弥生三月。世間ではそろそろ卒業式シーズンである。この時期になると毎年、YouTubeなどに上げられる各地の卒業式の動画を見ながら、一人感傷に浸るという何とも根暗なことをやっている。とりわけ卒業生退場のシーンなどは最も感極まるクライマックスであって、清楚な女子がハンカチで涙を抑える姿は誰であっても絵になるし、ヤンキーどももちゃんと卒業式には出席して、粋がりつつもそれなりに振る舞っている様子は微笑ましくもある。そして、卒業式の情感を盛り上げるのに欠かせないのは、バックに流れる音楽の数々である。
一般的にどうなのか分からないが、クラブ活動への入部を考える際、男子たるもの運動部に入らずして何とせんや、といった空気というか風潮がどこかにあって、私も小学校のときには剣道を習い、その後水泳に転向して、その流れで中学も水泳部に入ったのだが、実は、本当に入りたかったのは吹奏楽部だったのである。昔から、音楽に造詣を深めることにはほのかな憧れがあって、例えば小さい頃、妹が習っていたピアノの先生の美しさに見蕩れながら、自分もピアノが弾けるようになりたいと思った私は、家に誰もいないとき、密かに鍵盤の上に指を運ばせてみたりしたものである。結局、憧れは憧れのままこの歳まで生きてきて、何らの心得も持たずじまいであるが、もし、人生をやり直せるなら、もっと音楽とともに歩んでいきたい。
小学校のとき、4年生と5年生の選抜されたメンバーで、卒業式の「俄か楽団」が結成されていた。私の通った小学校では、3年生以上が卒業式に出席することになっていたのだが、楽団の演奏する楽曲の数々が、9歳の心にも十分沁み、また演奏する上級生たちの姿は大層格好良く見えたのである。そして、自分もあそこに参加したいと、密かな憧れを抱いていた。でも、ここでもやはり「男子が音楽なんて」という気持ちが働いてしまい、4年になったときに、自ら手を挙げることはできなかった。卒業式では、主役である6年生よりも、楽団の演奏ぶりばかりに目が行っていた。中でも1つ上の男子が、華麗な手捌きでティンパニーを叩いている姿は、同性ながら惚れてしまいそうになったほどで、「男子でもあんなに格好良く音楽ができるんやぁ」と思った私は、来年こそは必ず立候補しようと、固く決意したのである。
そして5年になって、それでも多少の躊躇はあったものの、クラスメイトの推挙もあって、晴れて「俄か楽団」のメンバー入りを果たした。どういう訳か私はアコーディオンのテノールのパートに当たったのだが、1月から足掛け3ヶ月間、毎日放課後に行われる練習は大層厳しかったが、楽しく心地良い時間でもあった。入退場曲はベートーヴェンの交響曲第9番から『喜びの歌』。それに式典曲の定番である『君が代』、『蛍の光』、『仰げば尊し』。そして校歌で締め括るという王道のラインナップに加え、卒業証書授与の間エンドレスで演奏する「6年間の思い出の曲」は何と60曲にも及び、譜面と曲順を覚えるだけでも血を吐きそうなほどに大変だったが、『うみ』、『春がきた』、『虫のこえ』、『夕やけ小やけ』、『春の小川』、『ふじ山』、『もみじ』、『思い出』、『おぼろ月夜』、『ふるさと』等々、参列している保護者の涙腺を決壊させるにはあまりに十分な曲目揃いで、今こうして筆を執りながらそれらの曲を口ずさんでいても込み上げてくるものがある。これは小学校6年間での大きな思い出の一つだ。
中学は前述のとおり水泳部に入ったのだが、2年のとき、どういう経緯か記憶にないが、1つ下の女子と競泳の勝負をすることになった。結果、コンマ数秒の差で敗れ、この上ない屈辱のあまり、その日を限りに不登校ならぬ「不登部」になってしまった。彼女は後にインターハイに出場するほどの猛者で、学年や性別の差こそあれ、そんな人間を相手にコンマ数秒差とは私もよい勝負をしたと勝手に思うのではあるが、それも所詮負け犬の繰り言で、その程度の実力だったと諦念する他はあるまい。そんなことがあり、塾に通う訳でもなく、暇を持て余すばかりの帰宅部員になったのであるから、当時付き合っていた彼女が吹奏楽部だったことも手伝って、音楽への想いは再燃したのである。水泳をやっていたくらいなので肺活量には自信があり、それを理由として吹奏楽部への勧誘も受けたが、こちらはこちらで、地方大会に出るような強豪であったので、素人が突然入ったところで足を引っ張るだけだろうと憚られてしまい、卒業まで帰宅部で通した。でも、種々の式典や体育祭、文化祭などで吹奏楽部の活躍を見ていると、ああ最初から入部しておけばよかったと思いは募る一方であった。
中学の卒業式は、小学校のような「俄か楽団」ではなく、吹奏楽部による本格的な演奏であるから、重厚感や迫力は全くその比ではなかった。大仰でも何でもなく、演奏を聴いているだけで鳥肌が立った。そして、「これは一体何という曲なんや!?」と猛烈に印象に残ったのが、卒業生入場の曲である。退場曲はH₂Oの『思い出がいっぱい』で、アニメの主題歌でもあったからこれは知っているのだが、入場曲が分からないしどうしても知りたい。でも、今日で卒業であるから誰にも聞けない。彼女に訊けばええがなって? 既に別れとったわ。
それから高校進学後も、大学に入っても、耳コピ(?)による鼻唄で、吹奏楽部の人を中心としていろんな人に曲名を問うて回ったのだが、誰一人として正解を教えてはくれない。悶々として歳月が流れること6年。たまたま見ていたニュースで、阪神・淡路大震災を乗り越えた兵庫県の県立高校の吹奏楽部に密着するドキュメンタリーをやっていた。震災で多くの部員を失い、部員たちはどうすればよいのかと途方に暮れるが、残されたメンバーで態勢を立て直して懸命に練習に挑む。そして万感の思いを込めて、卒業式の日、それを演奏し、卒業生を送り出す。そう、これが、私の中学の卒業式で流れていた、あの曲だったのだ。J・スウェアリンジェンの『ロマネスク』という名の曲だという。VTRが終わった後、キャスターの安藤優子は号泣していたが、涙が止まらぬのはこちらも同様である。早速、梅田マルビルのタワーレコードに駆け込み、念願のCDを購入して、来る日も来る日も永久にリピートして聴き入った。
今はネット上でいとも容易く聴くことができ、タイトルが分からなくても、何かキーワードを入れて検索すれば、そうした楽曲の数々との邂逅が果たせる。件(くだん)の『ロマネスク』は、その道の人たちには一様に「ああ、あのしんどい曲ね……」と気のない所感を述べられるが、私には卒業シーズンのこの時期、決まって思い出される名曲であり、青春の輝きの象徴とさえ言ってよい。
さて、「春は名のみの風の寒さ」ではあるが、それでも卒業式は大人へと一歩を踏み出す晴れやかな日である。その晴れやかさは、希望に満ちた卒業式ソングとともにある。その感慨を噛み締められる幸せに、学び舎を巣立つ若者たちには思いを致してほしいものである。