かれこれ遡ること3年ほど前。2011年1月26日。
このように、ほぼ毎日のブログというのを書き始めました。
いやはや、早いものですね。3年なんて絶対に続かないだろう。すぐに飽きるだろう(このところサボる日もありますが)と思っておったのですが、自分ながらに続いたものです。
記事の数を数えてみると前回までに1050。この記事が1051つ目、となります。
最初のころに書いたことなどは、今ではもうすっかり忘れてしまったようなところがあり、今読み返しても恥ずかしいような気持ちですが、それも自分なので仕方ありますまい。
では、この一年を振り返ってみます。
昨年の2月は、じいさまが言うには、これまで知っている中で最も多くの雪が降った冬であったそうです。
そんな中、うちの一番近くのちいさな川の分水嶺を巡る山歩きへ行きました。
最後のほうは、足が疲れ果てて少し近道してしまいましたが、家のすぐ近くにこんな広いフィールドがあるものだと再認識したものです。

3月になるとだんだんと昼の時間が長くなり、晴れ間も多く見られるようになってきました。
この月にやってきたのはパンスターズ彗星(C/2011 L4)でした。
朝日連峰に沈む彗星。
星を眺めるのも好きです。

4月は遅くまで雪が降っていました。
冬と春を行き来するこの季節には、去られる方も多いのだと聞きます。
この4月には、祖母が他界しました。サクラとツバメの好きなばあさまでありました。

5月には、田んぼの季節のはじまりです。
農作業が週末のたびとなる前、連休には恒例で大朝日岳へ。
一日目は、やたらと強風の山になりましたが、翌日にはこれまでにないくらいの好天に恵まれた5月の山となりました。

6月になると、毎朝毎晩に田んぼに立ち寄っては水の管理をしております。
その都度に、おたまじゃくしの様子、モンカゲロウたちの恋のダンス、トンボたちにサンショウウオに数え切れないたくさんの草と虫たち。山あいの田んぼというのは、ほんとに想像しきれないようないろんな生き物たちの過ごす場になっており、それがぼくらの日々の糧を支えてくれているのだと、年を追うごとに実感するのです。
この年になるほどと印象に残ったのは、おたまじゃくしたちと芽生えたばかりの草のことでした。

7月。
6月の中ごろから7月の中旬まで続いた雨の無い夏は一転、今度はひたすらに雨が降り続きました。
幸い、人的被害は無かったものの、川は溢れ、山のあちこちは崩れ、うちの田んぼもかなりの数の崩落が起きてしまいました。今もまだあちこちで復旧作業は続いております。
これからも、5月に雪が消えてきたら、さっそく田んぼの土手などを直す作業に取り掛かりたいものだと思っているのでした。人の手で作ったものは、人の手で直せる。機械を使って作ったものは機械を使わないと直せない、というのを聞いたのはこのころです。

朝日連峰へのそれぞれの登山道も雨の影響がありました。
ぼくの所属する山岳会の手入れを担当している古寺からの登山道は、登山口までの車道はすぐに通れるように直してもらったのですが、登山口から先の傷んだ箇所は、人の手でするほかになく、何度か足を運んで作業をしておりました。
8月の末には県内外からたくさんの山の関係者が集まって作業をしてくれ、数人では途方もない作業量に立ち尽くすしかないくらいに深く掘れてしまった箇所も、二日間でかなり手入れが進んだのです。
人の手というのはたいしたものだとすごくすごく思ったものでした。

雨であちこち崩れてしまった田んぼでしたが、9月には実りの秋を迎えました。
出荷の結果、1等米であったとのことです。粒のムラもなく、よいお米になりました。夏がしっかり暑かったために実りがよかったのですね。
星の教室でお月見をしてだんごを供え物しましたが、お月見だんごもお月様へ実りの感謝の行事なのでしょう。

10月は何度か大朝日岳へ足を運んでおりました。山岳会で開催した山行きには、このブログを読んでくださっている方も参加してくれました。なかなかの晴天に恵まれました。
小屋の前で朝日を待つ人たち。
自分で撮っておいてなんですが、気に入っている一枚です。山で撮った写真なのに、山はあまり写っていませんけれどもね。

11月。
夏の豪雨の影響のあったところに作業の手伝いに行きました。
それと、雪囲いもはじまりました。なんだかんだと一年を通してスコップを持ってばかりいるものですね。スコップ道、なるものがあったなら、段級はどのくらいでしょう。初段くらいにはなったものでしょうか?
間もなく雪が降り、周りの風景は白一色の様子が春まで続くことになります。

12月の年末のことです。
雪と雪雲が空を覆う山形を離れて太平洋側へ。水戸ですね。
広い広い大洗の海。晴れ晴れとして、布団などが干してあって、気象の違いが生活の様子の違いにこれほどに関連しているのだと思ったものでありました。
前年の年末年始には上海に行っていたわけですが、それと同じくらいに景色が山形とは違っているなと思ったものです。

そして1月です。
この一年は、祖母の他界や、豪雨などもあってなのか、あまり高い山、遠い山には行っていない一年でした。家の近くの山や川、あるいは、田んぼ、集落の普段の暮らし、そのような身近なものごとを振り返る気持ちが強くなってきたように思います。
すごくにぎやかでもなく、お洒落なわけでもないけれど、ちいさなお祭りに寄り合ったり、ともに作業をしたり、暮らしのなかにあるあれこれが愛おしく感じられるのでありました。
お供え物が濡れたらいけないから傘をさし、だいこんに楊枝をさしてろうそくを灯して。

この一年を振り返ってみると、ぼくはどうも暮らしの様子を眺めていたようです。(昨年までもそうですが)
自分の集落や、周りの集落の様子を見ていると、20年ほども前に過疎化が深刻化してと叫ばれていたころから考えても、人口の減少は加速しているような気がしております。
あともうちょっとしたらこれはほんとに人がいなくなるんだな、というのが実感されるような具合になってまいりました。
でも、なぜか淋しい気持ちにも、行き先の無い気持ちにもならないのが不思議なものです。
このところは、ちょっとサボり癖が出てきましたが、山にあまり行けていないからかもしれませんね。
できたら、年に一度か二度は、もう足が歩きたくないというくらいの山に行ってみたいものだなあと思っているのでした。
このように、ほぼ毎日のブログというのを書き始めました。
いやはや、早いものですね。3年なんて絶対に続かないだろう。すぐに飽きるだろう(このところサボる日もありますが)と思っておったのですが、自分ながらに続いたものです。
記事の数を数えてみると前回までに1050。この記事が1051つ目、となります。
最初のころに書いたことなどは、今ではもうすっかり忘れてしまったようなところがあり、今読み返しても恥ずかしいような気持ちですが、それも自分なので仕方ありますまい。
では、この一年を振り返ってみます。
昨年の2月は、じいさまが言うには、これまで知っている中で最も多くの雪が降った冬であったそうです。
そんな中、うちの一番近くのちいさな川の分水嶺を巡る山歩きへ行きました。
最後のほうは、足が疲れ果てて少し近道してしまいましたが、家のすぐ近くにこんな広いフィールドがあるものだと再認識したものです。

3月になるとだんだんと昼の時間が長くなり、晴れ間も多く見られるようになってきました。
この月にやってきたのはパンスターズ彗星(C/2011 L4)でした。
朝日連峰に沈む彗星。
星を眺めるのも好きです。

4月は遅くまで雪が降っていました。
冬と春を行き来するこの季節には、去られる方も多いのだと聞きます。
この4月には、祖母が他界しました。サクラとツバメの好きなばあさまでありました。

5月には、田んぼの季節のはじまりです。
農作業が週末のたびとなる前、連休には恒例で大朝日岳へ。
一日目は、やたらと強風の山になりましたが、翌日にはこれまでにないくらいの好天に恵まれた5月の山となりました。

6月になると、毎朝毎晩に田んぼに立ち寄っては水の管理をしております。
その都度に、おたまじゃくしの様子、モンカゲロウたちの恋のダンス、トンボたちにサンショウウオに数え切れないたくさんの草と虫たち。山あいの田んぼというのは、ほんとに想像しきれないようないろんな生き物たちの過ごす場になっており、それがぼくらの日々の糧を支えてくれているのだと、年を追うごとに実感するのです。
この年になるほどと印象に残ったのは、おたまじゃくしたちと芽生えたばかりの草のことでした。

7月。
6月の中ごろから7月の中旬まで続いた雨の無い夏は一転、今度はひたすらに雨が降り続きました。
幸い、人的被害は無かったものの、川は溢れ、山のあちこちは崩れ、うちの田んぼもかなりの数の崩落が起きてしまいました。今もまだあちこちで復旧作業は続いております。
これからも、5月に雪が消えてきたら、さっそく田んぼの土手などを直す作業に取り掛かりたいものだと思っているのでした。人の手で作ったものは、人の手で直せる。機械を使って作ったものは機械を使わないと直せない、というのを聞いたのはこのころです。

朝日連峰へのそれぞれの登山道も雨の影響がありました。
ぼくの所属する山岳会の手入れを担当している古寺からの登山道は、登山口までの車道はすぐに通れるように直してもらったのですが、登山口から先の傷んだ箇所は、人の手でするほかになく、何度か足を運んで作業をしておりました。
8月の末には県内外からたくさんの山の関係者が集まって作業をしてくれ、数人では途方もない作業量に立ち尽くすしかないくらいに深く掘れてしまった箇所も、二日間でかなり手入れが進んだのです。
人の手というのはたいしたものだとすごくすごく思ったものでした。

雨であちこち崩れてしまった田んぼでしたが、9月には実りの秋を迎えました。
出荷の結果、1等米であったとのことです。粒のムラもなく、よいお米になりました。夏がしっかり暑かったために実りがよかったのですね。
星の教室でお月見をしてだんごを供え物しましたが、お月見だんごもお月様へ実りの感謝の行事なのでしょう。

10月は何度か大朝日岳へ足を運んでおりました。山岳会で開催した山行きには、このブログを読んでくださっている方も参加してくれました。なかなかの晴天に恵まれました。
小屋の前で朝日を待つ人たち。
自分で撮っておいてなんですが、気に入っている一枚です。山で撮った写真なのに、山はあまり写っていませんけれどもね。

11月。
夏の豪雨の影響のあったところに作業の手伝いに行きました。
それと、雪囲いもはじまりました。なんだかんだと一年を通してスコップを持ってばかりいるものですね。スコップ道、なるものがあったなら、段級はどのくらいでしょう。初段くらいにはなったものでしょうか?
間もなく雪が降り、周りの風景は白一色の様子が春まで続くことになります。

12月の年末のことです。
雪と雪雲が空を覆う山形を離れて太平洋側へ。水戸ですね。
広い広い大洗の海。晴れ晴れとして、布団などが干してあって、気象の違いが生活の様子の違いにこれほどに関連しているのだと思ったものでありました。
前年の年末年始には上海に行っていたわけですが、それと同じくらいに景色が山形とは違っているなと思ったものです。

そして1月です。
この一年は、祖母の他界や、豪雨などもあってなのか、あまり高い山、遠い山には行っていない一年でした。家の近くの山や川、あるいは、田んぼ、集落の普段の暮らし、そのような身近なものごとを振り返る気持ちが強くなってきたように思います。
すごくにぎやかでもなく、お洒落なわけでもないけれど、ちいさなお祭りに寄り合ったり、ともに作業をしたり、暮らしのなかにあるあれこれが愛おしく感じられるのでありました。
お供え物が濡れたらいけないから傘をさし、だいこんに楊枝をさしてろうそくを灯して。

この一年を振り返ってみると、ぼくはどうも暮らしの様子を眺めていたようです。(昨年までもそうですが)
自分の集落や、周りの集落の様子を見ていると、20年ほども前に過疎化が深刻化してと叫ばれていたころから考えても、人口の減少は加速しているような気がしております。
あともうちょっとしたらこれはほんとに人がいなくなるんだな、というのが実感されるような具合になってまいりました。
でも、なぜか淋しい気持ちにも、行き先の無い気持ちにもならないのが不思議なものです。
このところは、ちょっとサボり癖が出てきましたが、山にあまり行けていないからかもしれませんね。
できたら、年に一度か二度は、もう足が歩きたくないというくらいの山に行ってみたいものだなあと思っているのでした。




















