お誕生日前夜に  ~天に選ばれたとしか思えない~ | love-3025のブログ

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   明日は、皇后陛下のお誕生日

   還暦だそうです。

   まさか、赤いちゃんちゃんこは着ないと思いますが・・・

   

   雅子様を思うと切なくなるのですよ。

   

   自分の無関心、誤解、様々な思いが心をよぎるのですよ。

   

   皇太子さまが望まれて、めでたい日を迎えた時にテレビ中継で見ましたよ。

   天皇家の祝賀ですから、よかったなあ、と思って。

 

   でもその後のいろいろな報道には、

   どこにもあるんだ、天皇家でも、まあ、自己主張が強いから旧家とは軋轢あるよな

   なんて、女性の地位向上が叫ばれていた中で、私が思っていたこと。

   まだ女性管理職がいないのが当たり前の雇用均等法が騒がれ始めたころです・・

 

   あんなすばらしい皇后陛下が、心を砕いてもキャリアウーマンとは合わないのか

   たまに美容室で読む週刊誌情報で感じていた頃。

   紀子さんが褒められ雅子様が下げられる・・・

   一方で雅子様擁護の熱烈なファンがいたことを覚えています。

   現役だった私は忙しく、皇室より目の前の弱った方や疲れた家族が大事だったから

   皇室は暇そうだなあ、なんて思うくらい。

   ただ、無関心。

 

   雅子様が流産を乗り越えて敬宮様を腕に抱かれた姿は、よかったなあと思えた。

   同じ女性としてね。

   その後、病気療養に入られるが、なぜと不思議に思ったくらい。

   このころは、何年にもわたり週刊誌は不穏だったように思います。

   中でも、オランダ療養の旅の際に

   明仁天皇が発した「私たちは私的旅行をしたことがない」発言。

   美智子皇后が傍で硬い表情をしていた・・・天皇は言わされてると思ったが・・・

    

   ここから私の目覚めが始まった。

   いろいろな宮内庁の発言や、雑誌に発表される皇太子の退位論・・・

 

   私には唐突に思えた男系男子論、愛子様がいるのに何で?

   紀子さんの懐妊、おかしなことがもう始まっていた。  

   

   退職後から、声出すことを始めた。

   いろいろ読んだり、考えたり、  そして今がある。

 

   

   ご結婚から30年、そのほとんどを

   苦しみや悲しみ、つらく忍耐の日々だったのではないかと思うと

   自分の無関心、無理解が情けなくなるのですよ

 

 

   ただ、救いはあるもので先日、天皇陛下の結婚前に話されていた理想のお相手に

   あげていたことを読んだ時に、

   ああ、皇后陛下しかいらっしゃらなかったのだ

   これは、天の采配で結ばれたご結婚だった・・・

   そして、敬宮様は必然でご誕生されたのだと確信を持ちましたよ。 

 

 

当時の皇太子殿下の結婚相手についてのお話

【理想像としては明るくて、健康的で、スポーツが好きな人がいいです。付け加えれば、料理が上手な人がいいですね」(昭和57年3月15日)

 

「いま考えている理想としては、よき日本人であって、そしてよき国際人であってほしいということです。これは当然日本人の皆さんが希望しておられることではないかと思うわけです」(昭和59年8月13日)

 

「結婚相手については、ある程度自分の意見や好みが反映されるべきだと考えていますが、あらかじめ理想のイメージを具体的にいい表すことはむずかしいと思います。会った時にこの人だと感じるのではないでしょうか。ただ、プリンセスとしては、控え目であることは必要だと思いますが、自分自身の意見をしっかり持っていることが貴重だと思います。また外国語ができた方がいいと思います」(昭和60年10月28日)

 

「ご質問にあった、身長であるとか、学歴であるとかは、私はそれほどこだわらないのですが、やっぱり結婚する相手として、自分とまず価値観が同じである人が非常に望ましいと思います。具体的にいえば、たとえば美しいものを見た時にそれを美しいものとして評価できる、大切だったら大切なものとしてそれを大切に扱う。それから贅沢を避ける意味において、金銭感覚が自分と同じ人がいいと思います。たとえばニューヨークのティファニーに行ってあれやこれやと物を買うようでは困ると…。二番目にあげれば、誰とでも気軽に話ができる人がいいと思います。人と会った場合でも、その人と話そうという環境を自然に作りだせる女性が結婚相手としていいと思います。話す時にも、控え目ではあるけれど必要な時には自分の意見をしっかりといえる女性。さらにいえば、これから先は外国人との接触も多くなってきますから、ある程度外国語ができる方がいいと思います。最後に、自分と趣味とか関心、具体的にいえば、スポーツが理解でき、それから音楽を理解できる、必ずしもできなくてもいいですが、ともかく理解ができることが必要だと思います」(昭和60年11月5日)】 隆盛明勅公式サイトより引用   


   これを読んで震えましたよ・・・

   お二人の出会いはこの1年後です。S61/10/18

 

その後の皇太子の発言

【「(結婚について)いろんな方のご助言をいただくことはもちろんだとは思いますが、最終的な決定は自分でしたいと今でも考えています」

 

「やはり価値観が同じというのが一番大切だと思っています」

 

「価値観を同じくするっていう問題は非常に大切だ、と申し上げましたけれども、たしかにそういう人と巡り会うっていうのはなかなか少ないかもしれないし、困難なことだと思いますけれども…。やはり自分としては、そういうことをやってゆきたいと考えています」(昭和63年2月19日)】  引用は上記と同じ

 

   皇太子に鮮烈な印象を残したように、雅子様にも同じような印象を残したのだと思う、

   

   紆余曲折があっても心に残っているお相手と結ばれる、これは運命というか宿命というか

   わかりませんが、私には日本、時代に求められたとしか思えないですね。

 

   多分、想像を絶する苦難(表面に出ていることは一部だと思う)から

   逃げ出さず、向き合い、誠実に天皇陛下を支え、深い愛情で敬宮様を守られてきた

   ことを思うと、天皇皇后両陛下は本当の意味で一心同体、目指すのも同じだろうと

   思えます。

 

   私はただ感謝です。

   ご結婚や、体調のコントロールが難しい中でも皇太子さまを支え、

   愛子様の成長に細やかに心を配われてきてくださったことに。

   そして日々、私たち国民に寄り添ってくださったことに。

 

 

   今年のお誕生日は、天皇ご一家にとっても皇后陛下にとっても

   とても感慨深い一日になるのではないでしょうか。

 

   一日早いでしょうが

   心から、お誕生日をお祝い申し上げ、つつがなく日々を過ごされますように

   お祈り申し上げます。

 

 

        今日も読んでいただき有難うございます。パー