卍老人残日録

卍老人残日録

-真剣道継承未完- 

 

 

ご覧のように、カメラのレンズ回りに小粒の電球のようなものが設置され、これがセレンの露出計でした

そんなに昔ではなく、およそ50年ほど前の技術です

 

ただし、セレンは1880年ころに発明されていたそうで 日本のカメラに搭載されたのは、私が子供のころでした

 

太陽のエナジーを利用しようという試みはすでに1800年代にあったのですが、近頃の貪婪な外国資本による、日本においての「太陽光発電」には絶対反対の立場です

 

皆さんもご存じのように、昔はお風呂のお湯のため、屋根に太陽光を利用した設備をした家が多くありました

ガス代や、マキ代の節約にもなり、弊害はなかった

 

しかし、現代のそれは、大規模で、利益の目的で広大な地域を埋め尽くし、山を崩し、災害の引き金としての役割を担っている

しかも、かわいいセレン電池もそうだが、現代の太陽電池は「毒性」を顕著に持っていて、壊れたりしたら、健康に甚大な危険が及ぶ

 

 

私の住んでいる、伊予の国 西条市では広大な面積を太陽光パネルが埋め、行政もそれを推進している節があり、耕作放棄地をキューイを作りますというニュージーランドの会社に格安で売り払った。 農道までつけて(一坪千円ほど)農民が通行できないようになってしまった。

 

ところが、この会社、実は香港に本社があり、実態はシナ共産党の傘下企業であったのを暴いたのが「参政党 愛媛」

 

私もこの推移を眺めながら、物事には利得と損害が裏表という感想を抱いている

 

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古いカメラを眺めながらふと考えた次第

意味はない(笑)

 

 

 

 

 

物事の成否に於ける解釈と評価は、それぞれ異なる立場があり一定ではないだろう。

 

それが一端芸事となると、流儀だの、正統だのと喧しい。

その流儀の掟を守ることを使命として永年芸事に身を置いてきたのだが、当方必死(比喩)であるにも拘らず、

習いぱなしの方に教えてしまう失敗を幾度となく経験してきた。

 

世はパラダイム転換の最中で、迷走台風が現れたり、消えてしまったり「今まで経験したことがない」状況に

右往左往のドタバタ劇に言葉もない。

 

私たちは意義あることに向かっているのだろうか?

 

修証義には

「人身得ること難し」と書かれている

また「最勝の善身を徒にして露命を無常の風にまかすこと勿れ」ともいう

 

意義あることとは、天分 地分 自分という 立場をわきまえ

わがことのみならず、垂直に貫く歴史に参加することではないだろうか

遠いところで起きた出来事、命が芽生え、幾重にも出来事が織りなされ、DNAに刻まれて

到達したこの空間時間に「自分が生きている」

 

絶対の存在が「ゆけ」と命じた我々の命、この時点で、泡のような金銭に溺れて消滅してはご先祖様にも

先師たちにも申し訳ないだろう

 

現実問題としては、食の安全を確保し、健康で元気に過ごす

生きている目的は、明確に表明する

例えば私は「日本伝統ブドウの継承」して次につなぎたい

私の内容はつたないかもしれない、いやつたないだろう

しかし、習ったことには「真」が練り込まれているはずだから

同志が掘り起こし輝くものにしてくれる可能性は多大だ

その同志とはただいまの同志かもしれないし

10年後、50年後、100年後かもしれない

継承することには「熱」が必要で、その覚悟を保持するためには健康であらねばならない

 

 

人それぞれ使命も違う

悪のお役目を任されている方もあろう

天の経綸はニンゲンには理解できないから

行いをするときに反復して唱える呪文が私にはある

「動機善なりや」

8月も終わりにこのようなことを考えて、原稿用紙に向かった

 

 

PETRI カメラは安価でいい写真が撮れるように頑張ったメーカーだった

 

一流のメーカーはそれなりにすごいものがあったと思うが、70年代の「イケイケ」ムードは

日本の「負けじ魂」の噴出を見た

 

労働争議で この会社が倒産したという。

会社がつぶれるまで争議をするというのは合点がいかない

元も子もないだろう

 

この珍しい カメラを「いけにえ」に私は悪魔の儀式をするのじゃよ(ふふふふ)

 

取り出したのは、ARマウントのアダプター

 

それを何とかくっつける

 

ネットには参考になる動画や、サイトがある

余っていた

マイクロフォーサーズのアダプターに装着

 

 

 

実に面白い写真が

 

今日は、西条ベースに出撃した

 

会場では、西条の消防の人たちがいろんな展示をしていた

 

救急法の展示(体験してもらう)は館内だったが、残りの方たちは外で頑張っていた

ご苦労様です、人を救う活動に感謝します

 

太鼓もあった

 

 

しかし、この夏は異常に暑い

 

暑い中の出撃はなかなか苦しかった

年齢にも関係するだろう

 

車内の温度は40度を超えたろう

 

 

 

 

ダーリンは頑張った