さて、そばをいただいたあとに、うちの近くへ戻り、今年のうちに撮っておきたいところへ行きました。
ここはぼくが子どものころから遊びに行ったりしていた集落です。
ここは茅葺屋根のおうちが何軒も残っていて、最近には、新聞に載ったりしたこともありました。
知り合いが、ここの茅葺屋根を残そうということで、屋根葺きの作業の講習会などを企画してやっていて、関東のほうからお手伝いもあったほどだそうです。(ぼくは参加できませんでした)

茅葺屋根の補修は、大がかりにするのと、カヤを新たに継ぎ足してするのとあるようで、ここでは継ぎ足しになっているのが見られました。すこし色合いの違うのが複数個所ありますね。

こちらは、ちょっと大きく補修してありました。

作業の際には、屋根葺きの職人さんもいらっしゃってやったそうです。
かつては、茅葺屋根の材料にする茅(ススキなど)を育てる草むらが管理されてあったところが多かったそうですが、今は、そういう場所がなくなって、代わりに休耕田にススキが広がっているところから材料を調達したりすると聞きました。
現在、減少の危機にある植物種の多いのは草原に生えていた草などだそうです。その草原と言うのは、茅葺のためにススキの野原になるようにある程度手を入れているところや、焼き畑のお休み中のところであったりしたのでしょう。
野山、と一緒にまとめて呼ぶのですが、山は山のままあるものの、野というのがへってきたのでしょうね。
人里の近くにあった山は、「里山」となるほどなネーミングがあって、見直されているところなのですが、その里山と集落のあいだに、たくさんあちこちに草むらがあったはずなのです。
その草むらから、山のほうへ、人の関わりの多寡によって自然の度合いの勾配があり、その勾配のなかにいろんな草に虫がいたと。(そういう自然度、人の関わっているところと、原生林までの勾配をエコトーンと呼んだりするらしいです)

また、長くややこしくなってしまうので、その話はおいといて。
で、うちの集落には、今は茅葺屋根はもうありません。
ぼくの生まれたころに、次々に建て替えられたのです。
で、この集落では建て替えなかったのか?というと、その背景に、うちの集落ではぼくの生まれたころには、まだ次の世代になる若い衆がある程度の人数がおり、この集落はそうでなかったのですね。
家を建て替えるのは、次の世代もしばらく住むということです。
ここでは、今はもう60歳台のかたがいません。みんな70歳台以上の超高齢化になりました。
ここの茅葺屋根は、率直に言えば、「残した」のでなくて、「残った」というのが実態だと思います。
それでも、たしかに茅葺屋根は今はもう貴重なものだし、保全していこうという活動もたしかにそうだと思いもします。(ぼくも日程があえば手伝っていたろうと思います)
その一方で、茅葺屋根だけあっても仕方の無いことで、家は住まいするかたがいてこそのもの。
景色や景観を保っていこうという活動があちこちにありますが、景色や景観は、なんでしょうね。その土地土地の自然や風土や産業に、暮らしぶりによって、そういう景色になるべくしてなったものであるもので、だとすると保全するために保全する・・・。
火の見やぐらがあります。
この火の見やぐらの鐘を鳴らす消防団員はここにはもういなくなりました。
この集落のポンプは、ぼくも手入れの手伝いをしてまだここにあります。

そういえば、谷川俊太郎さんの詩の本をこないだひっぱり出したので眺めてみると、
もし本当に地球が大切なら 野牛やシロナガスクジラに譲ったほうがいい セイタカアワダチソウを茂るにまかせ 砂漠を吹きすさぶ風にまかせ レミングを崖から身投げするにまかせる
「魂のいちばんおいしいところ」から「遠くから見ると(抄)」
これは「詩」なので、谷川さんが人がいなくなれば良いということを意見しているわけではなのでしょうけれど、ぼくもたしかに自然環境を考えればたしかにそうだと思わないこともありません。
同様に、人の生活のありようで出来てきた景色や茅葺屋根を、人の生活が変わったのにも関わらず、そのものを残そうというのは、なんだか理屈の成り立ちにあわないような気もするし、でも、いつまでも見ていたいものでもあるし。
ぼくは、ここの景色は身近すぎて、正直言って、どういう意味合いのあるものだか整理がつきません。遠くから見ると、どのように見えるものなのでしょう?
ここはぼくが子どものころから遊びに行ったりしていた集落です。
ここは茅葺屋根のおうちが何軒も残っていて、最近には、新聞に載ったりしたこともありました。
知り合いが、ここの茅葺屋根を残そうということで、屋根葺きの作業の講習会などを企画してやっていて、関東のほうからお手伝いもあったほどだそうです。(ぼくは参加できませんでした)

茅葺屋根の補修は、大がかりにするのと、カヤを新たに継ぎ足してするのとあるようで、ここでは継ぎ足しになっているのが見られました。すこし色合いの違うのが複数個所ありますね。

こちらは、ちょっと大きく補修してありました。

作業の際には、屋根葺きの職人さんもいらっしゃってやったそうです。
かつては、茅葺屋根の材料にする茅(ススキなど)を育てる草むらが管理されてあったところが多かったそうですが、今は、そういう場所がなくなって、代わりに休耕田にススキが広がっているところから材料を調達したりすると聞きました。
現在、減少の危機にある植物種の多いのは草原に生えていた草などだそうです。その草原と言うのは、茅葺のためにススキの野原になるようにある程度手を入れているところや、焼き畑のお休み中のところであったりしたのでしょう。
野山、と一緒にまとめて呼ぶのですが、山は山のままあるものの、野というのがへってきたのでしょうね。
人里の近くにあった山は、「里山」となるほどなネーミングがあって、見直されているところなのですが、その里山と集落のあいだに、たくさんあちこちに草むらがあったはずなのです。
その草むらから、山のほうへ、人の関わりの多寡によって自然の度合いの勾配があり、その勾配のなかにいろんな草に虫がいたと。(そういう自然度、人の関わっているところと、原生林までの勾配をエコトーンと呼んだりするらしいです)

また、長くややこしくなってしまうので、その話はおいといて。
で、うちの集落には、今は茅葺屋根はもうありません。
ぼくの生まれたころに、次々に建て替えられたのです。
で、この集落では建て替えなかったのか?というと、その背景に、うちの集落ではぼくの生まれたころには、まだ次の世代になる若い衆がある程度の人数がおり、この集落はそうでなかったのですね。
家を建て替えるのは、次の世代もしばらく住むということです。
ここでは、今はもう60歳台のかたがいません。みんな70歳台以上の超高齢化になりました。
ここの茅葺屋根は、率直に言えば、「残した」のでなくて、「残った」というのが実態だと思います。
それでも、たしかに茅葺屋根は今はもう貴重なものだし、保全していこうという活動もたしかにそうだと思いもします。(ぼくも日程があえば手伝っていたろうと思います)
その一方で、茅葺屋根だけあっても仕方の無いことで、家は住まいするかたがいてこそのもの。
景色や景観を保っていこうという活動があちこちにありますが、景色や景観は、なんでしょうね。その土地土地の自然や風土や産業に、暮らしぶりによって、そういう景色になるべくしてなったものであるもので、だとすると保全するために保全する・・・。
火の見やぐらがあります。
この火の見やぐらの鐘を鳴らす消防団員はここにはもういなくなりました。
この集落のポンプは、ぼくも手入れの手伝いをしてまだここにあります。

そういえば、谷川俊太郎さんの詩の本をこないだひっぱり出したので眺めてみると、
もし本当に地球が大切なら 野牛やシロナガスクジラに譲ったほうがいい セイタカアワダチソウを茂るにまかせ 砂漠を吹きすさぶ風にまかせ レミングを崖から身投げするにまかせる
「魂のいちばんおいしいところ」から「遠くから見ると(抄)」
これは「詩」なので、谷川さんが人がいなくなれば良いということを意見しているわけではなのでしょうけれど、ぼくもたしかに自然環境を考えればたしかにそうだと思わないこともありません。
同様に、人の生活のありようで出来てきた景色や茅葺屋根を、人の生活が変わったのにも関わらず、そのものを残そうというのは、なんだか理屈の成り立ちにあわないような気もするし、でも、いつまでも見ていたいものでもあるし。
ぼくは、ここの景色は身近すぎて、正直言って、どういう意味合いのあるものだか整理がつきません。遠くから見ると、どのように見えるものなのでしょう?




















