昨日の記事に書いたのですが、小学生のキャンプの手伝いをしてきました。
帰ってきてちょっとびっくりしました。みなさんたいへん興味があるのだな、と。
コメントにもそれぞれ書いたのですが、やはりいろいろ考えることがありそうです。
雑記として書いておきたいと思います。長いのでひまなときにでも眺めていただくと嬉しいです。
ぼくが手伝いにいったキャンプは、なんというか、骨董品のような伝統的なクラシカルなタイプのキャンプです。
一緒に活動している人たちはいろんな人たち。キャンプ協会(そういう団体があるのですよ。なんにでも協会はありますね)の会員などもいます。
ぼくは、植物だとか、ナイフの使い方だとか、森を歩きましょうとか、そういった担当です。
(特に担当を決めているわけではないですが、それぞれの好きな分野、なのでそうなります)
基本的なコンセプトは、「子どもたちが自分でする」ことです。
キャンプするのは、ぼくらではなく彼らだからね。
知り合いで学校の教員をしている人が言っていました。
彼は、美術の担当だそうですが、学校の授業の美術というのは、教科書があり、課題があり、それに対しての到達度が評定や単位になり、するべき作業がすでに決められているとのことなのでした。
「学校の授業」としてするのだから、その点は仕方ないのだと。
芸術を愛する人であれば、やはり、「美術」に課題や、到達度が設定される矛盾については悩むところでしょうね。だって「なにを表現したいのか」というのが、芸術の一番大事なところなのだもの。
これはむつかしいし、そう聞いただけなのでこのへんで。
なにが言いたいのかっていうと、上手くいくように授業が進むわけです。
また、家庭では、子どもが手間取ったりしていると、たいていおうちの人がやってくれてしまいます。
つまり、失敗しないように、「正しい方法」が決められていて悩むところがない。
あらかじめ「上手くいかない可能性」が排除されてしまっているんですなあ。可哀想に。
この活動はぼくも企画段階から手伝っています。
たった1泊2日。食べて寝て起きて帰るだけ。です。
5人程度の班で活動するのですが、まず自分たちで調理する献立から決めないといけません。
・・・献立って、つまり自分たちの食べたいものだから、「正しい答え」は自分たちで決めないといけないですね。答えがまだないものに対して、いかに合意形成するのか。
おおげさですけどね。これが民主主義の基本です(ほんとおおげさ)。
買い物も自分たちでお店を決めて、歩いて買いに行く。
調理する段階になって買い忘れに気がついても手遅れです。
あるものでなんとかさせます(10kmくらい歩くというならそれもありでしょ)。
つまり、ぼくらは周到に「準備していない状態」を準備してるのだ。ははは。悩め子どもたちよ。
あと、やらせたいのは刃物を使うこと。
なかなか本物の刃物に触れていないです。
「できる」と思っているんです。やったことがないのにね。
ここでは、食事に使う箸を竹で作らせます。
割り箸ならみんなぽいぽい捨ててしまうけど、じつに大事に自分のつくった箸を使うんですよ。
ぼくは、基本的な刃物の使い方を説明しました。
竹の繊維はどうなっているか。
刃物を使うときには、力の要る角度は間違いであること。
刃先が視界からはずれるときには、きちんとサヤに収めること。
刃の進む先に、自分の体やほかの人がいないようにすること、など。
ほら・・・。手元あやしいでしょ。
見てると怖いから家でも学校でもいまはなかなかやらせないんだ。
これに限らず、使い捨てのものはありません。
調理器具も借り物だから「使う前より綺麗に」して返さないといけない。
厳しいのだぞ。

これも。
ああ、見てると怖い。
でも大人は基本見てるだけ。大きな怪我ししそうな間違いがあったら怒ります。それだけ。

テントもおなじ。
これは昔懐かしの、A型テントのちょっと改良版のFA型というらしい。借りました。
グランドシートが一体型で、設営が簡単なのが残念だけど、引き綱の基本は一緒です。
10歳の子には、これまで持ったなかで一番重たい荷物なのかも。
これも「出来る」と思っている。
「君たちだけで出来る?」って聞くと「出来る」って言うんですね。
やってみると出来ない。(これは今の大人もおなじです。山行ったりしている人を別として)
設営には1時間30分くらいかかりました。
ぼくはこれをあらかじめ日干ししたのですが、干したあとの撤収は、12張を2人で1時間。
つまり1張に5分。設営は大人なら10分もかかりません(慣れていれば)。

次は火。
マキも数百メートル離れたところから自分たちで持ってこさせます。
無駄に使うと、往復1km持って歩かないといけません。
火を適度に保つことは難しいですよ。ガスならひねるだけだけどね。
火は気難しいのだ。大きすぎれば焦げるしマキがなくなる。

火が暮れたら、林の中のキャンプ場の近くの森のなかを歩きます。
きもだめし、ではないよ。
ただまっくらな森のなかに行くだけです。
昨日はちょっと歩き始めが早くなってしまい、夜8時では十分には暗くありませんでした。
ぼくは、一緒に歩いて、懐中電灯をみんなで消して闇を見たり、陸生ホタルの光を探したり、七夕の話をしたり。残念ながら曇りで星は見えませんでした。
夜の暗い森を体験するからこそ、火が有難いのです。
火の光が届く範囲は人の世界、届かぬ先は異界です。

キャンプファイアは粛々と行われます。
神聖なものだからねえ。
そして、火の神が登場します。
・・・なんというか、博物館に展示したいくらいクラシカルでしょ。
昭和の香りのするキャンプなのです。

火は便利でもあり、怖くもあり、だから神様がいるわけだ。敬い奉る。
あの「悪魔の火」には神様はいなかったよね。敬っても奉ってもいないでしょ。ぼくら。
ちょっとした自然観察もします。
基本的には、付近の森のなかの危険なものを先に観察。
かぶれることのあるウルシはこれね。とか。
ハチは羽音に注意する。アシナガバチの巣の作りやすいところ。
(実際に、ぼくが見つけて説明しました)
あと、マムシやヤマカガシなど毒蛇の隠れている可能性のあるところなどね。
夕食を食べてたりすると、アリがうろうろ。
はじめは、アリ嫌だ、とか言って潰してる子がいたけど・・・。
クロヤマアリ、ハヤシケアリみたいなちいさい色の違うアリ、アカヤマアリなどの違い。
あとこれ、ヨツボシオオアリというおしりに白い班があるアリがいました。
ほらあ、いろいろ違うでしょ。

※写真は、別なときに撮っておいたもの。
あと、一緒の班の子と探したのはこれ。
アリにそっくりなクモ(ハエトリグモの一種)がいるのだ。時々ね。

これも別なところで撮っていたものですけど、おしりの縞模様や胸のあたりの形がそっくり。
また、8本足のうち前2本を触角みたいに使い、動きもそっくり。
・・・時折、ぴょんと飛ぶのが違うけど。
この違いを知っただけで、さっきまで嫌だったものが、もう友達。
一生懸命いろんな種類を探していました。アリに似たクモもね。
たった5分でちいさなファーブル候補誕生。
口をすっぱくして、「おまえらが自分でやるんだよ」といっても、いつの間にか逃げるのがいるんです。からの食器の前に座って、だれかがよそってくれるのを待っている。
「おまえら!だまってすわってりゃマンマくえっと思ってんのぁ?おまえがやんなきゃまんまくえねえぞぅ」とどやすわけだ。
ちょっとだけやけどした子がいました。看護師をしているスタッフもいるので見てもらいます。
まあ、痛いだけのやけどでした。きちんと冷やして対応はします。
「痛いよう」というのですね。やけどって切り傷とも違う痛みですよね。
ぼくは「そうだよ、痛いんだよ。やけどしたら痛いんだよ」って。
でもね。やけどすることさえ、出来ないんですよ。普段彼らは。
どの内容も簡単そうですよ。こうやって見るとね。
でも、箸を作るのに1時間、テントを張るのに1時間30分、夕食に3時間。
こりゃ、家族のキャンプでも、学校の体験活動(数年前からやらないといけなくなったのだってさ)でも待てませんよ。
そう、彼らはあらかじめ「失敗する機会」を喪失している。
スムーズにことが進むように準備されすぎていて、悩むことも、矛盾することもできないのだな。
間違えて試行錯誤することを待ってあげられないのです。大人が。
矛盾なく、間違えることなく育った人は、だれかの過ちに「矛盾してるぞ!説明責任を果たせ」と大声を張り上げるのだ。
まあ、それも必要かも知れないけどね、とはいえ人を責めても自分のマンマが出来るわけでなし。
矛盾したから死ぬわけでなし。
矛盾してフリーズするのはコンピュータだわ。
計算機は矛盾できないからね。
人間は・・・矛盾できるんですぜ。すごいだろ。(これはあまりしないほうが良いですけどね)
今回のスタッフは、学校の先生でもなく、普段は別なことをしているそのへんのひとたちです。
ぼくを含め。(つまり暇を持て余して暇のないオカシナ物好きたちですね)
学校でも、家でもない、そんな場所が子どもたちには要るのだと思うのですよね。
(どんぐりみたいなね)
片田舎で自然いっぱいのところに住んでいる子どもたちすら、こうなのだから、都市部はどうなってるんだろね?怖ぁ!
やはり、日程がつまるほどにいろいろ考えます。
シロートが知ったかぶりすんじゃねえとか教育の「専門家」から言われそうですね。
ここまで読んでしまったかたもきっと「暇を持て余して暇のないオカシナ物好き」だと思います。
嬉しい。
ありがとうございます。