東海大学医学部付属病院へ 13 手術後8か月・10か月経過 | 耳下腺腫瘍になってしまった。。

耳下腺腫瘍になってしまった。。

        「コリント書の第13章を知ってるか!」

2月に記事をアップしたと思っていたら「下書き」に残ったままでした。

現在、2か月に一度の経過観察で病院に行っていますが、4か月ほど記事の間が空きましたね。

今回、今月の分も加筆してアップします。なので記事の日付は2月ですが、4月にも書いてます。

 

真冬の東海大学医学部付属病院。
 
退院後しばらくは1か月おきに経過観察だったのですが、半年後からは2か月おきになりました。
 
今回、首の両側を触診していた槇先生(今回からM先生ではなく実名にします。理由はこの病院の耳鼻咽喉科におられる「M先生」が2人になったので)が、ある部分でピタリと手を止めました。
 
槇先生「ちょっとここ、超音波で診てみましょうか」
 
自分「えっ、はい。」
 
いつもの経過観察のように、たちまち終わる診察とは雰囲気が違うので正直ビビリます。
 
1階の画像検査センターではなく、耳鼻咽喉科の処置室にあるエコー(超音波診断装置)で、そのあたりをグリグリします。
 
いくつかのポイントで手を止めて、スクリーンショットを撮るような音が。
その後、再度、診察室に入ります。
 
槇先生「まだ煙草吸ってますか?」
 
自分「あ、はい。。」
 
槇先生「そろそろ本当に禁煙を考えた方が良いと思います」
 
自分「あー。。」
 
槇先生「再発か、反応性炎症か、まだ診断しにくいですけど」
 
自分「反応性炎症。。」 ←「再発」と聞いてこれはマズい事になったかもと考えてるところ
 
(再発!?)
 
 
またあの手術をやるかもしれないと思うと。。
 
どんよりした気分で真冬の伊勢原を後にします。
 
--------------------------------------------------------------
その後、2か月が経過して、ここから4月の記事。
 
 
反応性炎症は、リンパが何かに反応して炎症を起こしている状態で、時間が経てば症状は改善して行くケースが多い事がわかりました。
 
とりあえず煙草を今の半分の「軽い」ものに変えて、体の負担を減らしてみる事にしました。
うまく行けばそこからさらに半分の「かなり軽い」ものに変えて、ジワジワと禁煙に近づけて行く。
過去にも何度かこれで禁煙に成功した自己流のメソッド。
 
 
いつものように、槇先生の診察室の前には、耳鼻咽喉科でいちばん多くの外来患者が診察を待っています。
 
自分の番号が表示されて診察室に入ると、何かがいつもと違う。。
 
ふと見ると槇先生の手に厚い包帯が巻かれています。
 
自分「えええ、コレどうされましたか!」
 
槇先生「あーちょっとケガをしまして、でも大丈夫です」
 
自分「しかも右手に!」
 
槇先生「大げさなんですよね」 (包帯グルグル巻きの手を見ながら)
 
自分「身内なので特にしっかりと。。」
 
槇先生「そうですね」
 
 
前回と同様に槇先生が首の両側を触診します。
 
槇先生「では、また超音波で診てみましょうか」
 
自分の感覚では前回よりは良い感じになって来てると思うのですが。。
 
槇先生「。。。うん、良さそうですね。 何箇所かリンパが腫れてますけど、リンパが腫れてる人はよくいますので」
 
安堵しました。。
 
大きな不安が消失した時のイメージ。
 
 
槇先生「では次回も2か月後で、次回はCTを撮ってみましょう」
 
次回は6月で、手術後ちょうど1年経過になります。
 
あれから1年。 早かったような、長かったような。
 
 
そういえば、このブログを始めてから、自分と同じ耳下腺腫瘍に罹った方々から、何度かご質問をいただく事がありました。
 
その中に、自分よりも主治医の槇先生についてよく調べておられた方がいて、やはり外科手術が必要になる病に罹ると、人は必死になると、去年の自分を思い出しました。
 
そこから自分もさらに調べてみると、槇先生が高校生の頃は空手部におられて、医大生の頃は弓道部(しかも好成績)におられた事がわかりました。
 
あの初診時のシャープな第一印象は、こうした武道の経験から身に付いたものであったかと。