ご隠居夫人の金切り声~馬鹿馬鹿しいけど反論してみたわ~ | love-3025のブログ

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                  今日は都知事選の投票日ですね。七夕でもありますが、北海道は星空とは

      いかないようです。

                  ラブはマダニの薬を服用しました。今シーズンはこれで終わり。一個、お皿に

      のせたんですが、おやつだと思ったらしく直ぐに食べて、数が少ないと思った

      ようで探し回ってました。どこかに落としてると思ったのか、キッチンに行って

      キョロキョロしてました。

 

この1週間、両陛下の英国訪問の素晴らしさに沸いた一方で

矢継ぎ早に、🍁家の方々の記事がずいぶんでましたねえ。

 

天皇ご一家を意識した記事やら、坊ちゃんの進学問題などの、ご心配、ご懸念をする

紀子さんの記事、かと思えば岐阜の高文祭に家族で出かけるなどの余裕の記事。

果ては、オックスフォード留学という記事やら、通勤してるという佳子さんの路上写真、

これにNYの娘夫婦の話題やら、まあ、呆れるほど多かったです。

 

これ、🍁家の方々は気づかないのでしょうか?

意識して、追いかけて真似てるという事は、追いついてない、とどかない、かなわない、

という事にです。

そして問題山積みのご家族の現状にです。

自分らで問題を大きくしてきたのですよ、自分らで謙虚になり問題解決しないとならない

でしょう。最後には丸投げ、国民の税金で尻ぬぐいがお得意ですが、

いつまでもこんなやり方が続くとは思えません。

 

そんな記事の中、八幡氏の記事が出ました。

さらっと読んだだけで、感情的になっている赤坂、というのがわかる記事でした。

さすがお抱えと言われるだけあります。

しかし、記事を書き収入を得る文筆業の方なら、もう少し書き方があるのではないでしょうか。

まるでアキシンかと思うほど、内容が滅茶苦茶でしたよ。

反論するのもばからしく思える内容でしたが、ほおっておくわけにもいきません。

 

一つだけ誉めるとしたら、タイトルに『両陛下の英国訪問成功』でしょう。

これが本音ではないかと思います。

 

 

まず天皇陛下の訪英が5回ですが、昭和天皇が1971年(国賓)

明仁天皇が1991年(国賓)、1994年、1998年、今上陛下が今年、国賓として訪問を

されてます。

 

先に述べておきますが、これはご隠居夫人の意向がくみ取られた記事だと、

私が推測して書いていますから思い込みのような部分はあるでしょう。

 

それと、ご隠居夫人と、八幡氏は両陛下のご訪問の逐一、テレビにかじりついて見てた

という事がわかります。

 

ご隠居夫人の意向と思える個所を拾いましょう。文中から抜粋していきます。

抜粋には『』を用います。

 

1週間も滞在されたが、内容は薄かった、現地の報道でも主要ニュースとしては取り上げられなかった。訪英中にランチやディナーの機会は12回あったが、8回はホテルで両陛下など身内ですまされた。

 

忘れてはならないのは、この訪問はチャールズ国王の強い希望であったこと、です。

記事にもありますが、選挙中は訪英が決まった事後の問題、チャールズ国王やキャサリン妃の

健康問題については、相手国がそういう時だからこその思いがあったという事です。

食事回数まで数えるほど、ご隠居夫人には情報がなかったという事がわかります。

 

レッドカーペットなどのことは、反論する気になりません。

 

『事前に分かっている話なのだからカミラ王妃と雅子さまには、屋根のある馬車を用意し、それを予告しておくべきだったのではないか。』

 

出ました。屋根付き馬車です。ご隠居夫人は自分と同じ屋根付き馬車にマスク姿で乗ると

予想していたのかもしれません。

いずれにせよマスク問題は、ご隠居夫人にとって衝撃で恥をかかされた、

暴露された、英国に知られていたなど、かなり複雑な思いだったでしょうね。

俗にいう頭にきたんだと思います。

これもご隠居夫人は知らされてなかったという事です。

主治医が帯同してのマスク着用ですから、文句のつけようもないはずです。

主治医は予防線になってくれています。

 

『王室も首相も歓迎できる時期ではなかった。1998年の天皇皇后両陛下(現在の上皇陛下ご夫妻)の国賓訪問時は、両陛下が一緒に動かれたときには、「ウェストミンスター市歓迎式典」「女王陛下及び王配殿下主催晩餐会」「ウェールズ大臣主催午餐会」「ロンドン市長主催晩餐会」「首相夫妻主催午餐会」「天皇皇后両陛下主催晩餐会」「日英関係4団体共催レセプション」と、重要な午餐会・晩餐会が連日のように組まれていた。議会での演説もあったがそれもなかった。』

 

先に謝っておきますから不敬だと言わないでください。

「私たちの時なんて、こんなに晩餐会や午餐会がありましたのよ~」

という声が聞こえます。

この時は国賓ではありませんし、今はバレてますが晩餐会はチャールズ皇太子主催に

格下げされ、午餐会には女王は欠席でした。

午餐会など、日本もちで国賓に見せかけるための体裁作りでした。

なぜなら招待されたのは、皇太子ご夫妻でこの時ガーター勲章授与の話があったからです。

悔しさのあまりご隠居夫婦が乗り込んだのですよ。

 

『2023年のチャールズ国王戴冠式に両陛下は招かれたが、昭和天皇の葬儀や今上陛下の即位礼にも女王がお見えになっていないのだから出席されず、秋篠宮皇嗣殿下ご夫妻が参列された。このときに、両陛下が行くべきだという巷の声があったが、皇室の尊厳からいってありえなかったと思う。  このように順番だとか扱いをうるさく指摘するのは、馬鹿げていると思う人もいるだろうが、少なくともエリザベス女王はそういうことに非常に敏感で、失礼な扱いを受けたと思ったら、かなり手厳しい報復をする怖い女王だった。』

 

いいのかしら? エリザベス女王の悪口まで書いていますが・・

まず言っておかなくてはならないのは、英国戴冠式の招待者を決めるのは英国であり、

英国が長年の慣例を破り天皇陛下をご招待したという事実で、これは日本だけの特例ではなく世界にアナウンスされ、世界の国家元首が参列した事実です。

日本はそれに応えなかったのです。

1998年、エリザベス女王に冷たくあしらわれた当時の状況や明仁天皇ご夫妻、中でも

ご隠居夫人のねじ曲がった嫉妬や、報復せずにはいられない勝ち気な性格というのを

告白してるような文です。

篠原さんが機密外交文書をバラしましたが、その時のものがこれですよ。

ガーター勲章もおねだりでもらったんですよ。

 

エリザベス女王が訪日しなかったのは、平成の方たちを嫌っておいでだからで、

それをもって。こちらからばかりすり寄ってというのはお門違いで、

それを言うなら多く訪英した平成ご夫妻に言えという事ですよ。

平成時代に、訪日しなかったのは何もエリザベス女王ばかりではないのですよ。

 

ご隠居夫人が何に悔しがっているか、よく分かる記事でした。

ご隠居夫人が英国訪問で誇れるものが、晩餐会の数という記事でもありました。

 

今日はここまで

 

      今日も読んで頂きありがとうございます。パー