全般的にクモが好きなのですが、ハエトリグモが特に好きです。
なんでだろうなあ?可愛いんだよね。すごく。

これは昨日も載せたアリに似たクモ。
クモの図鑑はなかなかない(高価なので)ので、ネットで調べてみました。

その名も、アリグモ。みたいでした。
これは、メスのようです。
山の草とか花とか虫とか-アリに似たクモ

葉の上にいるのをちょっと離れて見ると、アリにしか見えません。
山の草とか花とか虫とか-アリグモ♀

でも。正面から見ると!
ほほう。
やっぱハエトリグモです。
正面の2つの目がまんまるで多きい。
山の草とか花とか虫とか-アリグモ♀正面

こっちは・・・結局調べられませんでした。
黄色い足におなかのまわりの縁取りが特徴的なのだけどなあ。
山の草とか花とか虫とか-ハエトリグモの一種

ほら、おなかのまわりが白い帯。
山の草とか花とか虫とか-ハエトリグモの一種

すごいなあって思ったのがこれ。
ちょっと動きについていけなかった・・・。
写真の右上にクモがいます。
おなかの部分に、白い丸が4つ。
シラホシコゲチャハエトリというハエトリグモの一種であるみたい。
左下の赤い点、これ、タカラダニというダニの仲間みたいです。
これが、なんとおいかけっこしてました。
山の草とか花とか虫とか-シラホシコゲチャハエトリとタカラダニのチェイス

こちらは、棚のように水平な網を作るタナグモの仲間。
クサグモなのかな?
体に対して、目の大きさがハエトリグモとまったく違います。
観察していると、網に虫がかかるまで全く動きません。
網を作るクモは、振動で動きますよね。(このクモのハンティングについては明日にでも書きます)
山の草とか花とか虫とか-クサグモかな

ウシやウマ、シカにウサギ、これらは目が頭の横にありますが、サル、ヒト、ネコ、イヌなどは顔の正面に目があります。これらの違いは、教科書に出てくるくらい有名でしょうけど、周囲の捕食者を警戒する草食獣と、距離を測り、獲物を捕まえたり、木をつかんだりする哺乳類の生き方の違いですよね。

クモもおなじなのでしょうね。
ハエトリグモは、動く獲物を見事に捕らえる狩りの名手。
(実際には結構失敗するのです。タカラダニを追っていたシラホシコゲチャハエトリは途中であきらめてました)

あ・・・。

くりくりおめめだから可愛いのだ、という落ちにしようかと思って書き始めたのに、なんでくりくりおめめを人間(ぼくが)が可愛いと感じるのか疑問が生じ、自問自答に窮してしまいました。
昨日の記事に書いたのですが、小学生のキャンプの手伝いをしてきました。
帰ってきてちょっとびっくりしました。みなさんたいへん興味があるのだな、と。
コメントにもそれぞれ書いたのですが、やはりいろいろ考えることがありそうです。
雑記として書いておきたいと思います。長いのでひまなときにでも眺めていただくと嬉しいです。

ぼくが手伝いにいったキャンプは、なんというか、骨董品のような伝統的なクラシカルなタイプのキャンプです。
一緒に活動している人たちはいろんな人たち。キャンプ協会(そういう団体があるのですよ。なんにでも協会はありますね)の会員などもいます。
ぼくは、植物だとか、ナイフの使い方だとか、森を歩きましょうとか、そういった担当です。
(特に担当を決めているわけではないですが、それぞれの好きな分野、なのでそうなります)

基本的なコンセプトは、「子どもたちが自分でする」ことです。
キャンプするのは、ぼくらではなく彼らだからね。

知り合いで学校の教員をしている人が言っていました。
彼は、美術の担当だそうですが、学校の授業の美術というのは、教科書があり、課題があり、それに対しての到達度が評定や単位になり、するべき作業がすでに決められているとのことなのでした。
「学校の授業」としてするのだから、その点は仕方ないのだと。
芸術を愛する人であれば、やはり、「美術」に課題や、到達度が設定される矛盾については悩むところでしょうね。だって「なにを表現したいのか」というのが、芸術の一番大事なところなのだもの。
これはむつかしいし、そう聞いただけなのでこのへんで。

なにが言いたいのかっていうと、上手くいくように授業が進むわけです。

また、家庭では、子どもが手間取ったりしていると、たいていおうちの人がやってくれてしまいます。

つまり、失敗しないように、「正しい方法」が決められていて悩むところがない。
あらかじめ「上手くいかない可能性」が排除されてしまっているんですなあ。可哀想に。

この活動はぼくも企画段階から手伝っています。

たった1泊2日。食べて寝て起きて帰るだけ。です。

5人程度の班で活動するのですが、まず自分たちで調理する献立から決めないといけません。
・・・献立って、つまり自分たちの食べたいものだから、「正しい答え」は自分たちで決めないといけないですね。答えがまだないものに対して、いかに合意形成するのか。
おおげさですけどね。これが民主主義の基本です(ほんとおおげさ)。

買い物も自分たちでお店を決めて、歩いて買いに行く。
調理する段階になって買い忘れに気がついても手遅れです。
あるものでなんとかさせます(10kmくらい歩くというならそれもありでしょ)。

つまり、ぼくらは周到に「準備していない状態」を準備してるのだ。ははは。悩め子どもたちよ。

あと、やらせたいのは刃物を使うこと。
なかなか本物の刃物に触れていないです。
「できる」と思っているんです。やったことがないのにね。
ここでは、食事に使う箸を竹で作らせます。
割り箸ならみんなぽいぽい捨ててしまうけど、じつに大事に自分のつくった箸を使うんですよ。
ぼくは、基本的な刃物の使い方を説明しました。
竹の繊維はどうなっているか。
刃物を使うときには、力の要る角度は間違いであること。
刃先が視界からはずれるときには、きちんとサヤに収めること。
刃の進む先に、自分の体やほかの人がいないようにすること、など。

ほら・・・。手元あやしいでしょ。
見てると怖いから家でも学校でもいまはなかなかやらせないんだ。
これに限らず、使い捨てのものはありません。
調理器具も借り物だから「使う前より綺麗に」して返さないといけない。
厳しいのだぞ。
山の草とか花とか虫とか-切り出しナイフ

これも。
ああ、見てると怖い。
でも大人は基本見てるだけ。大きな怪我ししそうな間違いがあったら怒ります。それだけ。
山の草とか花とか虫とか-ジャガイモの皮むき

テントもおなじ。
これは昔懐かしの、A型テントのちょっと改良版のFA型というらしい。借りました。
グランドシートが一体型で、設営が簡単なのが残念だけど、引き綱の基本は一緒です。
10歳の子には、これまで持ったなかで一番重たい荷物なのかも。
これも「出来る」と思っている。
「君たちだけで出来る?」って聞くと「出来る」って言うんですね。
やってみると出来ない。(これは今の大人もおなじです。山行ったりしている人を別として)
設営には1時間30分くらいかかりました。
ぼくはこれをあらかじめ日干ししたのですが、干したあとの撤収は、12張を2人で1時間。
つまり1張に5分。設営は大人なら10分もかかりません(慣れていれば)。
山の草とか花とか虫とか-A型テント

次は火。
マキも数百メートル離れたところから自分たちで持ってこさせます。
無駄に使うと、往復1km持って歩かないといけません。
火を適度に保つことは難しいですよ。ガスならひねるだけだけどね。
火は気難しいのだ。大きすぎれば焦げるしマキがなくなる。
山の草とか花とか虫とか-薪の火で調理

火が暮れたら、林の中のキャンプ場の近くの森のなかを歩きます。
きもだめし、ではないよ。
ただまっくらな森のなかに行くだけです。
昨日はちょっと歩き始めが早くなってしまい、夜8時では十分には暗くありませんでした。
ぼくは、一緒に歩いて、懐中電灯をみんなで消して闇を見たり、陸生ホタルの光を探したり、七夕の話をしたり。残念ながら曇りで星は見えませんでした。

夜の暗い森を体験するからこそ、火が有難いのです。
火の光が届く範囲は人の世界、届かぬ先は異界です。
山の草とか花とか虫とか-キャンプファイア

キャンプファイアは粛々と行われます。
神聖なものだからねえ。
そして、火の神が登場します。
・・・なんというか、博物館に展示したいくらいクラシカルでしょ。
昭和の香りのするキャンプなのです。
山の草とか花とか虫とか-火の神
火は便利でもあり、怖くもあり、だから神様がいるわけだ。敬い奉る。
あの「悪魔の火」には神様はいなかったよね。敬っても奉ってもいないでしょ。ぼくら。

ちょっとした自然観察もします。
基本的には、付近の森のなかの危険なものを先に観察。
かぶれることのあるウルシはこれね。とか。
ハチは羽音に注意する。アシナガバチの巣の作りやすいところ。
(実際に、ぼくが見つけて説明しました)
あと、マムシやヤマカガシなど毒蛇の隠れている可能性のあるところなどね。

夕食を食べてたりすると、アリがうろうろ。
はじめは、アリ嫌だ、とか言って潰してる子がいたけど・・・。
クロヤマアリ、ハヤシケアリみたいなちいさい色の違うアリ、アカヤマアリなどの違い。
あとこれ、ヨツボシオオアリというおしりに白い班があるアリがいました。
ほらあ、いろいろ違うでしょ。
山の草とか花とか虫とか-ヨツボシオオアリ
※写真は、別なときに撮っておいたもの。

あと、一緒の班の子と探したのはこれ。
アリにそっくりなクモ(ハエトリグモの一種)がいるのだ。時々ね。
山の草とか花とか虫とか-アリに似たクモ
これも別なところで撮っていたものですけど、おしりの縞模様や胸のあたりの形がそっくり。
また、8本足のうち前2本を触角みたいに使い、動きもそっくり。
・・・時折、ぴょんと飛ぶのが違うけど。

この違いを知っただけで、さっきまで嫌だったものが、もう友達。
一生懸命いろんな種類を探していました。アリに似たクモもね。
たった5分でちいさなファーブル候補誕生。

口をすっぱくして、「おまえらが自分でやるんだよ」といっても、いつの間にか逃げるのがいるんです。からの食器の前に座って、だれかがよそってくれるのを待っている。
「おまえら!だまってすわってりゃマンマくえっと思ってんのぁ?おまえがやんなきゃまんまくえねえぞぅ」とどやすわけだ。

ちょっとだけやけどした子がいました。看護師をしているスタッフもいるので見てもらいます。
まあ、痛いだけのやけどでした。きちんと冷やして対応はします。
「痛いよう」というのですね。やけどって切り傷とも違う痛みですよね。
ぼくは「そうだよ、痛いんだよ。やけどしたら痛いんだよ」って。
でもね。やけどすることさえ、出来ないんですよ。普段彼らは。

どの内容も簡単そうですよ。こうやって見るとね。
でも、箸を作るのに1時間、テントを張るのに1時間30分、夕食に3時間。
こりゃ、家族のキャンプでも、学校の体験活動(数年前からやらないといけなくなったのだってさ)でも待てませんよ。

そう、彼らはあらかじめ「失敗する機会」を喪失している。
スムーズにことが進むように準備されすぎていて、悩むことも、矛盾することもできないのだな。
間違えて試行錯誤することを待ってあげられないのです。大人が。

矛盾なく、間違えることなく育った人は、だれかの過ちに「矛盾してるぞ!説明責任を果たせ」と大声を張り上げるのだ。
まあ、それも必要かも知れないけどね、とはいえ人を責めても自分のマンマが出来るわけでなし。
矛盾したから死ぬわけでなし。
矛盾してフリーズするのはコンピュータだわ。
計算機は矛盾できないからね。
人間は・・・矛盾できるんですぜ。すごいだろ。(これはあまりしないほうが良いですけどね)

今回のスタッフは、学校の先生でもなく、普段は別なことをしているそのへんのひとたちです。
ぼくを含め。(つまり暇を持て余して暇のないオカシナ物好きたちですね)
学校でも、家でもない、そんな場所が子どもたちには要るのだと思うのですよね。
(どんぐりみたいなね)

片田舎で自然いっぱいのところに住んでいる子どもたちすら、こうなのだから、都市部はどうなってるんだろね?怖ぁ!

やはり、日程がつまるほどにいろいろ考えます。
シロートが知ったかぶりすんじゃねえとか教育の「専門家」から言われそうですね。

ここまで読んでしまったかたもきっと「暇を持て余して暇のないオカシナ物好き」だと思います。
嬉しい。

ありがとうございます。
今日は、小学生たちのキャンプの指導(指導っていいかたはあまりねえ。どうなんだろう)でキャンプです。この記事が公開されているころは、みんなで夕食を食べたころでしょう?

キャンプのお手伝いをして、もう何年目だろうか?
しばらく経ちます。
自分でやっていても、キャンプとは不思議な風習ですね。

昨日の夕方に、キャンプファイアの準備をしました。
林の中で倒れてしまった木や整理した木などをもらって組みました。
ティピー型という組み方だったかな?携帯で撮影しました。
山の草とか花とか虫とか-キャンプファイア

こちらも携帯で。
林はすっかり夏です。
山の草とか花とか虫とか-林と夕陽

毎年この時期にキャンプをするのですが、ちょうどウツボグサが咲きます。
ぼくにとっては、本格的に夏のはじまる合図みたいな花です。
こっちはいつものカメラで撮りました。
山の草とか花とか虫とか-ヤブのなかのウツボグサ

ほかの夏草に埋もれながら咲いていたので、ぼくも一緒に草むらに埋もれて撮ってみました。
山の草とか花とか虫とか-ウツボグサ

濃い紫のツボミがまだ隠れています。
これからが本格的な花期なのでしょう。
山の草とか花とか虫とか-ウツボグサ花

う~ん。なんでキャンプをするのかなあ?

ぼくなりに考えてみました。
普段は、虫や星のことを考えているのだけど、時折もうちょっとだけいろんなことを考えることがあります。・・・たいてい日程に余裕がないような時に限って。

ぼくは、山に行ったり、花を眺めたり、そんなことをしていることが多いので、
「きみはずいぶんお気楽でよいこった。社会は厳しいのだぞ。コラ」
なんて言われることがあります。
はい、お気楽なのはもともとなので仕方がないです。

しかし、社会は厳しいというのはどのような表現なのかなあ?

中学校の卒業式、高校でも、社会人になるときにも、判を押したように「社会は厳しいのだぞ」と繰り返し、校長先生や担任の先生や、職場の上司にも言われました。

北東北をぐるっと3桁の国道(つまり細い道ばっかり)や林道で回ったときのこと。
夜に暗くなるまで、地図も見ずに乗っていると、結局そのへんの道路沿いや山奥で幾晩かいきあたりばったりに眠りました。はい、無計画なので。無計画こそが、一人旅の魅力です。
テントを持っていても、めんどくさくなって、寝袋やそのままで寝てしまったり。
夜の森は寒かったり、動物の音がしたらびくっとなって眠れなくなったり、海辺では風が強くて眠れなかったり。

また、数年前に単独行で山に行った際、9月なのに、雨からミゾレに変わり、まだ登っていたら吹雪になり、びしょぬれになったことがありました。
ちょっとでも雨が落ちてきたらレインウェアを着るべきですね。そのときにはなぜだか、着ないでずぶぬれになってしまいました。
登りはじめて3時間。濡れたままうえには進めない天候だったので引き返しました。
そのうち朦朧としてきて、なんでここにいるのだろ?とか思った記憶があります。
恐怖心と焦りばかりの下山ルートが長かったことといったらないですね。

なんというか・・・。あれだ、山でちょっと雨に濡れただけで人間は死んでしまうこともあって、実に弱々しいです。ちいさいネズミはしっかり山で暮らしているのにね。
大型哺乳類のくせに、森のなかで物音がしただけで眠れやしないですね。

社会は、自然のなかでは生きのびられない人間が作ったものでしょうから、厳しかったら困ります。
卒業式のえらいひとの挨拶は、「社会は厳しい」でなく、「社会が優しくあるためにどうするか」だったら良かったかなあ。・・・その手の挨拶はあまり聞いているひとがいない気もするけど。

また、社会を、ぼくはまだ見たことも、触ったこともないけど、歪んでいるなどと言う人もいるようです。見たことがないから歪んでいるかどうか、ぼくにはわかんないけれど。
みんなあると思っているのに見えないし触れないのだから共同幻想だ。こりゃ。

何人集まれば、そう呼んでよいのかわかりませんが、仮に、二人の場合、もう1人の人間に朝会った時に「やあ、今日も良い日だねえ」とにこやかに挨拶したとすると、ぼくとその人にとっての「社会」は明るのではないのかなあ。
「いやあ、良い雨だねえ」でもおなじ?
「やあ、歪んでるね、今日も」と言ったら歪む・・・でしょうね。
朝会ったのに、挨拶が返ってこなかったら、暗く閉塞感で満ちるでしょうなあ。
幻想だからなあ。ころころ変わるなあ。

あれ?なんだっけ。
書いてたらなんの話だか忘れました。
そうそう、キャンプです。

子どもたちは、初めてのテント泊では眠れないこともあるようです。
もちろん、すぐにでも帰れるキャンプ場だから危険ではないのだけど。
次の日に家に帰るときの顔はねえ。なんか大きな困難を乗り越えたような顔つきです。
うちの人とのキャンプともまた違う感じなのだろうね。

はじめてのテント泊を終えて、家に帰って眠るときには、屋根や壁やふとんのありがたさがわかるよねえ。ちょっとだけ自然の怖さに触れるような。
社会とは、つまりふとんか?
べたべたのふとんになるのも、歪んだふとんになるのも、人次第か。
キャンプを経験した子どもたちにはなんとなくこんなことが伝わらぬものかなあ。
いつものとおりが、いつもでありがたい。そんなことを感じるため効能がキャンプにはあるのかな?

ぼくのふとんは、ウツボグサの香りかも知れないし、だとするとミツバチなどがくるかも知れないです。ぶ~ん、ぶん。

明日にははやくも家に帰りますよ。たった1泊2日かあ。
子どもたちには10泊くらいさせたいですけどね。

では

Plant×50

・・・1種×50=50円

7月1日から累計150円  4月:3,050円 5月:3,400円 6月:2,500円