どうも就労移行支援で支援員をしている網川ニールです。
DaiGo氏のYouTubeでの発言が炎上している。
騒動の経緯
今回の彼の炎上経緯、内容を簡単にまとめると以下の通り。
①YouTubeで発した発端の発言
「自分にとって必要の無い命は僕にとって軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい。いない方が良くない? 邪魔だしさ。プラスになんないしさ、臭いしさ。治安悪くなるしさ。もともと人間は自分たちの群れにそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きている。犯罪者を殺すのだって同じ」
「生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしい」「生活保護の人が生きてても僕は別に得しない。猫は生きてれば僕は癒やされる」
②視聴者が激怒
これに対して、視聴者が「人の命を軽視している」、「他者の基本的人権を無視してる」との批判が寄せられ、炎上状態となる
③弟で謎解きクリエイターの松丸氏も反応
今回の炎上に関して実弟である松丸氏もTwitterで以下の反応を示す。
「今まで兄が炎上しても「また炎上してんな~~」くらいにしか思ってなかったし触れないようにしてたけど、人の命を軽く見る発言だけはさすがにダメです。それだけは絶対に許されない」
「今度会ったら絶対に論破するまで怒り続けます。今回ばかりは兄がおかしい」
④DaiGo氏さらに動画を投稿
一連の流れを受けて、DaiGo氏はYouTube上にさらに動画を投稿。
その動画の以下の発言で視聴者さらに激怒します。
「社会に浸透させようと思ってやっているなら問題だが個人の感想を言ってるだけ。感想に間違いもクソもない。謝ることでもない」
「命の優劣はないと思うが個人から見たら違う。死ねばいいのにと思う人もいるでしょう?」
「じゃあ聞きますけど、ホームレスとか生活保護の人たちに炊き出しとか定期的にやったりしてるんですか?(批判している人より)はるかに税金を払っているので僕の方が助けている」
⑤一転謝罪
その後、彼はYouTubeの生放送でこれまでの発言を一転させて謝罪を行う。
しかし活動自粛などは行わずに、今後は生活保護受給者が何故、受給者になったのかの経緯等を勉強するとい趣旨を話す。
実際の言葉としては以下。
「これで謝罪して活動自粛するのでもいいんですけど、それよりかはちゃんと勉強して、プロの人に聞いてみようかなと思いまして」
⑥その後さらに謝罪を行う
前回の謝罪に対して
「僕が勝手に反省しているだけに過ぎず、謝罪になっていませんでした」
とコメントし、
「もし自分の母親が生活保護を受けていたら、自分の母を傷つけてしまった、それぐらいの感覚で考え直しました」
と更なる謝罪を行った。
併せてこの時、DaiGo氏は自身がいじめの被害者であったことも語っている。
以上が炎上のざっくりしたまとめである。
母親の話
一連の流れを見ていると、DaiGo氏は最初は「いつも通りの炎上」くらいに思っていたのが「これは大ごとだ」と焦り、「強気な謝罪を行う」もそれでも世間の反発は止まず「本気の謝罪を行った」という感じだ。
まずは発言の内容はさておき、私は最後にお母さんの話を持ち出して、謝罪を行ったのは少し残念に思った。
DaiGo氏のお母さんは癌と闘病しながら、4人の息子さんを育てた立派な人だ。
彼の母の話を聞かされると、世間は途端に怒りの矛を収めて、彼を許さざるを得なくなる。
いや、彼を許すわけではなく、癌と闘病して子育てを行った、DaiGo氏の母を許すのだ。
「そんなに苦労して育てた母親がいるなら、彼をこれ以上責めるのはよそう」と。
ある意味それは、DaiGo氏が最初に「ホームレス」や「生活保護受給者」を批判した暴力的な言葉と同じくらいの破壊力を持っている。
思考が一気に「DaiGoさんが、かわいそう」にシフトしてしまう。
しかもDaiGo氏の場合、そこら辺の作用もしっかりと認識はしているだろうから考えさせられる。
だから、今回の件で母親のことを持ち出すのはいささかズルいと感じてしまう。
同様の理由でいじめの被害者だったと口にしたことにもズルさを感じてしまう。
さて話が少し本筋とズレてしまった。
イコールではない
私が今回の騒動を通して考えたいのは、DaiGo氏の発言の発言の本質的な問題点は何なのだろうか?
彼はいったい何を間違えてあのような発言をしたのだろうか? ということである。
DaiGo氏、個人の人間性などではなく、彼の発言の何がいけなかったのか、あの発言は何故生まれてしまったのかを一人の福祉屋として真剣に考えたい。
まず「自分にとって必要の無い命は僕にとって軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい。いない方が良くない? 邪魔だしさ」という発言についてだ。
これに関しては、前半部と後半部を分けて考える必要があると思う。
基本的に命の価値は平等であるが、自身の愛する人と赤の他人の命を平等に扱える人は少ない。
だから他人の命が自分にとっては「軽い」という部分、感覚は否定はできない。
しかし「軽い」ということと「どうでもよい」、「いない方が良い」ということはイコールではない。
彼の論法だと「自分にとって関わりのない人間はいない方が良い」ということになってしまう。
いてもいなくても良いと、いない方が良いでは天と地ほどの差がある。
ましてや邪魔などという権利は誰にもない。
そもそも人間なんて常に誰かにとって「他人」であり、「軽い命の対象」である。
今回の発言をしたDaiGo氏も誰かにとっては「どうでもい人」だし、心の中では「邪魔だし」と思われているのかもしれな。
むろん私もそうだ。
だからと言って、DaiGo氏も私も他人から命の価値をとやかく言われる筋合いはないわけだ。
まあDaiGo氏はそんなことを言われれば、いつもの調子で「僕の方が税金払ってるんで、あなたの方が消えてください」なんて言いそうだが、そういう問題ではない。
多様性を無視している
またDaiGo氏は
「もともと人間は自分たちの群れにそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きている。犯罪者を殺すのだって同じ」
とも発言している。
これに関しては多様性を認める、現代の風潮から乖離した考え方だと思う。
DaiGo氏の言うように、人間は歴史的に異物を排除しようとしてきた歴史がある。
しかし人類の歴史の本質は、異物を排除しようとする反応との戦いである。
なんとなく嫌いだと理由で、他者を罰せられないように、法という枠組みを作り他者の権利を保障し認める。
法で追いつかない部分を、倫理や道徳といったモノで埋めていく。
ややもすると暴走し、DaiGo氏が言ったように
「自分たちの群れにそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑」
してしまいそうになる流れを止めようと、いつの時代も試行錯誤している。
もちろん、それは完ぺきではないから、結果として排除する理論が勝つことがある。
というか実際には、そういったケースの方が歴史的には多かったとは思う。
しかし、それに対する抵抗はいつの時代にも確かにあったのだ。
また仮に「自分たちの群れにそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑」することが人間の本質ならば、今回DaiGo氏にもその罰が下ってしまうことになる。
何故なら今回の騒動を通して、DaiGo氏は「群れ全体の利益にそぐわない人間」と世間からみなされてしまったからだ。
まあ、当の本人は発言をした時点、あるいは炎上の初期段階でも、犯罪者を殺すのと同じ理屈で自分が抹殺される可能性を考えてはいなかっただろうが。
それは途中の
「社会に浸透させようと思ってやっているなら問題だが個人の感想を言ってるだけ。感想に間違いもクソもない。謝ることでもない」
という発言にも表れている。
最終的には、涙を浮かべて謝罪したDaiGo氏だが今の自分の状況をどう持っているのかは気になるところだ。
生活保護受給者に関して
就労移行に通っている人の中には生活保護受給者も少なくはない。
だからこそ、DaiGo氏の生活保護受給者の命よりも猫の命の方が上だという趣旨の発言には考えさせられるものがあった。
就労移行の支援員をしていると「生活保護受給者の怠惰」を目にすることも多い。
・就労支援員に言われたから移行に来てます。
・移行に来てれば就職早くしろってせっつかれないから来てます。
・そもそも保護で暮らしていけるから働きたくない。
そんな言葉を平気で口にする人もいる。
こういった言葉を耳にすると、心に思うことがあるのも事実だ。
しかし我々が取るべき行動は、「生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしい」などと思って、彼らへの援助を打ち切ることではない。
彼らを社会に参加させ、就職してもらい、労働をしてもらうことが大切なのだ。
日本は職種、業種によっては人的資源が不足している。
彼らが労働力として社会に参加してくれることは、人的資源が乏しい業界にとっては極めてありがたいことである。
したがって我々は積極的に生活保護受給者へ必要な支援(金銭的な支援だけではなく技術的な支援も含む)をしていくべきなのだ。
税金に関して
DaiGo氏は今回の騒動の前から、度々動画で「税金を多く払っている自分は払っていない人間よりも偉い」というニュアンスの言葉を口にしている。
これに関しても考えさせられるものがある。
果たして税金を多く払っている人間は偉いのだろうか?
他者を動画等で悪く言える程度には特権を持っていると言えるのだろうか?
税金を多く払っている人間が日本社会に於いて、貢献しているのかと聞かれれば、それは間違いない。
しかし、それは税金という尺度で見た時の話だ。
この国に貢献する手段は別に納税だけではない。
医療従事者はDaiGo氏よりも税金を払えていないだろう。
だがその貢献度は計り知れない。
わかりやすく医療従事者を出したが、どのような職業だって相応に日本に貢献している。
むしろ、ある種の尺度ではDaiGo氏のようなエンターテイナーは貢献度が低いと言われることもある。
(DaiGo氏は実際はエンターテイナーだけではなく、経営者という面もあるがそれは於いておく。また私、自身はエンターテイメントはなくてはならない仕事だと心の底から思っているがそれも於いておこう……)
結局、どういう尺度で見るかによって人の価値など変わるのだ。
だからそれを元に他者を批判するべきではない。
物差しが変われば結果も変わるものだ。
最後に
さてここまでダラダラと書いてきたが結局、
DaiGo氏は何を間違えてこのような状態になってしまったのだろうか?
彼の大きな過ちは先に書いた通り
「自分にとって関わりの少ないもの」=「不要なもの」と思い込んでしまったことにある。
関わりが少ないことと不要なことは別問題である。
そしてもう一つの大きな失敗は
「自分を支えてくれている人の中にも多様な人がいる」
というを認識持てなかったことにある。
もし自分出資してくれている人間の中に「幼少期生活保護を受給している人がいたら」、「ファンの中に元ホームレスの人がいたら」などということを一欠片でも思えばきっとあのような発言は出なかっただろう。
実際、DaiGo氏をCMに起用していた、某企業は長らくホームレスの支援活動をしていたわけで、結局彼はCMを降板することになる。
陳腐な言い方だが、現代はスマホ一つで世界と繋がれる時代だ。
優秀なコンテンツを生産できれば、相手の顔を見ずとも出資者を得ることができる。
しかし、モニターの向こうの人間がどんな姿形で、どんな経験をしてきたのかは頗る見えにくい。
見えにくいから結果、疎かになる。
そして現代は自身に関わりのないもや異物を排除しやすい時代でもある。
ボタン一つで反対意見を消したり、ブロックしたり。
その人のことを心配して発したメッセージも嗜められていると感じれば「このコメントアンチじゃない?」の一言で一蹴できてしまう。
そういった行為の繰り返しで他者を消す経験を積みやすい時代だ。
その繰り返しの中で、他者を想像することもしなくなり、相手を排除することに慣れていく。
そして気がつけば今回のDaiGo氏のような騒動が起きてしまう。
彼の失敗は誰しもに起こり得ることだ。
こんな時代だからこそ、光る板の向こうにいる誰かの姿形、過去について考える必要がある。
自分に向けられたメッセージをただ排除してしまうのではなく真剣に受け止めてみる必要がある。
取り止めもなく書き綴ってしまったが、今回の騒動を通して、一人の福祉屋としてそんなことを思った。






