午前中にレンジフードのお掃除をしながらどうしようかと・・
今も書こうか書くまいか、悩みながらパソコンに向かっている。
皇后陛下や敬宮様の時は、こんなことってあるんだと嬉しくもあり、
時代に求められる方の不思議に立ち会うような厳粛な気持ちになった。
赤坂女子を書いたときは、お皿様の白樺のお印に昭和天皇や皇后様の
お気持ちを覗いたように思った。次男一家の女性たちのお印には、頷ける
ものがあった。今回少し気が重いのは、多分、後戻りなどできない時間を
とても感じたからだろう・・・
今ネット上では悠仁君の論文問題で大騒ぎである。
このことに端を発して、秋篠宮や上皇の論文までが疑いの目を向
けられ始めたが、それは
のちに書くとして・・・
明人天皇のお印は榮 ( えい )木々が生い茂るさまとされてい
る。
木を探してもよくわからなかった。わかったのは、榮の字は漢語
読みであること、現代の漢字にすると栄。
実はこの字は榊に通じるのだそうだ。
詳しくは;下記
明仁皇太子が生まれた1933年は戦時中で、軍部の力が強まってい
た時期でした。
これは想像になってしまうのだが、
昭和天皇は長男に天皇家とわかるお印を長男に考えたが、戦況は
予断を許さず、
場合によっては御自身や皇太子の身が危うくなることも考えて
おられたのではないか。
榮 木々が生い茂るさま
榮木 サカキ= 榊
昭和天皇は敗戦やその後の皇太子の身の安全を図るために隠語
(メッセージ)を用いお印とした?
実は,次男である常陸宮様のお印も意味深でオガタマノキという。
昭和天皇は、敗戦でご自身や皇太子に万が一のことがあった時を
考えていたのではないか?
昭和天皇は、皇太子を軍部から距離を置くように10歳で任官す
るきまりの陸、海軍などの将校任官を断って守っている。
昭和天皇の中には戦争責任として、皇太子も助からない可能性が
かなりあると思い
次男のお印にもメッセージを込めたように思えてならない。
オガタマの木の意味深と思える部分を抜粋した。
・日本で最も重要な神様とされる天照大神が岩戸屋に隠れ、世界が闇に包まれた際、アマノウズメノミコトがこの枝を持って踊り、天照大神を外へ誘い出したという。これもあってかオガタマノキは古来から神聖視され、伊勢神宮をはじめ神社仏閣の御神木とされることが多い。
葉を神前に供え、神霊を招くために使われたことから「招霊(オキタマ)」、これが転じてオガタマノキと名付けられた(諸説あり/漢字表記は「小賀玉」とも)。なお、神前に葉を供える木は他にサカキ、タブノキ、ヤブニッケイなどがあるが、本来は本種を用いる.
これは私の個人的な思いだが、親の心子知らず
いま国民は常陸宮様が天皇だったらと思う方が多いのではないか
と思っている。
秋篠宮のお印は栂、これは昭和天皇が名付けたと言われている。
これは皆さんもよく知っている話で、栂の木は昔、咎人を縛り付
ける木だったとか。
昭和天皇は、秋篠宮の出自を知っていたからに違いないと私は思
っている。
悠仁君のお印は、高野槙。
なぜ、この木を選んだのかがわからない。
古代とはいえ、棺に使っていたのは資料でも分かったのではない
かと思うが・・・
今回、天皇陛下のお印は取り上げていない。
皇太子時代は梓であるが、即位後は菊のご紋章に代わっていらっ
しゃるため、記述は差し控えさせていただいた。
以外にお印についての反応がよく、読んでいただいた方から新た
な情報も教えてもらい、書くだけでない楽しみ方があることに気
づくことができた。
今日はここまで
今日も読んでいただき有難うございます。