いよいよ12月になりました。
遠くの山は真っ白で、うちの周りも5cmほど雪が積もりました。
ちょっと街のほうへ行くと、まだ雪はありません。
田んぼのへりに生えたキンエノコロは実を半分ほど落として金色の毛だけになっている穂もありました。

いろいろ用事をすまして、昼からスズメを撮りにいきたいなあという気持ちがありちょっと出かけました。
スズメね。どういうところで撮ったらよいんでしょう?
どこにでもいそうなんですが、探してみるといません。
わが家のあたりは、特に冬はスズメが見当たりません。
クルマで通る際に、民家の庭先などに見かけるのですが、まさか知らない方のお庭に入って撮るわけにもいかないのでスズメのいそうなところを探しておりました。
ふと、そういえばクルマも停められてスズメもいそうなところが思い当たり、ここにやってきました。
天童市の西沼田遺跡です。

ここには何度か来たことがあります。
遺跡は、高速道路に近い田んぼのはじっこのようなところにあり、その脇に出土品などを展示している建物があります。
展示物もせっかくなので見に行きましょう。
説明書きがあります。
絵は、その当時の集落とまわりの田んぼの様子です。

西沼田遺跡は、今から1500年ほど前の西暦500年ごろから人が住んでいたようだと書いてあります。
古墳の時代ですね。
当時のこのあたりは、大和政権を中心とした古墳文化が南から広まり、東北の北から山形のこのあたりまでは、縄文時代の続きのような生活であったと見られています。
それなので、その境界のあたりのこの遺跡が面白いのだそうです。
館内には、いくつか出土品やその出土品から読み取れる当時の生活の様子が説明されていました。
これは、繊維の加工の様子でした。

ここでは、繊維関係の作業の道具などもたくさんみつかったそうです。
繊維は、アオソ(カラムシ)、タイマ(大麻ですね)、コウゾやクズを使ったようです。
特にカラムシは、花粉が大量に見つかったそうで、栽培されていたのかもしれないと書かれています。
説明には、糸の採りかたなどが書いてあるのですが、道具も、ごく最近までアオソから糸を取るのとあまり変わらないようなものだと思いました。

そのわきには、ぞうりの編み方が書かれており、出土したぞうりを作る道具(写真の右上)などは、ぼくも子どものころに使ってぞうりを編んだのと大差ありません。
うちのあたりでは、「ぼっくい」と呼ぶようなことを聞いた記憶があります。

1500年前というと、ずいぶん古い話のように思うのですが、道具を見てみると、今から少し前までつながっている感じがしました。
土器もありました。
これは甑(こしき)だそうです。
あちこちに甑岳という名前の山がありますが、なるほどこれの形なんですね。

調理の様子が書いてありました。
米、モモ、栗、くるみにトチ。
これらも今も食べますね。

これはつぼです。
うめぼしを入れておくのにちょうど良さそうです。

こちらは、ミニチュアの土器だそうです。
実用品でなく、祭祀ようのものだそうです。
ちいさくごはんを盛ったりしたのでしょうか。

木のものもありました。
この遺跡では、木製品が多く出土しているとのことです。
もともとがじめっとしたところで、土に埋まっていたので腐敗が進まなかったのだそうです。
これはくわで、先っちょに金属の刃をつけて使っていたとみられています。

木製品は、これのほかに、機織機や先ほどのぞうりの道具、作りかけのものなども出土したそうです。
こちらは磨製石器ですね。
どういうふうに使うのだか、石のところだけ見ているとわかりませんでしたが、柄がつくと、なるほどこういうふうになるんだなと思いました。

出土の時の様子。
集落のいくつかの建物のあとが見つかり、そこから一緒に木製品が出土したのだそうです。
この遺跡は、百年ちょっと生活したようだと見られているのですが、なぜ無くなってしまったのでしょうか?生活用品を残して去ってしまったのでしょうか?気になりました。

最初に書いた、古墳文化の影響と縄文時代の続きの文化との影響の範囲です。
宮城と山形が境界になっていました。

このあとは、建物のとなりの住居などを復元したところを見に行きました。
なんだか、このところ、遺跡や文化財やそういうのを訪れるのが妙に多いですね。
山の草とか花とか虫とか、遺跡とか・・・?
遠くの山は真っ白で、うちの周りも5cmほど雪が積もりました。
ちょっと街のほうへ行くと、まだ雪はありません。
田んぼのへりに生えたキンエノコロは実を半分ほど落として金色の毛だけになっている穂もありました。

いろいろ用事をすまして、昼からスズメを撮りにいきたいなあという気持ちがありちょっと出かけました。
スズメね。どういうところで撮ったらよいんでしょう?
どこにでもいそうなんですが、探してみるといません。
わが家のあたりは、特に冬はスズメが見当たりません。
クルマで通る際に、民家の庭先などに見かけるのですが、まさか知らない方のお庭に入って撮るわけにもいかないのでスズメのいそうなところを探しておりました。
ふと、そういえばクルマも停められてスズメもいそうなところが思い当たり、ここにやってきました。
天童市の西沼田遺跡です。

ここには何度か来たことがあります。
遺跡は、高速道路に近い田んぼのはじっこのようなところにあり、その脇に出土品などを展示している建物があります。
展示物もせっかくなので見に行きましょう。
説明書きがあります。
絵は、その当時の集落とまわりの田んぼの様子です。

西沼田遺跡は、今から1500年ほど前の西暦500年ごろから人が住んでいたようだと書いてあります。
古墳の時代ですね。
当時のこのあたりは、大和政権を中心とした古墳文化が南から広まり、東北の北から山形のこのあたりまでは、縄文時代の続きのような生活であったと見られています。
それなので、その境界のあたりのこの遺跡が面白いのだそうです。
館内には、いくつか出土品やその出土品から読み取れる当時の生活の様子が説明されていました。
これは、繊維の加工の様子でした。

ここでは、繊維関係の作業の道具などもたくさんみつかったそうです。
繊維は、アオソ(カラムシ)、タイマ(大麻ですね)、コウゾやクズを使ったようです。
特にカラムシは、花粉が大量に見つかったそうで、栽培されていたのかもしれないと書かれています。
説明には、糸の採りかたなどが書いてあるのですが、道具も、ごく最近までアオソから糸を取るのとあまり変わらないようなものだと思いました。

そのわきには、ぞうりの編み方が書かれており、出土したぞうりを作る道具(写真の右上)などは、ぼくも子どものころに使ってぞうりを編んだのと大差ありません。
うちのあたりでは、「ぼっくい」と呼ぶようなことを聞いた記憶があります。

1500年前というと、ずいぶん古い話のように思うのですが、道具を見てみると、今から少し前までつながっている感じがしました。
土器もありました。
これは甑(こしき)だそうです。
あちこちに甑岳という名前の山がありますが、なるほどこれの形なんですね。

調理の様子が書いてありました。
米、モモ、栗、くるみにトチ。
これらも今も食べますね。

これはつぼです。
うめぼしを入れておくのにちょうど良さそうです。

こちらは、ミニチュアの土器だそうです。
実用品でなく、祭祀ようのものだそうです。
ちいさくごはんを盛ったりしたのでしょうか。

木のものもありました。
この遺跡では、木製品が多く出土しているとのことです。
もともとがじめっとしたところで、土に埋まっていたので腐敗が進まなかったのだそうです。
これはくわで、先っちょに金属の刃をつけて使っていたとみられています。

木製品は、これのほかに、機織機や先ほどのぞうりの道具、作りかけのものなども出土したそうです。
こちらは磨製石器ですね。
どういうふうに使うのだか、石のところだけ見ているとわかりませんでしたが、柄がつくと、なるほどこういうふうになるんだなと思いました。

出土の時の様子。
集落のいくつかの建物のあとが見つかり、そこから一緒に木製品が出土したのだそうです。
この遺跡は、百年ちょっと生活したようだと見られているのですが、なぜ無くなってしまったのでしょうか?生活用品を残して去ってしまったのでしょうか?気になりました。

最初に書いた、古墳文化の影響と縄文時代の続きの文化との影響の範囲です。
宮城と山形が境界になっていました。

このあとは、建物のとなりの住居などを復元したところを見に行きました。
なんだか、このところ、遺跡や文化財やそういうのを訪れるのが妙に多いですね。
山の草とか花とか虫とか、遺跡とか・・・?





















