東海大学医学部付属病院へ 14 手術後1年経過 | 耳下腺腫瘍になってしまった。。

耳下腺腫瘍になってしまった。。

        「コリント書の第13章を知ってるか!」

東海大学医学部付属病院に入院すると、病室の向きによっては、常に眼下に見下ろす事になるマクドナルド246伊勢原店。ここの2階は広くて居心地が良いです。

 

 

先日、手術後1年経過の経過観察に外来で伊勢原に行きました(実際は1年経過の2日前だった)。

 

この日、診療予約時間よりもかなり早く病院に着いていたので、1年前を思い出して、自分が入院していた病棟のフロアに行って、ラウンジから外を眺めてみました。

現在、入院中の患者さんの迷惑にならないように、病室の方には行きません。

 

早かったような、長かったような。

手術前に不安でいっぱいだった1年前を思うと、手術後どうにかここまで無事に来れた事が感慨深いです。

 

1年経過という事で、診察の前に1階の画像検査センターでCT(造影剤入り)を撮ります。

「チクッとしますよー」と腕に刺した針から造影剤が体に入って来ると、横になっている体の下の方(背中側)からモワモワと温かくなってきて、それが全身に回って行くいつもの感覚。

 

(小学校の頃の予防注射とかもっと痛かったような。。)

そんな事をボンヤリ考えているうちに終了。

 

その後、3階の耳鼻咽喉科のブロックに向かいます。いくつかある耳鼻咽喉科の診察室の中で、今日もいちばん患者数が多い槇先生の診察室の前で待ちます。

いつもこんな感じで耳鼻咽喉科の外来では最も多忙なので、大学病院の医師には歩合給とか付くんだろうか、とつい考えてしまいます。

 

槇先生 (CTの画像を眺めながら)「良さそうですね。後でじっくり見ておきますから」

 

その後、耳鼻咽喉科のガッチリ固定する椅子に座って触診を受けます。

 

槇先生 (首のあたりをモミモミしながら) 「うん。良さそうですね」

 

耳下腺腫瘍の手術をされた方の中には手術後の経過観察が1年程度で終わる方もいるので、どうなるかと思っていましたが、自分の場合は今後もまだ続く事になりそうです。

正直なところ、自分もその方が安心できます。

 

小田急線の伊勢原駅に着くと、地元の高校の下校時間らしく、男女の高校生がたくさんいました。

去年の1年生は今は2年生に。去年の3年生は今はもういない。

自分が高校生の頃は1年間という時間が過ぎるのはまだ長かったんですが、今ではとても速いですね。

 

自分が好きな作家のひとり、坂口安吾は「教祖の文学」でこんな事を書いています。「堕落論」のように逆説的な文章も多いので、誤解されやすい作家でもありますが。

 

「教祖の文学」坂口安吾:青空文庫

http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42864_22350.htm

 

「自分といふ人間は他にかけがへのない人間であり、死ねばなくなる人間なのだから、自分の人生を精いつぱい、より良く、工夫をこらして生きなければならぬ。人間一般、永遠なる人間、そんなものゝ肖像によつて間に合はせたり、まぎらしたりはできないもので、単純明快、より良く生きるほかに、何物もありやしない」

 

「人間は悲しいものだ。切ないものだ。苦しいものだ。不幸なものだ。なぜなら、死んでなくなつてしまふのだから。自分一人だけがさうなんだから。銘々がさういふ自分を背負つてゐるのだから、これはもう、人間同志の関係に幸福などありやしない。それでも、とにかく、生きるほかに手はない。生きる以上は、悪くより、良く生きなければならぬ」

 

入院や手術が必要な病に罹り、それまで平穏無事に、健康で過ごせていた日常が、実はかけがえのないものだった事がわかると、中高生の頃のように人生というものを真正面から考えてしまいます。

 

自分は何のために生きるのか、誰のために生きるのか、人生で何を大切にして生きるのか、自分は人生で何がしたいのか。

 

自分が入院する事を契機に、それまでの人生観や様々な価値観が変化した人は少なくありません。

これから入院される方は、この機会が後から考えて良い転機になったと思えるような変化が起きると良いですね。