白い秋 (18歳の習作) | 卍老人残日録

卍老人残日録

-真剣道継承未完- 

50年以上前 松山商業高校では、3年生になると「レタリング」という授業があった。

当時、印刷や看板などは高価であり、いまでいうPOPを自分で書けるようにと、美術と混交で教えてくれた

 

 

さて、そうなると、身を入れてその美術(課題でもある)モノを仕上げるとなると中身も欲しい

 

人の書いたものなどと、少年の僕はおごりに満ちていた(笑)

 

そこで、中也が「朝の歌」という定型詩を作ったのを思い出して

 

五七調 文語体  シェクスピアのソネット(14行詩)で作ろうと試みた。1968年秋のころだ

 

ところが、本仮名遣ひがあやふやで(習っていない)独学だった

 

今夜それを添削したいと愚かにも考えた

 

 

「白い秋」 

        2024.01.07 深更

 

秋の日は風にうるほひ

滅びたる含羞のいろ

   水の音白く聞こへて

   ああ、胸に滲みいるかな

思ひ絶ち女のゆきぬ

呼気辛くわれは諦らむ

   影のいろ紫とあり

   わが心なにものもなし

風ありて髪に触れれば

その腕の優しくありぬ

   朝空はひかりてありぬ

   秋の空ただ澄みてゐぬ

蒼ざめし夏の終焉りは

白き音人のこころに沁みわたるかな

 

当時、済美高校(女子高)の生徒会長だった都さんに捧げるつもりだった

放課後の彼女は2㎞程離れた松山商業に私に会いに来て済美の制服で校舎を平気で歩き回り、困った私はとある方法で難局を乗り越えた(笑) その顛末は過去に記した

 

彼女と初めてのデートの時、中也詩集を手渡したのだが、いまはどうしているかしら?

中島(海賊)の血がお互いを呼び寄せたのだと近頃考えている

彼女の島「二神」と私の父方の島「怒和」は隣です

過去に先祖たちが行き来もあっただろう、

なんという運命だろうか・・・