切っ先を研ぐ日記 -8ページ目

ル・マン24(生きて還る)

アウディに惜しくも(?)敗れたトヨタの挑戦と時を同じくして仲間の
元に還ることが出来なかった挑戦者が、今年はいた。

それでもレースは廻り続け、24時間後のゴールを無事に通過した者を
幾ばくかの哀しみと祝福で迎えた。

良い成績で終わったのが嬉しいのではなく、無事にこの過酷な耐久レースから帰ってこれたのがうれしいのだ。
そう、常に死がぽっかり口をあけているのは知っているが、今回も自分ではないだろうと言い聞かせ、安全技術は進歩したと仮定してみるが、走り出してみるとそれはなくなったのではなく゛見にくくなった゛ことに安堵する。

まず勝負であるがゆえに怯んでばかりはいられない。自分の命さえも
天秤に載せなければならない時も訪れる。
死が見えるからこそ生が愛おしい。

この暗き穴へ足を滑らす理由は何だろうか。

落ちるはずがないという慢心。
よく目を凝らせば見えるはずなのに、あえて見ようとしない。
落ちてもやり直せるとかいう勘違い...。

負けを知っているからこそ勝つことが極上に感じるように、死を
まったく意識しない生は自分が思っているほど輝いてはいないのだ。

レース早々に旅立つ友を見送った彼らのル・マンは、生への帰還を
例年以上に意識させ、しかしゴールするという喜びは比べるものがないほどの輝きを放っていたに違いない。

満月は困る

自然界に暮らす“俺“という生き物は、やはり自然界の影響を
常に受けており、自分の意思でコントロールしようと思っても
細胞がそうしたいのなら抗うことなどできるはずもなく...

若々しい頃は毎日がギラギラしていたのであるが、少し落ち着くと
そうでない日があることに気付くのである。

このまま大人しい生き物に変化していくのかとぼんやり過ごして
いたのだが、来たる゛満ちる日゛を前にするとどうにも押さえ込み
が効かなくなる。

夜勤明けは...とも言うが、そうであれば年がら年中夜勤明けの人間
はほぼ常に狼ということになる。しかし実際はこの期間だけである。

疲れているのであんまり、と思いながらも自前で処理するのだが、
次の日も同じである。しかし、しかし、と言い聞かせながら満ちた月がこぼれるのを待つ。

するとどうだろう。昨日まで荒れ狂っていた細胞が、役目を終えたかのごとく静まりかえっている。一抹の寂しさと共になぜかほっとする
自分に気づく。

ただこれはどうなんだろう。自然に抗っていないか。
だからこんなに苦しむではないのか。

苦しむ必要はないのだ。月の満ち欠け、潮の満ち引きに身を委ねて
生きていけば良い。
そう、君はまだ狼になることができるのだよ。

忘れてはいけないことだ。


槍研げる

やり遂げた時の幸福感は大好きである。

自分の持つ能力や環境すべてをフルに発揮出来たときは、
もうそのまま死んでもいいくらいである。

ここ数年そんな仕事はしていない。

趣味と家事でがんばったことはあれど、所詮我が事であり
つかれた~以外特に感想はなかった。

そういえば、学生の頃ってみんな一人暮らしが多かったから、
困ったとか助けてくれみたいなのがちょくちょくあったのだが、
地元に帰って家族のそばで暮らしだすと、まったくそんなそぶり
すら見せなくなる。

それでいてあの頃は面白かったなぁ~とか懐かしんだりするの
だが、また仕事で県外一人暮らしを始めると、これまた仕事を
通して奇々快々な出来事にどっぷりつかれるのである。

こうやってみると、やはり信頼できる家族の存在というのは
大きいなぁというのと、それがない人でも寄りかかろうとすれば
おい大丈夫かと少しの間でも支えてくれる人はいるもんだと
つくづく思う。甘え過ぎはよくないが。

ここ数年は自分の事だけを考えながら生きてきた。
そろそろ限界が見えてきた。
もっと燃えながら生きていきたい。


...って考えんと動かんようではまだまだ。

( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ