第98回 運のない男 | 『虹のかなたに』

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たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

 年賀状の発売が、既に10月末から始まっていたということを知らなかった。例年は11月に入ってからの発売開始だったように記憶している。昨今では年賀状を出す人も年々減少していると聞くが、早くから売り始めて話題化を図り、発売枚数を少しでも伸ばそうとする戦略なのであろうか。だとすれば、早くから売り始めたことすら知らなかった人間がここに1名いる訳であって、もっと派手に訴求を図るべきではないのだろうかと余計な心配をしてしまう。年賀はがきの販売ノルマに苦しむ郵便局員たちは自爆営業に走り、金券ショップに売り捌く際の差額は自腹というのだから、かかる憂慮は尚更である。
 
 それはさて措き、年賀状というものは、出す(書く)のは面倒臭いけれども、もらうのは嬉しいという、“自分勝手の王道”の代表格ではないかと考える私は、この数年、もらった人にだけ出すというスタイルを取っている。流石に目上の人には、自分から差し出し、しかも元旦に届くように出そうとは思うのだが、年末大晦日まで仕事に追われるという言い訳の下、最近では相手の格の上下に関わらず元旦の投函である。非礼の段をご寛恕願いたいと思うが、それでも平均すれば120枚ほど頂戴するので、ありがたさをしみじみ噛み締めながら、届いた一枚一枚に目を通している。
 
 さて、その約120枚の年賀状のほとんどは、お年玉くじ付きなのであるが、どうした訳か、最下等すら1枚も当たらないということが、かれこれもう10年くらい続いている。郵便局のWEBサイトを見ると、2016年のお年玉商品の当籤確率は、1等の「旅行・家電など・現金(10万円)」が100万本に1本、2等の「ふるさと小包など」が1万本に1本、3等の「お年玉切手シート」が100本に2本とある。確率どおりであれば、切手シートの2~3枚くらいは当たって然るべきというのに、これは一体何の罰であろうか。かてて加えて口惜しきは、自分が出した年賀はがきが「当たりました」という知らせをよく受けることである。
 
 正月早々、卦体糞の悪い話であるが、我が人生を回顧すれば、どうやら「くじ運」にはとことん恵まれぬようである。
 
 昔ほどあまり見なくなったような気がするが、アイスキャンディーの棒に当たりくじの付いたものがある。あれに当たった回数は、42年もの間生きていて、片手で数えるほどである。当たりつきアイスの代表格である『ガリガリ君』を製造販売している赤城乳業のWEBサイトによると、「ガリガリ君の当りの確率は、景表法という法律に則って、公正に調節致しております。具体的な確率については、申し上げられませんが、その範囲内で還元させて頂いております(原文のママ)」と記載がある。景表法とは「不当景品類及び不当表示防止法」のことであるが、消費者庁のWEBサイトで確認すると、景品の当籤確率は「懸賞に係る売上予定総額の2%」以内に設定することになっているらしい。つまり、当たりの確率は最大50本に1本ということになる。生を享けてから今日までに当たりつきアイスを何本食したかの確かな記憶はないが、仮に月に1本ずつ食べ続けたとするなら、これまでにおよそ500本は口にした計算となり、当たった本数は片手では済まぬはず、小学校の時分ならもっと頻繁に食べたはずだからそれ以上に相違ない。当たりつきの飲料の自動販売機で当たった例もほとんどなく、確率論だけで言えば、「人並み」を著しく下回る運のなさなのだ。
 
 そんな不運ぶりであるから、偶さかに当籤の幸運に浴すると、それはもう、盆と正月が一度に来たどころの騒ぎではないのだが、これにはこれで、恨めしい事態が待ち受けている。
 
 子どもの頃、当時日本水産から発売されていた『ドラえもんソーセージ』という魚肉ソーセージのくじに当たったことがある。当たるとタケコプターが貰えるという代物であるが、ねだったものを何でも買ってもらえるような甘い家庭ではなかったから、まず、これを手にすること自体が難関であった。それだけに、割と早い段階で当たりが出たときには狂喜乱舞した。その当たりくじを発売元に送ると、程なくして景品が届いた。これをガムテープで頭に貼り付け、皆の前で滑り台の上から飛んでみた。しかし、当たり前であるがそのまま地面に墜落し負傷した。のみならず、タケコプターを頭から取り外す際、結構な数の頭髪が抜け、断末魔の叫びを上げた。折角の当籤というのに、えらい目に遭ったものである。
 
 懸賞応募もまあ当たらない。「厳正なる抽選の上当選者を決定します」「当選者の発表は賞品の発送をもって代えさせていただきます」とは懸賞の定型句である。厳正に抽選してもらえるよう、アンケートには丁重に回答し、書道に臨むような気持ちで宛名を書いて投函するのにも拘らず、である。懸賞生活なんてものを営んでいる人がいるらしいが、どうやったらそんなことが可能になるのだろうか。数打ちゃ当たるという言葉があるが、こちとら数を打っても当たらないものは当たらないのだ。それでも一度だけ、文藝春秋社の献本に当たったことがある。しかし応募したことすら忘れていた私は、発売日にその本を購入して、早々に読了した。そして読了したその日に、「おめでとうございます!」と、当籤した本が送られてきた。347ページに及ぶ長編が2冊、仲良く書棚に並んでいるのを呆然と眺めるばかりであった。
 
 それほど運のない男であるから、ギャンブルなどは全くの埒外である。競馬場にも競輪場にも競艇場にも絶対に近寄らない。大学時代にえらい目に遭って以来、麻雀は「やったことがない」ことにしている。尤も、「相手の手を読む」能力が絶望的に欠損しているので、運の以前に、将棋も囲碁もオセロもトランプも何もかもダメである。
 
 そんな次第にも拘らず、やはり大学時代の一時期、パチンコを嗜んでいたことがある。しかるに勝ったのは一度だけ、しかも金額は6000円である。やっぱりダメなのだ。ところが幼稚園の頃、日曜日に父親のパチンコに付いていって、父の膝に乗って打たせてもらったことがある。18歳未満は入店禁止のはずだが、子どもを車の中に放置して熱死させる鬼親ではなかったから、仕方なく一緒に連れて入った。父が打っているのを見て「ボクもやりたい!」とせがんで興じてみたところ、これが大フィーバー。当時のパチンコ台は、今と違ってレバーを操作して一発ずつ打つスタイルであったが、幼年時代の私は、絶妙な力加減で玉を打ち、確実に入賞口へ玉を導いてみせた。出るわ出るわの大騒ぎ、周りのおっさん連中から喝采を浴びたという。戦利品のお菓子を大量に持ち帰り、母を驚かせたが、私の親指にぷっくり水脹れができていたのにもっと驚いたと言う。
 
 今にして思えば、この時に人生の運気を全て使い果たしてしまったのかもしれない。そろそろ年末ジャンボ宝くじの時期であるが、買うか買うまいかと逡巡する日々である。
 
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