おはようございます。
昨夜の満月、美しかったですね・・・
大きく何かが動き出したのを感じる、この数日でした。
またひとつ、600年先を見通したプロジェクトも
発足させます!! そんなことをしていたので、
本当は、昨日、この5月に開催するワークショップのお申し込みを
受付開始する予定でしたが、もうすこし手を加えたいので
あせらずに、ゆっくり告知させていただくこととします。
もう少々お待ちください。
ライアーの音の質についてのご質問をうけ、
その方が、私の音や手に光を感じてくださっていることから、
思い出したことと、書いたお返事を
みなさんにもシェアしたくなりましたので、
一部を変えて、こちらに・・・。
2011年に長野で「癒しの音」(現在の「宇宙の音 地球の声」)の
ワークショップをしているときに、受講者さんが撮影された写真に
不思議な光景が写っていました。
私の恩師のライアー演奏家の池末みゆきさんが、
円の中央で、ラーナ(当時はリラムと呼んでいた)
を奏でていて、その周囲を受講者さんと
アンドレアスと私が、ぐるぐる音を感じながら、
(何をしていたかの詳細は忘れましたが)
ところが、その写真に写っていたのは、みゆきさんと、
私の3人だけで、他の方の姿は写真には映っていませんでした。
20人ぐらいが円になっていたはずなのに・・・です。
池末みゆきさんの手とライアーは光っており、
アンドレアスの胸のあたりからは、光が放たれており、
私はといえば、手のあたりが光っており、
歩いた道筋(手のあたり)に、
手から光が出てふりまかれていたのです。
しばらく持ち歩いていたその不思議な写真は、もう
どこかに行ってしまいましたが、昨年、その写真を撮った方に
久々に再会し、写真のことをお話ししたら、覚えていらっしゃいました(
でも、これは、私たちだけが特別なのではないと思うのです。
私は、「光を伝える・・・光の媒体である」ということを
意識して生きております。できているか、できていないかの
結果にかかわらず、「そう在りたい」と思っています。
ただ、それだけです。そして、ライアーを通して
そのような仲間が増えることを願っています。
私が最初に耳にしたライアーの音は、
魂が震え、自分もそういう音が出せるようになりたい・・・と
思いましたが、演奏用のライアーでは、思考の壁にぶち当たり、
100年あっても無理だなあと思ってたところに
アンドレアスが生み出したという、
タオライアーの存在を知りました。
形もみたこともなく、音も知らず、
アンドレアスから、「自由に奏でて間違いが生じない・・・」
そうきいただけで、「私のライアーだ!」と思いました。
その感覚に間違いはありませんでした。
私が奏でる音は、常に変化してきました。
いまも、これからも、私が生きている限り
変化していくと思います。
音は、私の存在の分身のようなものだから。
どの音も、存在していて、
どの音にも間違いはありません。
でも、どうせ奏でるなら、私は、
「音を空間に存在させる」という
意識をもって、奏でたいのです。
ぞんざいに、何かをしながら・・・
意識を向けずに・・・奏でられた音は、心に響きません。
自分の存在に自らが責任をもつように
自分から放たれるものに、意識的でいたい。
そして、その意識が、
ただ、ただ、愛に満たされていたら、
地球が、そんな音で満たされたら・・・
それを思い描いて生きています。
ただ、それだけです。
音に、結局のところ、「いい音」も、「悪い音」もなく
その判断をするのは、奏でた人や、周りの人。
音は、ただ、存在しています。
・・・こんなことを、いただいたメールのお返事に
書きました。でも、これはみなさんにもお伝えしたい
内容だったので、おことわりをして、
シェアさせていただくことにしました。