いよいよ気温も下がり、冬へ突入する時期になった。
ホンマは10月がもう少し冷えだして秋模様になるはずが、今年は残暑が厳しく廃道・廃墟探訪開始が遅れてしまった。
さすがに暑い中、藪漕ぎはしたくないしね。
なので、週末と言えば、藪を漕がなくて済める場所にある古い建築物を観に行くことで気分を紛らわせとった。
ワイの好物の一つに「隧道」がある。
今ではトンネルと呼ぶが、古い時代のものとなると隧道という名前で呼ばれていた。
大抵検索して訪問する際は、隧道というキーワードから始めると、比較的古くに竣工したものにヒットできる。
そして、地方にあるものとなると、閉鎖されとるものが多く、中には埋め立てられてしまっとるものもあるので、お目にかかることもできない場合も少なくない。
長崎のお隣、佐賀県でトンネルデータベースで検索をかけてみたところ、伊万里市に明治時代に竣工した隧道が現存しとることがわかり、しかも現役で通れると言うので、早速行ってきた。
場所はコチラ。
伊万里市内から国道204号線で唐津方面へ向かい、ファミリーマート黒川店で旧道へ左折する。
細い道なりに進むと目的の塩屋隧道はいきなり現れた。
塩屋隧道
全長:40m
幅員:3.7m
竣工:明治38年(1905年)
明治時代の車道隧道なのに煉瓦作りと言うのは珍しいと思う。
扁額もしっかり残っていた。
入り口側から少しするとコンクリート吹付区間があり、そのあとにまた煉瓦でアーチを築いた部分がん凝っている。
断面を見ても、コンクリート吹付部分は崩落したためにそういう処理がなされたのやろう。
その断面から隧道部と開削部の間に隙間が確認できる。
データベース情報によると素掘りとのことやったが、それも確認できた。
煉瓦で上部は覆われているが、壁面が所々で素掘り部分がむき出しになっていた。
煉瓦壁面よりも岩盤がはみ出ていたことからも、そこまで切削しなかったんやろう。
それが予算の関係なのかまでは不明。
中間部以降は全面煉瓦で覆われている。
とても美しいアーチ形状がそのまま残っているようや。
出口側はコンクリート吹き付け。
始め鉄道隧道が転用されたのかとも思ったが、ややカーブしているので車道として作られたと考えてもええやろう。
明治38年と言えば、伊万里市も佐世保要塞に含まれていた時期でもあるので、軍が作ったのかもと考えたが、にしては規模も製造方法も合致しなように思う。
国鉄時代からの現役隧道が長崎・佐賀には多く残っておるが、車道でここまで古い隧道が残っているのは非常に貴重やと思う。
今では伊万里市道:塩屋・浦潟線として住民の生活道路として活用がされとる。
ただ、近くにはより便利になった204号線も通っていること、更には状態から見ても今後崩落が無いとは言い難く、いつまでこの風景が見れるかわからない。
いつまでも現役で残ってほしいと思う、美しい隧道やった。