武衛会は、私のキャパいっぱいに会員が増えました。
それはそれで、同志が多くなるのは歓迎ですが、中身が薄くなっては意味がありません。
夏以降そのことに考えをまとめていました。
①私がいつまで指導できるか? (やって見せられるか)
中身がないでは皆さんに申し訳ない
②会員にどこまで肉薄できるか、というのも対機説法(仏教用語)を主眼としているからです
③腕が伴い、理屈がわかる方々を輩出できる期限
その他私事など
そこで、夏以降は「流す」稽古に切り替えました
例えば、初伝をさらりと流す
ついてこれない人がいてもOKという稽古です
ただ、この方式にはちゃんと救済法を設定しました。
自由稽古の時間に私を呼び止めて質問できる設定
これなら、各人を仔細に見る必要もなく、会員自身が自分の不得意や、理解できていないところを自ら発見できる
各人を仔細に見ることから解放された私は、道場全体のレベルアップについて稽古ごとのメニューを適用できるようになりました
置き去りにするのではありません
自らが求道の意志を保持し、自らに問う、その方針に転換出来うる、テストケースです
難しい理合いを説明しても、会員のレベルはまちまち
それならば、各人が見つけてもらおうという私の横着です(笑)
前回の稽古では古参の興一剣氏におさめまで取り仕切ってもらい、私は記録係となりました。
次は女流ながら、道場一の古参 玲水さんにお願いしたいと思っています
なに、男も女も年齢も関係ない、また外国人だろうが全部ひとしなみに基道館の会員です。女流ながら7段になり道場を構えた、「城一水」さんだっている
振り返って、私は常に正しいと、自分を鼓舞してきた
それは大いなる自己憐憫と、誤解であろう
それを今、正してゆこうと思っている