さて、そばをいただいたあとに、うちの近くへ戻り、今年のうちに撮っておきたいところへ行きました。

ここはぼくが子どものころから遊びに行ったりしていた集落です。
ここは茅葺屋根のおうちが何軒も残っていて、最近には、新聞に載ったりしたこともありました。
知り合いが、ここの茅葺屋根を残そうということで、屋根葺きの作業の講習会などを企画してやっていて、関東のほうからお手伝いもあったほどだそうです。(ぼくは参加できませんでした)
山の草とか花とか虫とか-茅葺屋根1

茅葺屋根の補修は、大がかりにするのと、カヤを新たに継ぎ足してするのとあるようで、ここでは継ぎ足しになっているのが見られました。すこし色合いの違うのが複数個所ありますね。
山の草とか花とか虫とか-茅葺屋根2

こちらは、ちょっと大きく補修してありました。
山の草とか花とか虫とか-茅葺屋根3

作業の際には、屋根葺きの職人さんもいらっしゃってやったそうです。
かつては、茅葺屋根の材料にする茅(ススキなど)を育てる草むらが管理されてあったところが多かったそうですが、今は、そういう場所がなくなって、代わりに休耕田にススキが広がっているところから材料を調達したりすると聞きました。
現在、減少の危機にある植物種の多いのは草原に生えていた草などだそうです。その草原と言うのは、茅葺のためにススキの野原になるようにある程度手を入れているところや、焼き畑のお休み中のところであったりしたのでしょう。
野山、と一緒にまとめて呼ぶのですが、山は山のままあるものの、野というのがへってきたのでしょうね。
人里の近くにあった山は、「里山」となるほどなネーミングがあって、見直されているところなのですが、その里山と集落のあいだに、たくさんあちこちに草むらがあったはずなのです。
その草むらから、山のほうへ、人の関わりの多寡によって自然の度合いの勾配があり、その勾配のなかにいろんな草に虫がいたと。(そういう自然度、人の関わっているところと、原生林までの勾配をエコトーンと呼んだりするらしいです)
山の草とか花とか虫とか-茅葺屋根4

また、長くややこしくなってしまうので、その話はおいといて。

で、うちの集落には、今は茅葺屋根はもうありません。
ぼくの生まれたころに、次々に建て替えられたのです。
で、この集落では建て替えなかったのか?というと、その背景に、うちの集落ではぼくの生まれたころには、まだ次の世代になる若い衆がある程度の人数がおり、この集落はそうでなかったのですね。
家を建て替えるのは、次の世代もしばらく住むということです。
ここでは、今はもう60歳台のかたがいません。みんな70歳台以上の超高齢化になりました。

ここの茅葺屋根は、率直に言えば、「残した」のでなくて、「残った」というのが実態だと思います。
それでも、たしかに茅葺屋根は今はもう貴重なものだし、保全していこうという活動もたしかにそうだと思いもします。(ぼくも日程があえば手伝っていたろうと思います)
その一方で、茅葺屋根だけあっても仕方の無いことで、家は住まいするかたがいてこそのもの。
景色や景観を保っていこうという活動があちこちにありますが、景色や景観は、なんでしょうね。その土地土地の自然や風土や産業に、暮らしぶりによって、そういう景色になるべくしてなったものであるもので、だとすると保全するために保全する・・・。

火の見やぐらがあります。
この火の見やぐらの鐘を鳴らす消防団員はここにはもういなくなりました。
この集落のポンプは、ぼくも手入れの手伝いをしてまだここにあります。
山の草とか花とか虫とか-火の見やぐら

そういえば、谷川俊太郎さんの詩の本をこないだひっぱり出したので眺めてみると、

もし本当に地球が大切なら 野牛やシロナガスクジラに譲ったほうがいい セイタカアワダチソウを茂るにまかせ 砂漠を吹きすさぶ風にまかせ レミングを崖から身投げするにまかせる  
「魂のいちばんおいしいところ」から「遠くから見ると(抄)」

これは「詩」なので、谷川さんが人がいなくなれば良いということを意見しているわけではなのでしょうけれど、ぼくもたしかに自然環境を考えればたしかにそうだと思わないこともありません。
同様に、人の生活のありようで出来てきた景色や茅葺屋根を、人の生活が変わったのにも関わらず、そのものを残そうというのは、なんだか理屈の成り立ちにあわないような気もするし、でも、いつまでも見ていたいものでもあるし。

ぼくは、ここの景色は身近すぎて、正直言って、どういう意味合いのあるものだか整理がつきません。遠くから見ると、どのように見えるものなのでしょう?
今日は朝から強い風に雪が混じっていましたが、陽射しもありました。
落ち葉は散りゆく季節になりました。
落ち葉の舞うのはなかなか季節を感じるシーンだと思うのですが、うまく伝えられるように撮れません。
山の草とか花とか虫とか-落ち葉舞う

雪も細かいのがちらちら降っているのですが、これも撮れません。
雪が降っている割合に寒くなく、でも、雪が落ちるうちにとけてみぞれにならないところを見ると気温も低いようです。
山の草とか花とか虫とか-ゆきがちらちら


小釿(こじゅうな、と読みます)というところで、新そばのお祭があり、そこに行きました。
集落内の地図。こういう手作り感のある地図はたいへんに好きです。
手書きだと、書いたひとがどんなふうにその場所を見ているのかというのが想像できますね。
右下に木の絵が描いてあります。
山の草とか花とか虫とか-地図

ここの集落ではそばを育てていて、それを使って年に一度だけお祭のようにしてそば屋さんになります。
ここの集落のおとうちゃんがたはそば打ちの得意なかたが多いんですね。
そば屋さんを開業するくらいのかたを指導したかたもおります。
山の草とか花とか虫とか-そばうち

たいへんな混みようで、いつもは静かな集落が今日はにぎやかでした。
そう、お祭というのはそういうものです。
お品書きがありましたが、一品だけ。
そばをみんなで植えて、収穫して、乾燥させて粉にして、打つ。全部手作りなのがすごいですね。石臼びきのそば粉だそうです。
山の草とか花とか虫とか-おしながき

あと、かきとりんごと漬物。これらもここで採れたもののようです。
なんでもありますね。
山の草とか花とか虫とか-かき

そばは、「さんたて」というのが大事なのだそうです。
ひきたて、うちたて、ゆでたて。
ぼくは、食に関して、あまりこだわりがありません。
おなかいっぱいに食べられるものが美味しいものだという具合です。
山の草とか花とか虫とか-そば
こちらのそばは、ここはもちろん水も良いし、たいへんおいしゅうございました。
おなかもいっぱいになりました。(これでは食べもののレポーターにはなれないですな)

そばのお祭の収入は、集落のみなさんで温泉に行ったりするんだそうです。そういうことをしているからみんな仲良しになるのでしょう。
農産物の取り組みなどで、6次産業化だとかなんとか聞くのですが、農産物を育てるのが一次産業、それの加工などで二次産業、食品として提供して三次産業、合計六次なのだそうです。
ここの奥様方などで、今年から農家レストランというのをはじめたそうでそれも似たような感じでしょうか。
今回のそばのお祭は、継続してというのでなくイベント的なものですが、これがその農家レストランをやってみようというきっかけにもなっていそうですね。

さて、地図に書いてあった木に会いに行きます。
そばをいただいた集落の集会場から、みろく堂という(神社?みろく様だと仏様だからお寺?)の横を通るとおおきな木があります。
山の草とか花とか虫とか-みろく堂

みろく堂の近くには、その木の子孫でしょうか?
ちいさなおなじ種類の木があります。
この葉だけでなんの木かわかったらすごいと思います。
山の草とか花とか虫とか-カヤの木

さて、ありました。
この木は神代カヤといいます。
何度か見に来たことがあり、以前はもっと樹形がかっこよかったのですが、このところの豪雪などでいくらか枝折れしてしまいました。
山の草とか花とか虫とか-神代カヤ

樹高は19m、根幹周囲は9m、枝張り南北26mにおよび、根元は五本の株立ちになっている。とあります。
樹齢は約1500年ほどと見られていて、カヤの木としては東北一と言われている、と。
県の天然記念物なのですね。
山の草とか花とか虫とか-神代カヤ説明

せっかくの巨樹なのですが、株立ちしているのと枝折れのため、あとは背景がスギのおなじような色合いのため全体を撮ってもおおきさが伝わりません。
幹の近くに行って見ました。(巨樹だと立ち入り禁止などで足元までいけるのが少ないですが、これは大丈夫でした)
山の草とか花とか虫とか-カヤの幹

うむ!これはでかい!
枝折れしてしまったための対策でしょうか。つっかえ棒がしてあります。
山の草とか花とか虫とか-カヤの幹

カヤの木は、集落の山手、高台にあって集落を見守るようにたっています。
以前に、このカヤの木の実を売っているのを買ったことがありましたが、ピスタチオナッツのようなあじわいでした。カヤの実は、そのままでは食べにくいらしく、米ぬかに漬け込んでたべらるようにするとのことです。
山の草とか花とか虫とか-カヤと集落

さて、帰りましょう。ほかにもいくつか見ておきたいところがあります。
帰りはそばを食べたところで農産物も売っていたので、せっかくなので買いましょうと立ち寄りました。ところが・・・。売っているもののうち、かぼちゃやかぶやだいこんなどはうちでも植えていてたくさんあるので困りました。
で、もちごめとかき(かきもうちにあるけど)を買い求めました。
山の草とか花とか虫とか-農産品

ここでは、若い方もお祭のお手伝いをしていて活気があり、そういう光景を見ると、うちの集落ではあまり若い方もいないためにうらやましく思いました。ぼくの同年代がいたらよいのだけれど。
星空教室は、今年は5回目の今日で最終回になりました。
今年は晴れない日が多くて残念でした。昨年は5回のうち5回晴れたのですが、それは奇跡的なことでしたね。

星空教室は、公民館を会場に開催していて、講師役のスタッフは、企画したりいろいろするのですが、会場の準備や資料の印刷は公民館でやってくれていています。
事務所に行ってみると、べっこうあめをごちそうになりました。
なにかの行事で作ってみたらしいのですが、砂糖と水だけでべっこうあめが作れるんだそうです。金色です。ひとついただいて食べてみると上品な甘みで、ふくろに包まれているべっこうあめよりもずいぶんフレッシュで爽やかな甘みと思いました。
山の草とか花とか虫とか-べっこうあめ

晴れの日を選んで、さあ、今夜やりましょう!というのだと良いのですが、なかなかそういうわけにも行かないので、雨の日には公民館の部屋でパソコンのシミュレーションソフトを使って、こう見えるのですよというのをプロジェクタで投影したりしていました。
オペレータは星好きの本屋さん、解説はほかの天文台などでも活動している星好きの奥様(本屋さんの奥様ではありません)。
山の草とか花とか虫とか-星空案内

子どもたちは、星の動いたり絵が出たりするのも楽しいのですが、プロジェクタで影絵のようにするのも楽しそうにしていました。
昔、ぼくが子どものころに、ここに16mm映画の上映に来た際にもおんなじことをやっていた気がします。

木星のしましま。
山の草とか花とか虫とか-木星

星好きの奥様が見に行った先日のケアンズの皆既日食。(プロジェクタに写ったのを撮りました)
山の草とか花とか虫とか-皆既日食

今年の小学生の参加者は、1年生くらいの子と幼稚園の子が多かったです。
曇りメニューで星空かるたをやってみました。幼稚園の子は、まだ字が読めなかったりするので、見学です。
山の草とか花とか虫とか-かるたとり

最後に、アンケートをやって、今年印象に残ったのは?というのも聞いたのですが、お月見のときのだんごが美味しかったとか、かるたが楽しかったとか、そんな感じでした。
山の草とか花とか虫とか-アンケート

「最近の子どもは、○○でけしからん」というフレーズはよく聞くのですが、実際のところはあまり変わらない、子どもはいつの時代でも子どもだだなあという具合です。
ゲームばかりしていると言われても、それはゲームくらいしかできないように山や川で遊ぶのを禁止されているのだし、道草を食おうにも、寄り道しては怒られるし、刃物の使い方を知らんと言われても、刃物に触れないように遠ざけられているのだし。
「最近の○○は」、という定型句を口にをするのは、実際の現在の子どもたちの様子を見ていない方が多いような気がします。たとえば「昔はたくさん川に魚がいた」というのも良く聞きますが、ではその方は今の川に潜って遊んだりするかというと、川に行かないひとほどそういうことを言うものです。
けしからん、とばかり言ってもしかたがないし、それでは子どもたちにどういう大人になってもらいたいのか?というと、ぼくは星を見るのが好きな人が多かったらよいだろうなあと思うので、星空教室のお手伝いをします。

講師の方々の一年のさようならのあいさつがあったのですが、星好きの本屋さんは、谷川俊太郎さんから引用して、「やさしい気持ちになるときは、となりの人に星座の名前を教えてあげるとき」というように言っていました。
(なんの詩から引用だったか忘れてしまって、先ほどまで詩集で探してみたのですが、見つかりませんでした)
星を見るのが好き、というとなんだかロマンティストなイメージがしたりするものですが、なるほど、やはり星を好きな方はロマンティストだなあ、と思ったり。

星を見ても、おなかがふくれるわけでなし、得をするかというとしないんですがやさしい気持ちになれるなら素敵なことですね。
そういう人が増えたらよろしいとぼくは思います。