1995年、ぼくが学生のころのこと、「ハレとケ」という言葉を社会学だか、文化論だかの教授から何回も聞かせられてました。その当時の流行だったのでしょう。

ハレは「ハレの舞台」のハレ。めでたいこと、お祭り、非日常の状態であること。
ケは普通の状態、日常。

同様に、都市=ハレ、農村=ケとも読める。

ケである日常で蓄えたものをバッ!と消費するのがお祭り。
農村の気晴らしでありど~んとやるのが都市。政=マツリゴト?。

構図としては、農村から集まった富を、消費し、享楽とともに技術や文化をつくるのが都市の役割。

ちょっと変になったのは高度成長やバブルのころ、「故郷に錦を飾る」は、都市にでて成功することであり、経済が発達するとは、お金が無いとなんともならないということでもあり、家を継げない次男以降は都市に出てお金を稼ぐのが「仕事」になった。

都市がお金持ちになるにつれ、日本全国を均等に豊かに(もちろん賛成です)しましょうということになった。あの総理大臣のはなしかな?

農村を都市化していくことになるのだから、その役割はどこに行くのか。・・・外国。
食料を輸入し、木材を輸入し、石油を輸入する。

だから、日本に「ケ」である「農村」は必要なくなり、過疎化、○○銀座、はんぱな三流の都会としての田舎ができあがり。

当時の講義内容と、その後読んだ本と、考えたことと、いろいろまじってます。原発の件と、ハチマキさんが書いていた影法師の歌詞で思い出しました。

以下、ハチマキさんの記事より。影法師は山形のフォークグループで、この曲は発表当時物議を醸した記憶があります。ハチマキさんの住む長井市やとなりの白鷹町は、環境対策の先進的なところです。ハチマキさんとは同じ山系を愛するもの同士(あらまあ、照れます)。

私の故郷長井の「現場歌手・影法師」の「白河以北一山百文」という歌です。
歌詞は長井弁で歌われています。
作詞:あおき ふみお 作曲:横沢 芳一

都会で出たゴミ しこだまつけで 
トラックこっちさ のんべにくる
こごらの土地は 値打ちねえがら
ゴミぶん投げんに 丁度ええなだど

 ※白河以北 一山百文て
  見がすめらっちゃ あん時がら
  あっちの野郎めら 持ってくんなは
  おらだのだってもの ばっかしだ

リゾートなつうもの こしゃうために
山だて沢だて ぼっこされる
ちゃらちゃら遊ぶ 野郎めらのため
なしておらんだが 泣がんなねなや

 ※繰り返し

原発みだいな だってものは
なえでもこっちさ 押しつけてよごして
ええ思いしんなは われらばっかし
ばっぺなもんだな 東北なつうなは

 ※繰り返し

ゴミだて原発だて おめだのもんだも
そっちで何とが すんながスジだべ
ゴミにまみっちぇ 生きてみんだ
原発背負って 暮らしてみんだ

 ※繰り返し

ハチマキさんのブログです。標準語訳はこちらで。

「白河以北一山百文」という言葉は、明治維新のころにさかのぼる歴史があるのだそうな。

原発に限らず、うちの近くにもこっそりごみ捨てに来てるトラックがいたり、かつては山を崩してリゾート地にしよう、とか、用もないのに大きな林道を作ろうとか。それが実際の話。

ここ数年来、流行しているロハスだとかスローライフ(田舎の暮らしは実際のところ季節にあわせていろいろあるのでスロー=ゆったりではないのだけど)とか、森ガール(ちょっと違うか?)とかは、なんか変だよねと感じてのことなんて曲解だろか?。ダッシュ村とか、田舎暮らしブームとかね。

原発の件は世間話でもしますが、こんなことがあっても電気のために原発が必要だという意見も聞きました。考え方はもちろんそれぞれだけど、避けることができるはずの不幸をかぶり、故郷にいつ帰れるかわからない人がいる。放射線が出てるところに行かないといけない人がいる。であれば、便利だろうがなんだろうがよろしくない。ぼくが思うのはただそれだけです。
今、福島の原発で作業してくれている人はもちろん尊敬に値するヒーローですが、ヒーローが必要な状況とはヘヴィな状況のことです。ヒーロータスケテ~、ってならないのがもちろん第一です。

この件はどうも誰しもが感情的になってしまうようでいけませんね。
これを「都市VS田舎」や「都会VS東北」という対立構造にしてははならぬです。歌詞にある「ちゃらちゃら遊ぶあの野郎めら」は数代もさかのぼることなく農村から集まってますからねぇ。ぼくもなんとなく自分は将来東京に暮らすのかな?なんて思ってました。数日で無理だとわかったのだけど。
これからの都市の役割は、たとえば電気を使わない技術開発とか、システム作り、むやみな消費でなく新しい価値観を作り出すこと。そういうことでしょうか?

でも、しばらくは電気不足が続きそうですから、田舎暮らし良いなあという人はいっそ引っ越すのも一考ですよ?ぼくのうちにはクーラーありません夏涼しいのでいりません。都市部も人口密度がひくくなればちょっとは涼しくなるはずだし。

過疎化も解消・・・これが結論?

※なんかやっぱり長くなりました。いやあ目がちらちらして読みにく~い。
過去に、夜間の星の撮影時にレンズが曇らないように買ったもの。
曇り対策は・・・露光が終わったらすぐてぬぐいをかける。それでも曇ったら撮影終了。

で、これは結局本来の防寒のために使ってしまった。先々週に燃料不足で職場が寒かったので使いました。先週は、燃料の木炭が無くなってしまい使用終了。
売ってるところがちょっと遠いので買いに行かれない。

しかし、温かいものです。使い捨てのものとは段違いです。あまり肌に近いとやけどしそう。
昔、家で使っていた豆炭コタツの香りがして反射的に眠くなる。
使い始める時に、1センチくらい火を点けてそっとそっと閉めるのがコツ。
あまり寒いと・・・消えてる。
この面倒な感じが、便利じゃないところだけど、好きですねえ。こういうの。

なんだかんだで、使用回数が多いのでふくろがちょっと汚い。
しかし、カイロについてきたこのふくろは手作り感に溢れてて、なんかね、工業品じゃないような感じがします。

楠灰カイロと言ってみたり、桐だったり。木炭カイロというと間違いないのかな?

山の草とか花とか虫とか-木炭カイロ

こちらは使ったあとの灰。豆炭の燃えたのと似てる。もとの木炭はこの灰くらいの大きさの炭の棒。
山の草とか花とか虫とか-使用後

白い綿はアスベストではあるまいな~?グラスウールかなぁ?

うちの周りは木はたくさんあるので、この燃料の木炭スティックとか豆炭作れないだろうかと思います。ただ単に炭を乾かしているのではないような感じですよ。もえかすを見るとねぇ。
今日もかわらず午前中に雪がちらついていました。午後からは晴れたので陽が暮れたら星の写真を撮ろうと思っていたら、また雪が降ってきてしまいました。がっかり。

いろんな方のブログを読んでいたら、停電が続いている間に星の写真を撮って、電気復旧後にアップしている人がいました。最近になってから復旧はずですから、大変な状況の中三脚だして夜中こっそり撮ってたのだろうかなんて想像してしまいます。

実はぼくも、停電の夜が2日間あったのでいつも町のほうが明るくて見られないような夜空を見たくなってました。雪だったので叶わず。不謹慎なのかな?

普段煌々と点いている看板やむやみな街灯が消えているのはなかなか無いこと。
今は、公道の街灯などが点いているのものの、スーパーやコンビニは看板の明かりを消しているし、営業時間も短いので震災前よりは夜暗いはず。

これは3月23日に撮ったもの。ちょっと補正してありますが、なかなか綺麗にできません。ノイズが多い。
$山の草とか花とか虫とか-冬の大三角

スギの梢の左はおおいぬ座のシリウス、シリウスの画面の上のほうの明るいのがこいぬ座のプロキオン、シリウスの右側の画面右側1/3くらいのところのがオリオン座の三ツ星、その上の明るいのがベテルギウスです。(文だとわかりにくい)

シリウス、プロキオン、ベテルギウスの3つで所謂冬の大三角。
冬の星空は豪華で、この近くにふたご座(足だけ写ってる)のポルックス、ぎょしゃ座のカペラ、おうし座のアルデバラン(写真の右端のがそうかな?)、も。こちらをあわせて冬のダイヤモンドなんて言うらしいです。

これからは、もうちょっと夜暗くっても良いんじゃないかと・・・思う。
それはお前だけだよって言われるんですけど。


※ずいぶん平和なことやってるやつだと思われそうですが、2日間ほど街頭募金を手伝えました(おねがいしま~すと言うほう)。お金で解決できることは少ないですが、あっても邪魔にはならないですよね。自分の貯金箱を持ってきてくれる子もいて、感極まってしまいました。ほかの募金活動したこともありますが、反応が違いました。集まった募金は日本赤十字に。(領収書出してくれるのであとできちんと収めたこと証明できる)うさんくさいのも増えてるようですし。

テレビを見てると、現地のトイレ掃除くらいなら手伝えそうとも思うのだけど・・・。
個別に動くよりも、緊急時ほどみんなでしましょ、というのも基本かなぁ。過去の事例を見ると専門技能のない人が行ってもできることが少ないよう。岩手も、宮城も、福島もテレビに写るのが行ったことのあるところでなんとも歯がゆいです。