安部公房といえば、海外では日本の最も有名な文学者として知られている
アプレゲール.アバンギャルドを代表する旗手であった
1971.4.7の日付けと私のサインが奥付けにある本を取り出した
高野斗志美先生の労作「安部公房論」だ
*サンリオ選書1971.4.1初版
そこに展開される「見る」立地に幻惑を覚え、今日、浮かび上がったその視座に発見の大きな喜びと私の感性のシンクロを見出し戦慄した
1971年は私は21歳、とても理解できた事象ではない
現在の祖国が描かれていたのだ
安部公房の言葉、高野先生の言葉をたどってみよう
文脈と単語接続は私の責任において行った
すでに 「解体された素顔の世界」
鮮やかに破砕され、再構築されて均一化に向かう、人間そっくりの奴隷たち、顔を失い、顔を支える、<私>の内部、私が私たらしめる根拠の「顔」の真ん中に底なしの空洞があることに気が付く
ニンゲンの紐帯を解体しながら「もの」の秩序が世界全体を覆い、ヒトの願望一切がナンバーに収斂してゆく
大城戸註 ナンバーとは金銭のデジタル化、もはや金銭は電脳空間上の数字でしかない
その方向性は、「無限の後ずさり」 絶対の自己矛盾に向かい、仮面が人間であり、仮面として生きる
到来していない(したがって影響力皆無)未来に引きずられている、反世界において、内部と外部が同質でありえない
外部(社会)の圧力が内部に浸透し、内部は変形を強いられ、「ものの秩序」に従うように変形する
昨日と今日は同じであると思いがちであるけれど、果たしてそうだろうか
ふと、胸に手を当てると 胸の荒野はスカスカ
日常の微視的継続にしびれ、縦横、無数の交点さえ見いだせない
虚構の破壊こそ、いまの命題だろう
とは言いながらうまいものも食べたい