこだわるのか、
しっかりと自分の中を
探ってみるのもひとつです。

また、
どうして自分が言っていることを
子どもは聞いてくれないのか。
についても
考えた方がいいと思います。

人は、
自分が信頼していない人の言うことは
ほどんど聞かないもの。

もしかして、
自分は信頼されていないのではないか?

だったら、
信頼される大人、
信頼される親になるために、
今自分は何をすべきなのか。

まずは自分の感情とは別にして、
今目の前にある事実に
どう対処するのか、
今うまくいっていないのであれば、
どこがうまくいかないのか、
どうすればうまくいくのか、
いろんなやり方を探し、
自分に合うものを
手に入れていくしかありませんよね。

そうやって
今とは違う
やり方や
ものの捉え方を探し、
実際にやってみること。

それが自分を変えることに
つながっていきます。

私は実際に、
子どもたちがなかなか食器を下げないことに対して、
出すまでガミガミ言うことは
止めました。

彼らには彼らのペースがあるのだと、
思うから。

けれども、
食後にすぐ出してもらうことを
諦めたのかといえば
そうでもなく、
ひと言は言いますし、
下げてくれてないのを
見たときも、
またひと言は言います。

けれど
それ以上は言いません。

それについて、
責めないことにもしました。

それをしていない子どもたちを
否定することも止めました。

私には私の希望がありますが、
彼らには彼らの気持ちや事情もあるので、
私の気持ちだけを押し通すことは
やめようと決めました。

そのうえで、
いつも彼らを観察し、
どうしたら気持ちよく出せるようになるのか、
絶えず頭の中で
作戦を練っています。

つまり、
今すぐ解決はしていないけれど、
それに関して
嬉しくない気持ちはもっているけれど、
その状態が今の状態である。
ということを受け止め、
諦めずにゆっくり落ち着いて
関わり続けることに決めたのです。

いつか解決したい気持ちはあるし、
解決すればスッキリするだろうし、
それをいつも望んでいますが、
だからといって、
今それができていないことが
ダメなことではない。

なので焦らず、
できるだけ笑顔で、
子どもとベースのいい関係を築きながら、
子どもが気持ちよく
食器を下げたくなるような
雰囲気や言葉がけや、
システムをさがし続けています。

そうやって取り組んでいる状態が
「今」で、
解決はしていないけれど、
それでいいんです。

解決していないことで、
自分が親としてダメだと思う必要も
ありません。
子どもが人としてダメだと
思う必要もありません。

今は解決していない。
ただそれだけです。