2012年12月31日。
上海に二日目の朝。宿からは月が空に残っているのが見えました。

だんだんと明るくなっていきます。

この年の最後の朝陽が街に射します。いやはや、たいへんな数の高層ビルです。

二日目は、上海にいる友人と奥様に連れられて、日本から一緒に行った友人(一人はたいへんなクルマのマニア、もうひとりは、いろんな洋服を買うのが好きな服道楽)と博物館へ向かいました。
博物館は上海の人民広場というところにあり、なんだか上野のような感じだなあと思いました。
並木には見慣れた木が植えられていました。

たまのような実がふたつくらいずつ、葉がわずかに残る枝先にぶらさがっております。
これはモミジバスズカケの木のようです。この木は、日本でも都市部の街路樹によく植えられておりますね。本来はたいへんに大きく育つ木なのですが、日本でも、ここでもあまり育たないように枝をおろされてしまいます。

博物館は、入場が無料で、ただし外国人のかたはパスポートが要るかもしれないとのことでした。
入り口には、朝の早くからいくらか行列が出来ていて、その先に進むと手荷物の検査がありました。ぼくはバッグに水を入れていたのですが、係員のかたから、
「それ飲んでみてください」(日本語で)
と言われ飲むことになりました。どうやら、毒物だとか燃料だとかそういうのを警戒しているようでした。
そんなことがありつつも、入場して館内を見てまわります。
館内は4階建てほどで、いろんなジャンルの部屋がありました。
この博物館は、一部を除いて(現代の絵画など)フラッシュはつかわなければ撮影自由となっていました。(博物館などでの撮影やスケッチが禁止されているのは日本でたいへんに多いそうです)
まずは、少数民族の衣服や伝統芸能やそういったお部屋。
現在の中国というのはたいへんに広い国にいろんなかたが住まいしているところだそうで、中国政府が承認と言うかそういうのをした民族だけでも50以上あるのだそうです。
たくさんたくさんあるためとても載せ切れませんがたいへんに興味深く拝見しました。
このマネキンの着ているものなどはたいへんにスタイリッシュに見えます。

また、それぞれの衣服にそれぞれの文様があり、材質があり、織り方が、染め方がありました。

これは絞り染めのようです。その上に着ているものは織でしょうか。
たいへんに手が混んで美しい生地です。

象の描いてある織物。
昔、歴史の教科書などでこのような文様を見た記憶があります。
シルクロードだとかそういうのを思い浮かべます。

こちらは藤や竹を使ったかご。

興味が尽きることなく眺めては立ち止まり、前にまったく進みません。
友人からも、あまりにゆっくり見ていると日が暮れるよと言われたのですこし足早に見て行きます。
ほかの部屋は、木工や、

石の工芸品や遺跡から掘り出されたものなど

あるいは書などもありました。
なんといっても書の国ですからね。
ぼくは、書道をやっているというほどしっかりはやっていないものの、書道の愛好会に所属しているので、たいへんに興味があります。過去に手本にして練習したかたの書などもありました。
外国に行くなら中国に行ってみたいなと思っていたのも、書道のもともとの国だからということもあります。

これは升(ます)と分銅と書いてありました。
どちらも、紀元前200年ほど、秦の時代のもののようです。

これには文字が刻んであり、拓本をとるとこのような文字が刻まれていました。

こちらは、いわゆる甲骨文字の骨のほうですね。
説明には「商」の時代のものとありました。
商とは聞きなれない時代区分ですが、殷と同じ時代のようです。
殷は、紀元前17世紀~紀元前11世紀ころですね。

これにも文字が刻まれており、拓本ではこのようになっていました。

このほかにも古銭や絵画、はんこに景徳鎮の焼き物の歴史、玉の細工やらなにやら、じっくり見ていたら10日ほどはかかりそうです。
ちいさなつぼがありました。
これの説明には裴李崗文化と書かれてあり、いわゆる黄河文明のうち紀元前7000年~3000年ほどのころのようです。ちょっと想像が追いつかないくらいの昔のものですね。

いろいろな年代のものを見ていると、過去の日本のいろんな時代に中国へ渡りいろんな物事を習ってきた際に、中国に渡った方が「なんという先進国だろうか」と驚いたであろうことを想像しました。
今は、中国(現在の枠組みの国ということね)といろいろと仲のよろしくなかったりする時勢でありますが、それはほんの最近のことでわたしたちが、これぞ日本のものと思っているものの多くのオリジナルがそれぞれの時代に大陸から渡ってきているのですね。
稲やその他の野菜、国の制度にもちろん文字、諸説あるにしても「漢委奴国王印」や、各時代に大陸へ謁見するのが、その時代の権力の裏づけになり、そもそも、「日本」日の本(ひのもと)という名前自体が、大陸から見た場合に、日の上がる方向という名前になっているのですからこれは大きな影響です。ほとんど同じ文化圏だなあと言うくらいですね。
戦後の日本のありかたが、アメリカの属国じゃないかと揶揄されるのを聞いたりしますが、それ以前は長らく中国の一部であったと言っても過言でないほどかもしれません。
(そのあたりの読み取り方は、ちょっと前に売れていた新書の内田樹さんの「日本辺境論」というのに面白い書かれ方があります)
現在の国同士では、それぞれに課題がありますからぼくなどにはよくわからないところですが、とにかく尊敬しない相手からはなんにも学べないというのはたしかなことです。
もともと博物館などを見るのはたいへんに好きなので、いくら時間があっても足りませんが、せっかく来たところの街を歩かないのももったいないので、お昼ごろには外にでました。

このあと、お昼ごはんを食べて、本屋さんや書道の用品店などを散策したりしました。
上海に二日目の朝。宿からは月が空に残っているのが見えました。

だんだんと明るくなっていきます。

この年の最後の朝陽が街に射します。いやはや、たいへんな数の高層ビルです。

二日目は、上海にいる友人と奥様に連れられて、日本から一緒に行った友人(一人はたいへんなクルマのマニア、もうひとりは、いろんな洋服を買うのが好きな服道楽)と博物館へ向かいました。
博物館は上海の人民広場というところにあり、なんだか上野のような感じだなあと思いました。
並木には見慣れた木が植えられていました。

たまのような実がふたつくらいずつ、葉がわずかに残る枝先にぶらさがっております。
これはモミジバスズカケの木のようです。この木は、日本でも都市部の街路樹によく植えられておりますね。本来はたいへんに大きく育つ木なのですが、日本でも、ここでもあまり育たないように枝をおろされてしまいます。

博物館は、入場が無料で、ただし外国人のかたはパスポートが要るかもしれないとのことでした。
入り口には、朝の早くからいくらか行列が出来ていて、その先に進むと手荷物の検査がありました。ぼくはバッグに水を入れていたのですが、係員のかたから、
「それ飲んでみてください」(日本語で)
と言われ飲むことになりました。どうやら、毒物だとか燃料だとかそういうのを警戒しているようでした。
そんなことがありつつも、入場して館内を見てまわります。
館内は4階建てほどで、いろんなジャンルの部屋がありました。
この博物館は、一部を除いて(現代の絵画など)フラッシュはつかわなければ撮影自由となっていました。(博物館などでの撮影やスケッチが禁止されているのは日本でたいへんに多いそうです)
まずは、少数民族の衣服や伝統芸能やそういったお部屋。
現在の中国というのはたいへんに広い国にいろんなかたが住まいしているところだそうで、中国政府が承認と言うかそういうのをした民族だけでも50以上あるのだそうです。
たくさんたくさんあるためとても載せ切れませんがたいへんに興味深く拝見しました。
このマネキンの着ているものなどはたいへんにスタイリッシュに見えます。

また、それぞれの衣服にそれぞれの文様があり、材質があり、織り方が、染め方がありました。

これは絞り染めのようです。その上に着ているものは織でしょうか。
たいへんに手が混んで美しい生地です。

象の描いてある織物。
昔、歴史の教科書などでこのような文様を見た記憶があります。
シルクロードだとかそういうのを思い浮かべます。

こちらは藤や竹を使ったかご。

興味が尽きることなく眺めては立ち止まり、前にまったく進みません。
友人からも、あまりにゆっくり見ていると日が暮れるよと言われたのですこし足早に見て行きます。
ほかの部屋は、木工や、

石の工芸品や遺跡から掘り出されたものなど

あるいは書などもありました。
なんといっても書の国ですからね。
ぼくは、書道をやっているというほどしっかりはやっていないものの、書道の愛好会に所属しているので、たいへんに興味があります。過去に手本にして練習したかたの書などもありました。
外国に行くなら中国に行ってみたいなと思っていたのも、書道のもともとの国だからということもあります。

これは升(ます)と分銅と書いてありました。
どちらも、紀元前200年ほど、秦の時代のもののようです。

これには文字が刻んであり、拓本をとるとこのような文字が刻まれていました。

こちらは、いわゆる甲骨文字の骨のほうですね。
説明には「商」の時代のものとありました。
商とは聞きなれない時代区分ですが、殷と同じ時代のようです。
殷は、紀元前17世紀~紀元前11世紀ころですね。

これにも文字が刻まれており、拓本ではこのようになっていました。

このほかにも古銭や絵画、はんこに景徳鎮の焼き物の歴史、玉の細工やらなにやら、じっくり見ていたら10日ほどはかかりそうです。
ちいさなつぼがありました。
これの説明には裴李崗文化と書かれてあり、いわゆる黄河文明のうち紀元前7000年~3000年ほどのころのようです。ちょっと想像が追いつかないくらいの昔のものですね。

いろいろな年代のものを見ていると、過去の日本のいろんな時代に中国へ渡りいろんな物事を習ってきた際に、中国に渡った方が「なんという先進国だろうか」と驚いたであろうことを想像しました。
今は、中国(現在の枠組みの国ということね)といろいろと仲のよろしくなかったりする時勢でありますが、それはほんの最近のことでわたしたちが、これぞ日本のものと思っているものの多くのオリジナルがそれぞれの時代に大陸から渡ってきているのですね。
稲やその他の野菜、国の制度にもちろん文字、諸説あるにしても「漢委奴国王印」や、各時代に大陸へ謁見するのが、その時代の権力の裏づけになり、そもそも、「日本」日の本(ひのもと)という名前自体が、大陸から見た場合に、日の上がる方向という名前になっているのですからこれは大きな影響です。ほとんど同じ文化圏だなあと言うくらいですね。
戦後の日本のありかたが、アメリカの属国じゃないかと揶揄されるのを聞いたりしますが、それ以前は長らく中国の一部であったと言っても過言でないほどかもしれません。
(そのあたりの読み取り方は、ちょっと前に売れていた新書の内田樹さんの「日本辺境論」というのに面白い書かれ方があります)
現在の国同士では、それぞれに課題がありますからぼくなどにはよくわからないところですが、とにかく尊敬しない相手からはなんにも学べないというのはたしかなことです。
もともと博物館などを見るのはたいへんに好きなので、いくら時間があっても足りませんが、せっかく来たところの街を歩かないのももったいないので、お昼ごろには外にでました。

このあと、お昼ごはんを食べて、本屋さんや書道の用品店などを散策したりしました。






















