東海道 五十七次完歩 | 住まいの建材オズタック社長                    井上雅雄のつぶやき

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板金材料の1次問屋社長 井上雅雄です。世間の人々は、私がコンピューターに強いクールで真面目な社長だと思っているのですが、本当は、居酒屋好きで涙もろいアナログが得意な庶民派のヒトなのだという事を知ってもらいたくてこのブログを始めました。

本日、東海道57次を全て歩き通しました。

 

エッ!! てお思いになるでしょう。

 

東海道は五十三次のはずです。

 

ところが五十七次として公認(?)されております。

 

京都三条の橋までは五十三次です。

 

五十七次は京都一歩手前の山科から伏見、石清水八幡、守口、

 

大阪 高麗橋までの宿場町を加えて五十七次と称するものですが

 

江戸(幕府)からみると無理にでも東海道の延長にしたかったで

 

しょう。 

 

がしかしながら元々、秀吉が天下人だった頃、伏見城と

 

大阪城を結ぶ、政治的な道だったようなので東海道五十七次とい

 

う呼称が良いか疑問です。

 

我々、関東の人間は(江戸幕府に縁もゆかりもありませんが)

 

東海道五十七次と称しますが、関西の方々は、太閤さんを重んじ

 

て京街道という名で読んでおります。

 

こう言ったところで、深い意味はないのですが、歴史上の出来事

 

に関しての捉え方も大分違うようです。

 

色々と面白い点を感じながら、先ほど梅田の立ち飲み串揚げ屋で

 

街道完歩祝いを内輪で行い家に戻ったところです。

 

ああ、シンド! (たった一日ですがにわか大阪弁です。)