母としてというより、母としての部分を含めた「私」がそうありたくて、
そして、子どもにも、そうあってほしいのかも、
と気づきました。
必要なことを選択していく力、
そして頭でっかちにならず、
自分自身の持っている感覚をとらえて、
そこを大切に進んでいってほしいのです。
そして、子どもにも、そうあってほしいのかも、
と気づきました。
必要なことを選択していく力、
そして頭でっかちにならず、
自分自身の持っている感覚をとらえて、
そこを大切に進んでいってほしいのです。
どちらかというと、頭でっかちになってしまいがちな、
今の社会。
情報は、ほっておいても入ってきますからね。
その大半が、必要でない場合が多いだろうし。
特に今の子ども達は、私たちが子どもの頃と比べて、
たくさんの情報にふれるのが、
かなり小さい頃からになっていて。
もっと体でめいっぱい、いろいろな事、
感じてほしいなと思います。
そして、母となった女性は、
情報を得ることも必要だけれど、
それをきちんと選択して、
目の前にいる子どもを全身で受け止めて、
コミュニケーションをとっていってほしいな。
今日、息子の保育園の遠足で、
小さい子達の組の付添いに行き、(役員なんですー)
2歳児たちの可愛さ&奔放さに触れて、
そんなことを感じたのでした。
5歳児の息子も、おもしろさでいったら、負けてませんけどね~。
情報は、ほっておいても入ってきますからね。
その大半が、必要でない場合が多いだろうし。
特に今の子ども達は、私たちが子どもの頃と比べて、
たくさんの情報にふれるのが、
かなり小さい頃からになっていて。
もっと体でめいっぱい、いろいろな事、
感じてほしいなと思います。
そして、母となった女性は、
情報を得ることも必要だけれど、
それをきちんと選択して、
目の前にいる子どもを全身で受け止めて、
コミュニケーションをとっていってほしいな。
今日、息子の保育園の遠足で、
小さい子達の組の付添いに行き、(役員なんですー)
2歳児たちの可愛さ&奔放さに触れて、
そんなことを感じたのでした。
5歳児の息子も、おもしろさでいったら、負けてませんけどね~。