只今午前2:40 まもなく3時だおやつの時間ですな。
昨日、最愛の奥さんの8時間にも及ぶ長時間の脳腫瘍摘出手術が行われました。
手術は成功して、術後の経過も良くて、本人の意識もしっかりしていて
「いま何時?」
「しゃぶしゃぶ食べたい」
としっかり日本語で話しかけてくれました。※妻は台湾人
さて、未だよくわからん本当の病名。
それというのも、妻の故郷である台湾の医療水準が思ったよりも低い事に起因している。
昨年の11月に脳腫瘍が検査により発見され、基隆という街の一番大きな病院で摘出手術を
行い、はっきり言って成功とは言えなかった。
何しろ一時は危篤に陥ったのだから。
あの時妻の死を覚悟したものだ。緊急オペ室へ運ばれた時の事は忘れない。
秘匿主義の妻の家族からは病気のことなど詳しく教えてもらえず、医師と話しても
何だかよくわからない専門的な英語で説明され、はぐらかされている感じがした。
緊急オペ中に見つかった(それもおかしな話なんだが)別の腫瘍、これが現在の妻の
脳腫瘍である。
当初の医者の見立てでは、髄芽種という小脳に出来る腫瘍で摘出は無理なので
放射線治療を行うという事だった。
基隆の病院に入院中、化学療法の専門医で日本語が話せる若い女医が来て、これから
化学療法の相談を家族としますと話していた。
仕事の関係などで一時帰国した際、ネットでいろいろ調べて、この腫瘍には化学療法が
よく効くことを知った。
その間、妻は別院のある情人湖という場所に移った。
放射線治療をするとの事。
12月の半ばに再び台湾へ行く。
放射線治療を開始し、途端に嘔吐を繰り返すようになり、体重がどんどん減っていく。
食欲もないものだから、体力・気力も減っていく。
そして年明け、放射線治療も二週間が経った頃、放射線科の医師の説明に立ち会う。
俺は台湾語はさっぱりだが、医師のパソコンに入力されている英語を見て、内容を知った。
放射線治療の効果がなく、増大していると。
それも2~3ミリだった腫瘍が3センチ台になっていると。
もし手術を行えば、良くて半身不随の車椅子、悪くて死亡と言われた。
それまでの事もあり(それについては端折ります)台湾の医療に対して不信感で一杯だった
ので、もうこれはダメだと思い、日本で治療させようと決意した。
何しろ、前述の化学療法を行うこともしないのだから。
我が家の掛かり付け医が高名な方で、慶応病院の脳外科の医師に直接コンタクトとれる
事になった。
(都内に住んでいればそれがどれだけ幸運な事かわかると思う)
わずか3日の帰国で、掛かり付け医、慶応病院へと動き、入院治療を取り付けた。
即日受け入れ態勢となる。
髄芽種であるという、台湾の病院の見立てと画像データの判断から、慶応病院でも
それであるとの判断で、ICE療法という化学療法をすることになった。
一回につき4日投与して3週休憩。これを1クールとして全5回の予定となった。
1回目は慣らし運転的な感じで7割の量で行った。
恐れていた副作用の吐き気などは一切なし。
食欲旺盛。
2回目が始まる前、前回の効果があり、少し縮んだとのこと。
この時は二人して泣いた。
3回目の時、医師は治療の中止を告げた。
3回目は効果がなく、むしろ増大してしまっていると画像を見て説明を受けた。
つまり髄芽種であるということでICE療法を行ったが、効果が無い。
これは逆に言うと、髄芽種ではない可能性が大きい。
そして摘出手術を行うという事になった。
それにより、病名の正確な診断も出来る。
場所が小脳だけに、歩行などの運動機能に障害が残る可能性があると言われたが
妻に余計な心配させないため、手術で良くなるからねと濁す。
妻は日本での手術を望んでいたので、それ自体は悪いことではないし、何より台湾で
出来ないと言われた手術がこの日本で出来るのだ。
そして昨日の手術。8時間に及ぶ大手術だったが、成功したと言えるだろう。
術中の生検ではやはり髄芽種の可能性は低く、神経膠種(グリオーマ)というやつで
もっと詳しいことはこれからの遺伝子解析で判明する。
予後(余命)の一番良くない膠芽腫(こうがしゅ)では無いと思うし、そうでないことを
祈る。
どんな形であれ、俺より9歳も年下の妻が先に逝く事は許さんと常々言い聞かせているし
今は色々な治療がある。
食事療法やその他、出来うる限りのものを取り入れ、1秒でも俺より長生きさせる。
そんな事をいろいろ考えていると寝られなくなる。
今日も15時から面会だ。
早く会いたい。
昨日、最愛の奥さんの8時間にも及ぶ長時間の脳腫瘍摘出手術が行われました。
手術は成功して、術後の経過も良くて、本人の意識もしっかりしていて
「いま何時?」
「しゃぶしゃぶ食べたい」
としっかり日本語で話しかけてくれました。※妻は台湾人
さて、未だよくわからん本当の病名。
それというのも、妻の故郷である台湾の医療水準が思ったよりも低い事に起因している。
昨年の11月に脳腫瘍が検査により発見され、基隆という街の一番大きな病院で摘出手術を
行い、はっきり言って成功とは言えなかった。
何しろ一時は危篤に陥ったのだから。
あの時妻の死を覚悟したものだ。緊急オペ室へ運ばれた時の事は忘れない。
秘匿主義の妻の家族からは病気のことなど詳しく教えてもらえず、医師と話しても
何だかよくわからない専門的な英語で説明され、はぐらかされている感じがした。
緊急オペ中に見つかった(それもおかしな話なんだが)別の腫瘍、これが現在の妻の
脳腫瘍である。
当初の医者の見立てでは、髄芽種という小脳に出来る腫瘍で摘出は無理なので
放射線治療を行うという事だった。
基隆の病院に入院中、化学療法の専門医で日本語が話せる若い女医が来て、これから
化学療法の相談を家族としますと話していた。
仕事の関係などで一時帰国した際、ネットでいろいろ調べて、この腫瘍には化学療法が
よく効くことを知った。
その間、妻は別院のある情人湖という場所に移った。
放射線治療をするとの事。
12月の半ばに再び台湾へ行く。
放射線治療を開始し、途端に嘔吐を繰り返すようになり、体重がどんどん減っていく。
食欲もないものだから、体力・気力も減っていく。
そして年明け、放射線治療も二週間が経った頃、放射線科の医師の説明に立ち会う。
俺は台湾語はさっぱりだが、医師のパソコンに入力されている英語を見て、内容を知った。
放射線治療の効果がなく、増大していると。
それも2~3ミリだった腫瘍が3センチ台になっていると。
もし手術を行えば、良くて半身不随の車椅子、悪くて死亡と言われた。
それまでの事もあり(それについては端折ります)台湾の医療に対して不信感で一杯だった
ので、もうこれはダメだと思い、日本で治療させようと決意した。
何しろ、前述の化学療法を行うこともしないのだから。
我が家の掛かり付け医が高名な方で、慶応病院の脳外科の医師に直接コンタクトとれる
事になった。
(都内に住んでいればそれがどれだけ幸運な事かわかると思う)
わずか3日の帰国で、掛かり付け医、慶応病院へと動き、入院治療を取り付けた。
即日受け入れ態勢となる。
髄芽種であるという、台湾の病院の見立てと画像データの判断から、慶応病院でも
それであるとの判断で、ICE療法という化学療法をすることになった。
一回につき4日投与して3週休憩。これを1クールとして全5回の予定となった。
1回目は慣らし運転的な感じで7割の量で行った。
恐れていた副作用の吐き気などは一切なし。
食欲旺盛。
2回目が始まる前、前回の効果があり、少し縮んだとのこと。
この時は二人して泣いた。
3回目の時、医師は治療の中止を告げた。
3回目は効果がなく、むしろ増大してしまっていると画像を見て説明を受けた。
つまり髄芽種であるということでICE療法を行ったが、効果が無い。
これは逆に言うと、髄芽種ではない可能性が大きい。
そして摘出手術を行うという事になった。
それにより、病名の正確な診断も出来る。
場所が小脳だけに、歩行などの運動機能に障害が残る可能性があると言われたが
妻に余計な心配させないため、手術で良くなるからねと濁す。
妻は日本での手術を望んでいたので、それ自体は悪いことではないし、何より台湾で
出来ないと言われた手術がこの日本で出来るのだ。
そして昨日の手術。8時間に及ぶ大手術だったが、成功したと言えるだろう。
術中の生検ではやはり髄芽種の可能性は低く、神経膠種(グリオーマ)というやつで
もっと詳しいことはこれからの遺伝子解析で判明する。
予後(余命)の一番良くない膠芽腫(こうがしゅ)では無いと思うし、そうでないことを
祈る。
どんな形であれ、俺より9歳も年下の妻が先に逝く事は許さんと常々言い聞かせているし
今は色々な治療がある。
食事療法やその他、出来うる限りのものを取り入れ、1秒でも俺より長生きさせる。
そんな事をいろいろ考えていると寝られなくなる。
今日も15時から面会だ。
早く会いたい。