『虹のかなたに』 -3ページ目

『虹のかなたに』

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

 社を挙げての大きなイベントがあって、昨日まで3日連続、毎朝5時に起床していた。会場ではずっと走り回ったり大声を上げて回ったりで、さすがに最終日の3日目は立ったまま意識を失うことができるほどに疲労の極致に達して、今日は普通に出勤の家人に叩き起こされる形で一旦目覚めたものの、本気の二度寝を実践して、正式な起床に及んだのは西陽が差さんとする16時半である。よくまあ眠れるものよと我ながら感心するが、そんな私は今日から夏期休暇だ。
 
 そのイベントで、撤収作業に最後まで立ち合い、全スタッフを見送ったのは我が上司である部長である。汗臭さ全開の体を引き摺って会場を後にするスタッフたちの個々に、「お疲れー!」と声を掛けられる姿には、べんちゃらでも追従でもない真の敬意を表するばかりで、次席の私も負けじと「お疲れさまでしたー!」「ありがとうー!」と絶叫してみた。
 
 大きな仕事を終えて、互いを労い合う言葉に「お疲れさま」は実に似つかわしく、他にしっくりくる表現は見当たらない。しかるにその「お疲れさま」が、最近、物議を醸していた。7月26日放送の『ヨルタモリ』での、「お疲れさま」に関するタモリの発言である。曰く、「撮影現場などで子役がやたらと『お疲れさまです』と挨拶するようになっている」「子役が相手を選ばず『お疲れさまです』を使うのはおかしい」「『お疲れさま』というのは、元来、目上の者が目下の者にいう言葉。これをわかっていない」「民放連は各メディアに『子役には“お疲れさまです”という挨拶をさせない』という申し入れをすべき」と。
 
 赤塚不二夫の葬儀での、勧進帳さながらの弔辞に感動し、『タモリ倶楽部』や『ブラタモリ』などで開陳されるマニアックな薀蓄の数々に舌を巻いてきた私は、そのタモリが何を言い出すのかと、少しく狼狽した。「ご苦労さまでした」を目上の者に言ってはならない、使うなら「お疲れさまでした」である――と信じて疑わない人は少なくないはずだ。タモリの言説が一つの“常識”として存在することは私も知っている。しかし、「ご苦労さま」も「お疲れさま」も使っては失礼だというのなら、一体どう言えばよいのだろうか。
 
 勤務先での実例であるが、面談に来られたお客様がお帰りになる際、その店舗のマネージャーが「お疲れさまでした」と言ったのに吃驚したことがある。「顧客に『お疲れさま』はおかしいのではないか」と指摘したのだが、彼は、「あのね、目上の人に『ご苦労さまです』と言ったら失礼に当たるのですよ」とドヤ顔で抗弁してくる。「そんなことくらい知っとるがな。俺は、客に『お疲れさまです』と言うのがおかしいって言うとんねん」と返したが、「ほな、どない言うたらいいんですか」と訊かれ、言葉に窮したのだ。暫く、代替の表現を考え続けたのだが、どうしても適語が思いつかない。悶々としているうちに、別の店舗で、「あっ、これや」と得心のゆく表現に行き当たった。すなわち、「ありがとうございました」である。

 ところで、「お疲れさま」に関連する違和感としてもう一つ取り上げたいのは、「お元気さま」という表現である。「お疲れさまです」では「疲れる」というネガティブなワードが含まれるので、「元気」というポジティブワードに置き換えているのだとか。世間一般にどれくらい浸透しているのかは知らないが、稲森和夫氏が京セラグループ内でこれを徹底させたのだそうで、「京セラフィロソフィー」の薫陶を受けている数々の企業で広まりつつあるのではないかと思う。現に、私の勤務先でも一部の社員が好んで用いているが、ことばには人一倍煩い性分が災いしてか、ビジネスの世界で跋扈する「人財(人材)、志事(仕事)」などの当て字と同様、こういう一般的でない表現を用いられることに、私はどうしてもアレルギーが生じるのだ。
 
 「お(ご)~さまです」という表現にはどんなものがあるのかを考えてみてほしい。「お疲れさま」「ご苦労さま」「ご愁傷さま」「お気の毒さま」等々、全部ネガティブワードではないか。「ご馳走さま」もの「馳走」も本来は「奔走」と同義で、客人をもてなすために走り回ったことを意味する。つまり、「お(ご)」という丁寧の接頭辞に加え、「さま」という敬意を含む接尾辞をつけることで、相手を労い、ネガティブなニュアンスを相殺する意味というか思いが、この「お(ご)~さま」には込められていると考えるのである。
 
 とすれば、「お元気」にわざわざ「さま」という労いの意を添えることは無用であるばかりか全くナンセンスなことで、むしろ、「お疲れさま」という表現にネガティブなニュアンスを含むなどと云々することは、言い掛かりやイチャモンの類ということにさえなる。折角の労い、すなわちネガティブをポジティブに変換した心遣いを蹂躙するものである、とまで述べると言い過ぎか。
 
 それはさて措き、ネット上をあれこれと検索してみても、「お疲れさま」については揺れているようだが、大切なのは、話し手にも聞き手にも違和感がなく、気持ちがこもっていることではないかと思う。格の上下に関わらず、朝っぱらとか休みの日に「お疲れさまです」というメールが来れば気持ち悪いし、その気持ち悪さを感じないままに使っていること、換言すれば、杓子定規の“常識”にとらわれ、思いのこもらぬ言葉を用いていることこそがどうかしているのである。タモリの発言も、子役が一丁前に「お疲れさまです」なんて言葉を使うことに違和感を覚えて、というのが真相であると信じたい。
 
  にほんブログ村
 過日、藤原竜也主演の『ハムレット』を観に梅田芸術劇場へ行ったときのことである。「梅田」を名乗るものの、地下鉄で行くなら御堂筋線の中津で降りる方が近いので、そのようにしたのだが、最寄りの4号出口を出て、地上の様子がおかしいことに気付いた。どうも空が広いのである。振り返ってみると、そこに聳えていたはずのビルがない。ここに建っていた三井生命ビルが、いつの間にか解体されていたのだ。
 
 このビルの上層階には「三井アーバンホテル大阪」があって、地下鉄の車内放送でも、長らく「三井アーバンホテル大阪、大学受験の河合塾大阪校へお越しの方は、次でお降りください」と流れていたから、記憶にある方も多いだろう。
 
 話は今から四半世紀近く前、大学受験のときまで遡る。大阪の池田にあった某国立大学(今は柏原の辺鄙な山の上に移転)を受験するために、入試の前々日に家を出た。当時は岡山に住んでいたのだが、当日7時前の新幹線に乗れば、試験開始時刻には十分間に合うし、そもそも大阪の出身である上、池田には親戚もいて何度も足を運んでいるので、迷う方もないのであるが、「試験当日と同じ時刻に出て、当日と同じ電車に乗り、試験会場まで下見に行ってみることは欠かせない」などと記された受験情報誌と、JTBの受験生パックのパンフレットを親に見せて言い包め、“2泊3日の受験旅行”にいそいそと出掛けたのである。下見が終われば後は自由、試験も午前中に終わってやっぱり自由、そんな旅行感覚で受験になど行くから、第1志望の大学にも関わらず落ちてしまったのだが。
 
 新大阪駅に降り立ち、地下鉄に乗り換えて2駅、中津の駅に直結しているそのホテルこそ、「三井アーバンホテル大阪」であった。件の地下鉄の車内放送で名前はさんざん聞いていたから、宿泊先は迷わずここに決めた。コンコースから直結の通路を通ってホテルのロビーへ向かい、緊張しながらフロントにクーポンを差し出してチェックインする。渡されたルームキーに示されたのは14階の部屋。そこそこ高層階だし、さぞかし眺めはよかろうと思って部屋に入ると、窓に映るのはビル内部の吹き抜けばかりで、向かいの部屋が丸見えである。後に分かったことだが、このホテルはロの字状の造りになっていて、シングルルームは全てその内側に配置されているのであった。これには少々がっかりした。
 
 さて、宿泊の予約はパックで行ったものだから、朝夕の食事は込みである。ここで一つ難題が発生する。以前にも記したが、私は一人で外食するのがひどく苦手なのである。と言うより、それまでに一人飯など経験したことがないのだ。チェックイン時に渡された食事券を握り締め、最上階のレストランへ向かう。席に案内されたはよいが、メニューを持ってくる訳でなし、注文を取りにくる訳でなし、どうしてよいのか分からぬままじっと耐えていたら、そのうちウエイターがスープを持ってきた。どうやらコース料理のようである。勝手が分からず、ただ出されるものを出されるがままに口へと運び続けるのだが、今度は何を以て終了とするのかが分からない。デザートらしきものが出てきて、逡巡の末、きっとこれで終わりだろうと判断、席を立った。パックだから当然精算はないのだが、そのまま黙って店から出てよいのかどうかも分からず、おろおろしているうちに「ありがとうございました」と言われたので、安堵と解放感で、逃げるようにして部屋へ戻った。お分かりと思うが、最後のコーヒーを飲まないまま席を立っている。
 
 そんなほろ苦い思い出の“初ホテル”であったが、それだけに思い入れもあって、地下鉄に乗る度に車内放送を聞いては自嘲気味に嗤い、社会人になってからも、深夜に及ぶ残業が続いて帰宅が面倒臭くなったときには、格安プランで何度かお世話になった。後に、経営母体が変わったのか、「コムズホテル大阪」と名を改めたが、それ以降も、あのときのレストランでランチバイクングをやっていて、“プチ贅沢”と称して、家人とよく行ったものである。
 
 そんな思い出のホテルが、いつの間にか跡形もなくなくなっていた。隣にあった、ライバルの東洋ホテル(こちらも後に名を改め、「ラマダホテル」となった)も、同じように閉館になったという。格安のビジネスホテルに押されてしまったのか、はたまた中津というロケーションが災いしたのか、真相は分からないが、思い出のスポットがまた一つ、記憶の彼方へと消えゆくことは、そこはかとなく哀しい。三井生命ビルの跡地にはタワーマンションが建つそうであるが、それを見る度に、私にとってのランドマークタワーの幻影を見出すことであろう。
 
  にほんブログ村
 先日、知り合いの小学生の子が修学旅行に行ってきたと言うので、「どこに行ったん?」と問うてみた。答えて曰く、「明治村と、名古屋港水族館と、ナガシマスパーランド」と。
 
 更に続けてみた。「ふうん。ところで『修学旅行』というのは読んで字の如く、『学問を修める旅行』なんやけど、明治村ではどんな学問を修めてきたん?」と。しかし、「……」と答えに窮している。可哀想なので、「『学問を修める』というのは、それによって学びを完成させることを言うねん。開国以降の明治時代の文化や文明について、学校の授業で習ったようなことがあれこれとリアルに再現されていて、ほっほーんと思ったやろ?」と助け船を出してみた。けれども、ますます俯き黙ってしまうばかりである。「ま、ええとしよか。ほな、名古屋港水族館では何を学んだんや?」「……」「ごめんごめん、じゃあ、ナガシマスパーランドでは? 観覧車から木曽三川が見えて、輪中の人々の暮らしに思いを馳せてみたとか?」
 
 いよいよ苦しくなった彼女は、遂に涙声になって「……みんなでジェットコースターに乗って楽じんだだげでじだぁぁぁ」と語る始末で、幼気(いたいけ)なる子どもを苛めるのは本意にあらずと、それ以上の追及は控えることにした。
 
 子どもたちにとって修学旅行というのは、どこに行ったかとか、何を見たかとかはどうでもよいことで、自宅や学校を離れ、友達と非日常の時間や空間を共有することこそが大切なのであろう。「宿泊」という要素はその点において極めて重要な意味を持ち、日帰りの「遠足」とは須らく一線を画されるべきなのも論を俟たない。教師の目を盗んで女子の部屋へ赴き、目眩く逢瀬を重ねるという秘め事は、大人の階段そのものである。かく申す自分とてそうであった。ただ、それが修学旅行の本義かと言えば、そうではあるまい。
 
 それに、落ち着いて考えれば、教師の作ったスケジュールに従って移動しただけの彼らに「どこへ行き、何を学んだか」を問うのはそもそも無体な話なのであって、「修学旅行」の本義を忘れた行程を考案する教師たちこそどうかしているのである。各学校の修学旅行の行き先は概ね固定化されているのだから、何度も引率して訪れているだろうし、子どもたちの学びの機会とするならば、当地のことはまず教師こそが熟知しておいて然るべきとも思うが、これがどういう訳か、そうでもないみたいなのである。
 
 古い話で恐縮であるが、小学校のときの修学旅行を思い出す。当時は岡山に住んでおり、行き先は京都・奈良・大阪であった。ところが私は、その数年前まで大阪暮らしであったから、訪問先の全てが「行ったことのあるところ」なのである。テンションの上がらぬ話ではあるが、出身者として自分が観光案内くらいのことはできればと思っていた。
 
 実施日が近づくにつれ、教師たちの手作りによる『修学旅行のしおり』が配付された。が、それを見て私は、「先生、このページの京都の地図に路面電車が載っていますが、とっくに全部なくなっています」と異を唱えた。京都市電の全廃は1978年、それから既に7年が経過している。教師は一瞬言葉に詰まった後、「○○くん(私の名前)は本当によく勉強していますね。『修学旅行』というくらいなのですから勉強に行くのであって、遊びなのではありません。みんなも○○くんのように各自で調べるくらいのことはしなさい!」と激昂し始めた。矛先を変えられ、それによって自分が周囲から浮いてしまったのでは堪ったものではないから、「別に勉強した訳ではなくて、住んでいたから知っているだけです」と抗弁した。ちゃんと調べていないのは教師の方ではないか。
 
 もっと驚いたのは、事前学習の時間に副担任の教師が、行き先の一つである東大寺について、「何と、大仏の鼻の穴の中は人が通れるんですよ。とても大きくて、傘を差しても通れるのだからすごいですよねー」と言い出したことである。説明するのも憚られるが、「大仏の鼻の穴の中を通れる」のではなく、「柱に開けられた、同じサイズの穴を通れる」が正しい。それに、「傘を差しても通れる」なんて、申すまでもなくとんでもない虚偽である。現地では案の定、巨漢の児童が穴に引っ掛かって進退極まれる惨事が発生し、泣き叫ぶ彼の脚を皆で引っ張って救出し、事無きを得たのだが、制服のボタンは全部取れ、生地には一面に引っ掻き傷ができて見るも無惨な姿である。この教師は、一体どんな思いでその始終を見ていたのだろうか。
 
 近隣の小学校は最後をエキスポランドで締め括ったのに対して、我が校は、大阪空港の屋上テラスから飛行機の離着陸をただ眺めるだけであった。当時の岡山空港にはプロペラ機しか飛んでいなかったから、これを見るだけでも貴重な体験ではあるのだが、それでも「ボクらもエキスポランド行きたーい!」と、児童たちは喚く。教師は「修学旅行は遊びではありません!」と再び定型句を出して諌めるのであるが、一体どの口が言うとんねんと、可愛気のない私は思うのであった。
 
 それから3年後の、中学校の修学旅行。行き先は九州であったが、当時荒れに荒れた学校を立て直すために、福岡市内と長崎市内を班単位で行程を決めて巡るフィールドワークを取り入れ、「生徒たちが自らの手で作り上げる修学旅行」が企画された。2箇所でそれを行う学校は他に例がなく、校内の荒廃ぶりを鑑みてもリスクが大きいと、内外からの反対意見は多かったと聞くが、教師たちは「だからこそ、子どもたちの自主性を信じたい」との想いを貫いた。授業にはろくに出席しないヤンキーたちも、修学旅行にはちゃんと参加し、長崎ではちゃっかりカステラのお土産を買っている。大きなトラブルもなく3日間の行程を終え、満足そうに笑みを浮かべる担任団の表情を今でも忘れない。小学校も中学校も、同じ岡山市内の公立校であったが、全く対照的な修学旅行であった。
 
 どこぞの阿呆な中学生が、修学旅行先の長崎で、被爆体験の語り部に「死に損ないのくそじじい」と暴言を吐いた事件は記憶に新しいところであるが、当該の生徒に落とし前の付け方をきちんと指導すると同時に、修学旅行を単発の行事としてでなく、各々の教育課程の中でどう位置付けるのかを、教師たちはもう少し熟考すべきだと思うのである。これは特定の学校における固有の問題ではなく、修学旅行という制度においての一つの普遍的かつ象徴的な命題であろう。
 
 やんちゃな児童生徒たちを四六時中御し続けねばならぬ激務に思いを致さぬものではないが、それを理由に「それどころではない」と言うのなら、修学旅行なんて止めればよいのだ。「修学旅行は専ら学びの場である」なんて堅苦しい考えを振り翳すつもりは毛頭ない。しかし、「思い出が夜の枕投げだけ」というのも淋しい話である。シーズンもそろそろ終了となる今だからこそ、修学旅行の在り方というものを、振り返りを含めて見直すべきであろう。教師たちには毎年の年中行事であっても、子どもたちには一生に一度ずつのものなのだから。
 
  にほんブログ村
 昼休みの時間になると、勤務先に某保険会社のセールスレディが現れるのだが、あれがどうも苦手である。
 
 最近は忙しいので、会社の1階にあるコンビニで弁当を買い、自席に持ち帰って食べるのが習慣化しているのだが、さて昼休みなのでコンビニに行こうと思ってエレベーターホールに行くと、そのセールスレディが屹立して待ち構えている。昼休みは、どの会社も一斉にランチに繰り出さんとするから、3台あるエレベーターもなかなかやってこない。じっと待っているしかないから、“エア羽交い絞め”よろしく近寄ってくるのだ。
 
 「こんにちはー、○○生命です! この度、△△から私、□□に担当が代わりましたので、ご挨拶させていただきます。よろしかったら、お名刺の交換をさせていただけませんでしょうか?」
 
 まず、私は前の担当が△△さんという人だったことを知らないし、そもそも契約すらしていない、つまり客ではないから、担当が誰それと言われてもどう返答すればよいのかわからない。それに、今から飯を買いに行くだけなので名刺なぞ持ち合わせていない。その旨を伝えると、「では、お名前だけでも頂戴してよろしいでしょうか」と。いやいや、私の名前は私固有のものであるから、頂戴とねだられてもあげる訳にはゆかぬのだ……なんて意地悪なことは言わず(いや、でも「お名前頂戴」って、やっぱり表現としてやっぱりおかしいよ)、名字だけは名乗ってあげたら、「こちらをどうぞ!」とパンフレットを渡される。拒むのも気の毒なので受け取ったが、これから外へ出ようとする者にそんなものを押し付けて、相手が困るとは思わないのだろうか。しかも、パンフレットは学資保険の内容だったのだけれども、ウチには子どもがいないから、落ち着いて考えればとんでもなく失礼な話である。
 
 そうした「保険屋ガールズ」に入れ食いよろしく引っ掛かっている、いやむしろ、逆に話し相手として捕まえて離さぬ煩悩の塊のような男性社員も中にはいるのだが、そうではない私は、もともとセールスというものに拭えぬ先入観を持っていて、どうしても嫌悪感や拒絶感が先に立ってしまうから、どうしても彼女たちを避けてしまうのである。この感情はどこから出てくるものなのかを考えたとき、やはり、これまでの体験に起因するのだという結論に落ち着く。
 
 まず、セールスに携わるからには、「他人のテリトリーに臆面もなく入ってゆく厚かましさを持ち合わせていること」が前提というか必要条件にある。子どもの頃、知らないおばあさんが葱を買ってくれと言って我が家によくやって来た。誰とでも懇意にする社交性の高い母親は、嫌な顔一つせず、むしろ「買い物行かなくていいから助かるわあ」などと言ってはおばあさんを喜ばせていたのだが、私はこのおばあさんが、ノックをするでもチャイムを鳴らすでもなく、勝手に人の家のドアを開けて入ってくるのが、どうしても受け容れられなかった。如何に1970年代のこととは言え、集合住宅のドアを施錠もしないでいる我が家も我が家なのだが、当時の『土曜ワイド劇場』で、押し込み強盗に襲われる秋野暢子を見て以来、玄関の鍵を開け放っていることはとんでもなく無防備で恐ろしいことよと、トラウマになっていたから、おばあさんと言えども赤の他人が勝手に自宅に入り込むなんて、狂気の沙汰なのである。勿論おばあさんは押し込み強盗などではなく、ただ葱を買ってほしいだけなのだが。
 
 そんな訳で、大学生になって一人暮らしを始めてからは、ドアのチャイムが鳴っても、基本的には居留守を使ってきた。ところが弾みでつい出てしまったことがあって、そんなときに限ってろくでもないセールスなのである。酷かったのは有線(有線放送)の勧誘である。これが標準装備されているワンルームマンションを当時見たことがあって、チャンネルをあれこれ回していたら、一日中般若心経を唱えている番組や、一日中羊の数を数えている番組や、一日中卑猥なことを言っている番組など、いろいろあって面白いとは思ったが、四六時中家に居る訳でないし、わざわざお金を払って契約してまで聴くほどのものかと思い、「要りません」と断った。しかし、音楽は生活を豊かにする、これを聴いていないと合コンでカラオケ行ったら恥をかく、関大生は皆(1万人以上の学生全員に聞いて回ったんかい!)加入しているなどと畳み掛けて一歩も引かない。終いには「お金がないんならバイトして稼いでもらわんと」とまで言うから、「そんな恐喝紛いのことすんねやったら警察呼ぶぞ」と言って追い返した。「とにかくしつこいこと」もセールスの嫌な点である。
 
 社会人になって、店舗のマネージャーを務めるようになった頃、先物取引の勧誘電話が止め処なくかかってきたのにも閉口した。こちとらただの社員、地位も主任職相当であるから先立つものも持ち合わせていない。しかし、そうして如何に言葉を尽くして説明しても聞く耳を持たず、こっちが経営者であるという前提で話を続けるからどこまでも平行線である。挙げ句の果てには、電話に出た女子社員を「社長夫人」として追い込んでくるものだから、受話器を取り上げ、「お前ええ加減にせえよ」と凄んだら、相手は人が変わったようにキレ始めた。「何や話聞いてるんかいな」と笑ってしまったが、この女子は暫くの間、怖がって電話を取れなくなってしまった。蓋し、一方的に喋って相手を疲弊させ、根を上げて「わかりました、買いますよ」と言わせる戦法なのだろう。かくして、セールス忌避の3つ目の理由は「こちらの話を聞くより、自分の話を優先すること」であるが、私はそんなものに屈したりなど絶対にしない。
 
 まあ、屈することがないのは向こうの方が一枚も二枚も十枚も上手なのであって、件の「保険屋ガールズ」たちは、不死鳥の如くに毎日毎日、「こんにちはー!」と満面に笑みを湛えて近寄ってくる。押し売りの類の非合法なものでなければ、真っ当な仕事としてやっているのだからこちらが四の五の言う筋合いもないとは思うが、それでも、「保険屋ガールズ」の皆さんに一つだけ、お願いを申し上げたい。
 
 トイレに行くときまで一々「行ってらっしゃいませ!」とお見送りをしないでくれ。
 
  にほんブログ村
 秋風の心地よさを感じるようになった今日この頃に、夏休みのことを未だにねちねち言うのはどうかと思うが、緊縮財政下、今年も夏の逃避行が叶わなかったのは痛恨の極みである。9月以降の三連休は全て三連勤、今日など台風と闘いながらそれでもやはり「三連休は三連勤」なものだから、方々へ旅行に行ったという人様の話を聞けば、恨み節の一つや二つも言いたくなるというものである。自宅で地図を広げては“妄想旅行”に出掛けるのが、せめてもの慰みだ。
 
 基本的に海外には興味がほぼ皆無で、それよりは死ぬまでに国内の全都道府県を制覇したいと願っている。未踏の地は、青森、大分、宮崎、鹿児島の4県を残すのみ。これらの踏破も急ぎたいところであるが、一度行ったけれども再び訪れたいと思う地がある。中でも、長野県の松本から新潟県の糸魚川を結ぶ「大糸線」の旅は、何度行っても飽きることがない。梓川に架かる橋に因む梓橋駅のホームには「是より北 安曇野」の看板があり、田園の向こうに聳える北アルプスの峰々を望めば、一気に旅情が高まる。信濃大町から白馬にかけては、鬱蒼とした森や、仁科三湖と呼ばれる湖の縁を走り、南小谷で気動車に乗り換えると、姫川沿いの険しい渓谷を驚くほどの低速でくねくねと進んでゆく。景色を眺めているだけでも十分旅行の愉しみを実感できる私にとって、この大糸線の車窓ほど、我が心を虜にするものはない。
 
 かてて加えて、大糸線が旅情を掻き立てる要素には、何とも抒情的な駅名が多いことも挙げられよう。先述した梓橋に始まり、豊科、有明、安曇追分、安曇沓掛、信濃常盤、海ノ口、簗場、神城、信濃森上、千国、南小谷、北小谷、小滝、頸城大野、姫川、そして糸魚川。こうして書き連ねてみるだけで、えも言われぬ郷愁に駆られる。しかも、「あずさ、あずみ、くつかけ、ときわ、ちくに、おたり、くびき」とは、何と美しい響きであろうか。その響きの美しさは、きっと訓読み、つまり大和言葉であることから染み出てくるものに相違ない。響きの柔らかさ(例えば訓読みの一音目に濁音や半濁音が来るものは殆どない)もあるし、「追分」や「沓掛」など、その言葉の意味から古(いにしえ)の旅人たちの姿が想起される物語性もある。蓋しこれは、旅の抒情性に関わる、極めて重要なファクターであるのだ。追分を「ツイブン」、沓掛を「トウケイ」などと読んだのではそうはゆかない。
 
 翻って、5月に引っ越してきたここ大阪市港区。田中とか石田とか、吃驚するほど普通の地名(かつてこの辺の新田開発を行った人の姓に因むものらしいから「吃驚するほど普通」などと言っては失礼なのだが)もあって笑ってしまうけれども、波除(なみよけ)、夕凪(ゆうなぎ)、磯路(いそじ)、三先(みさき)と、文字にしただけで潮の香りが漂ってくるような抒情的な地名が、ここにもある(尤も、「岬」のことだと思っていた「三先」は、調べてみたらそうではないらしい。詳しくはここを参照)。
 
 しかるに、大阪維新の会が8月に発表した、都構想における大阪市の区割り案を見て、私は思わず嘆息を漏らしてしまった。現在24ある行政区が5つの特別区にまとめられ、その区名が「中央区、北区、東区、南区」、そして我が港区を含む地域は「湾岸区」になるのだという。大阪維新の会のあくまで“構想”であるから、狼狽えることもないのだが、あたかも決まり事のように報じられたものだから、心に波が立ってしまうのである。
 
 細分化された区をまとめるのは必ずしも悪いこととは思わないが、機械的なまとめ方も如何なものかと思う。例えば「湾岸区」は、西淀川、此花、港、大正、住之江と、単に海沿いというだけで地理的つながりのない地域が一括りにされる。この「湾岸」は、南北に連なる位置関係であるから、ダイレクトな行き来は阪神高速道路によるものしか手段がないのである。ましてや車を持たない者が、西淀川の中心である歌島橋から、「湾岸区役所」が置かれるという南港のトレードセンターまで行こうと思えば、御幣島からJR東西線で海老江まで出て、野田阪神から地下鉄千日前線に乗って阿波座へ行き、中央線でコスモスクエア、更にニュートラムと、3回も乗り換えを強いられる。検索ソフトで調べたら40分以上もかかるのだ。大体、阿波座は「湾岸区」ではないから、区内の移動なのに一度区外へ出ねばならぬというのも不条理である。
 
 それ以上に、地名の持つアイデンティティを大切に思う者にとっては、東西南北や中央は、ただの位置関係を表す記号に過ぎず、どうも無機質に感ぜられてならない。最近、雨後の筍の如くに誕生している、周辺の市町村を合併して強引に成立した地方の政令指定都市でも、「特定の地域を区名に採用しない」という方針の下、同様の決定がなされるところが多いが、全く以ていただけない。その点、仙台市は、同様の条件に加えて「東西南北と中央も採用しない」という方針で区名の公募がなされ、「青葉区・宮城野区・若林区・太白区・泉区(これだけは旧泉市の合併によるものなので命名の経緯が違うのだが)」という名前になったそうだ。大阪市も、どうしても5つにまとめたいなら、せめてこういう風情のある名前にできぬものだろうか。例えば「北区」は、昔の朝日放送ラジオを聴いていた人なら誰でも知っておられる「大淀区」の名を復活させるなんてどうだろう。
 
 さすれば、「湾岸区」は無機的でないからよいではないかと言われるかもしれない。確かに、当初は、他の区と同様に「西区」の名称とする予定だったらしいから、それに較べればましとも言えるが、「『湾岸区』と名付け、舞洲にカジノを誘致し、『東洋のベネチア』とすることを目玉とする」という発想が感心しない。「湾岸」の名前で「東洋のベネチア」たり得る訳でもあるまいし、バブルの余韻のような安直な名前が、地域に固有の地名の美しさを相殺してしまってはならぬと思うのだ。
 
 よく考えれば、現在の大阪市の区名は、方角は北、西、中央(かつてあった南区と東区は中央区に括られた)の3つ。天王寺、大正、城東だけが音読みで、後は都島、福島、此花、港、浪速、西淀川、東淀川、東成、生野、旭、阿倍野、住吉、東住吉、西成、淀川、鶴見、住之江、平野と、軒並み大和言葉の地名なのだ。「此花」が、古今和歌集仮名序に引かれている王仁の歌「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」に由来するのは広く知られているところであるし、「住之江」も、百人一首にも取り上げられている「住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人めよくらむ」という藤原敏行の歌で知られる歌枕である。こういう由緒ある地名が、「湾岸」などという漢語表現に取って代わられるのは、やっぱり承服できない。
 
 奇しくも「湾岸」という名の警察署を舞台としたドラマ『踊る大捜査線』での、織田裕二の名台詞「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」ではないが、もう少し現場の考え、つまり民意を汲んだ都構想であってほしいと、地元を愛する一市民は思う。
 
  にほんブログ村