最近の世の中みていて感じるのです。
満たされるものはいっぱい材料としてあるのに
メディアは広告ばかり。
それは音楽の市場で言えばアイチューンとかそのたの
デジタルメディアの責任のようにメディアが書き上げるけど
実際はちがう。
求める音楽が少ないのでしょう。
例えば脱原発に石を投げている坂本龍一。
彼が伝えていることとと音楽の表現は別のもの、
当然ご本人はそれを理解しているはず。
脱原発のための音楽???
それはないんですよ。
そんなといったら悲しいですがそういうものを聴こうとは
思いません。
脱原発のドキュメンタリーで坂本龍一の
音楽を使う発想が理解出来ません。
坂本龍一の作家としての幅を狭めてしまうと思います。
もちろん、本人もよく理解していると思います。
作家はもっと自由な立場で居るべきで、脱原発の
主張と彼の音楽がイコールである訳がないのです。
それで脱原発を主張出来るとは思えないからです。
例えばこの楽曲は本日紹介した曲の一つで
フランスの作曲家ミッシェルコロンヴィエの70年代の
ロサンゼルスでレコーディングされたものです。
美しい、すばらしい楽曲です。
このオリジナルで簡単なスライドショーを
作って明日アップしています。
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