卍老人残日録 -2ページ目

卍老人残日録

-真剣道継承未完- 

若いころ、と言っても田舎の高校生のころだが、熱心に「北京放送」を聞いていた。

 

まあ、トンマな時代だ

今となっては、シナ共産党という「DS」傘下の役者たちの芝居が、いかに狂乱を生み出し、シナ人民が地獄のような状況に置かれたのかは人口に膾炙した。

なんといってもいまだに共産党・共産主義という極めて美しくできた理念、その実はDSの走狗だったという正体バレバレの人たちが絶滅もせずのさばっているのは不思議だが、彼らも間もなく消え去るという朗報を聞いた。

 

だまされるというのは、無知と、そんなはずはないという傲慢からくるものかもしれない。

 

また、騙されているふりをして、あるいは確信的にDSの中に居場所を探るいぎたない人も多数見受ける

 

既成の歴史において、疎外されてきた人。

また自ら望み埒外に出た人

謙虚を保ち、事あげせず慎独を貫く人

それらの人々に笑顔が戻る日は近い

 

***********

 

今日、西条市のアクアフェスに出撃して帰宅した時、ふと脳裏をよぎったことがある、武道についてのちょっとした考え。

 

伝統を守るという立場であれば、先師、先人の偉業に習うべきなのに、ことわが流に限って言うと

図譜を読んでいない人とは何であろう?そんな先生がいていいのだろうか?

 

というのも、図譜は戦前に上梓され、その内容については当時ご存命の歴代宗家が目を通していると明記されている

なのに、それを読んでいないどころか、改変し自分勝手な解釈をずうずうしく開陳するお方がいる。

それは伝統に添う姿ではなく、得手勝手というものだ

 

共産主義のようにロス茶がロマノフ家の財産を狙い作った不純なものではないなら、人の道という考えに沿った居合が必ずあるはずで、主義と道を比較するわけではないが、居合に置き換えてみると、矛盾点が浮き上がってきた。

 

競争原理という間違いが日本武道を捻じ曲げてしまい、現在の混乱があるだろうと愚考(愚公)する、いつそうなったかははっきりしている、試合が始まってからだ。そしてわが流にはかなりの分派が生まれた、腕がいいから分派したのではなく、先師の教えを守らないで分派したエゴイストがいるということだ。

 

そして、自分たちの囲いを作り、ますます自らを狭めている

 

先師の教えを守るならば「その立ち位置で」戦うべきで(修行するべきで)いやだから離脱するという卑怯には至らないだろう

 

分派、分流していいのはわが流において「山内派」のみである

これは殿の流儀だから優先事項である

下々の我らは自分の都合で一派を立ててはいけないと思っている

 

ここまで書いたから、推敲は明日にする(笑)

草稿こそが胸の裡をよく表すのではないだろうか

 

 

 

 

 

西条へ移住しおほかた1年が過ぎやうとしてゐる。

その間、西条の武衛會員の努力で新らしく 古式劍體術西条武衛會道場も立ち上がった。

 

また、西条での「人儲け」は西条ベースのご縁があり、徐々に広がってきてゐて上々である。

この度西条合併20周年の記念フェスに参加を許されて勇躍出向ひた

 

 

 

このフェスは、当初の出店打診時から、スタッフの方々の切れの良い対応に感心してゐたのではあったが、本日出撃してみると、鮮やかな采配を振るふお方がゐるらしく(誰かは存じ上げなひが)それは遅滞ない運営に舌を巻ひた。この開催に参加されたスタッフの方々、また高校生のボランティアの若い、かいがいしひはつらつとした態度に元気をもらい「ああ西条に越してきたよかった」とダーリンと喜び合った。

 

 

いろんなイヴェントには出かけない、なぜならば「できたなり」のスタッフに腹が立ち、イヴェント主催者の意義も金銭目的だったりするからだ。

 

 

西条アクアフェスに参加でき、私の考へを改めるべきだと考えた

会場で会った主催者側の方々、お客様皆さんが一体となり、楽しむお祭り

それは、市民にとり意義あることです。

 

新たな「きずな」が生まれてくる予感に心躍り、未来に向けて希望を持てるいいイヴェントでした。(日本はまだまだ生きてゐます)

 

ここに、主催者 スタッフ、ボランティアの皆さんに珈琲遊撃隊のじーさんからお礼を申し上げます。

 

ありがたうございました、意義あるフェスタに参加を許され光栄でした。

【再掲】 端正に生きる

  • 2017/09/22
  •  
  • 09:56

端正に生きる
2014/12/14 10:45
Remy de Gourmont ( 1858~1915 )は実に心に響く言葉を刻んでいる



m_cUMNLpf2eu.jpg




「思想の偉大さは極端論の中にのみある」




世は太平であり、日本のどこにも戦場はない。形を変えた戦争は身近なところで繰り広げられ
今や日本はその瀕死の負傷者で埋め尽くされている

じわじわと、化学物質が忍び寄り、防波堤もないまま、マスク人間が増えてきているのが証拠である

電磁波障害、遺伝子組み換え食料、過剰医療、食品添加物、ワクチン(子宮頸ガンワクチンは最悪)、農薬 etc.

国民の3人に1人が癌になり、2人に1人が癌で死ぬという明らかに異常な国となった




そういう、膠着した体制の中で生じた矛盾を破るために、個人の死を賭すような政治も見受けられない

完成した体制に矛盾を感じる場合「覚悟」が必要である。

組織や体制の方向性と異なる主張を持つことは、並大抵の作業ではなくなる。



昔のサムライはそうした自負において、自らの行動を純化した「起点」から起こしたように思える。

その、生涯に寄り添うのがサムライの美学ではないだろうか。

一ノ谷の合戦に1人駆けした梶原源太景季という武者は華麗な紺色糸威の鎧に梅の花を一輪さして走り出たそうだ、何故に梅の小枝が必要であったろうか・・・・今に伝わるサムライの心得にまつわるエピソードだ。



m_INbG0uFpOp.jpg






葉隠れに出てくるサムライは、起床すると行水をし、肌着を整え、月代をそり、爪を切り、髪に香油を付ける。

それから、どうやって死ぬのか念じたそうだ(いまでいうイメージトレーニング)

いつどこでなにがあっても恥ずかしくないという生き方は、そうした日常が出発点だ。

現代においても武道に志すものは、身の回りを整え、清潔な衣服を着て、持ち物にも気を配る。
人間美学におけるサムライの有り様はそうであろうと愚考する。

道場においても威儀偉容を整え、端正に稽古を積んで行くのが好ましいことだ

ともすれば、怠惰に流れ、ニンゲンの弱い部分をさらけ出すことが多いのだが、先人がいつも死を念頭に置いて物事を計ったように、その対応の姿勢を日常に錬磨する事の重さを知る。

現実はつらいもので、その行く道は明日をも知れない。
だからこそ、先人の歴史に学び、端正に生きたいものだ

中伝に至ると進捗は早い

 

松山帰還からすでに4年、道場立ち上げから3年を経過した

 

初伝(正座)に3年をかけたということで、それが時間割的に早いか遅いかという問いは持っていない

 

というのも、ディレクトシステムが現代的な人にとり、脱力や呼吸や、意志の力で感覚が変化することや、未知の領域に属することが波のように押し寄せる稽古は理解できるまで辛抱するという

「私の我慢」の絵図に慎重に従ったまでの結果で、私としては満足している

 

 

初伝において、重ね身、落ち身、折敷、手の内、丹田呼吸法などの身体操作を身につけず 業の数を増やすという愚を避けた。

中身のない業は単なる刀を使用した踊りであり、日本古来の武衛とは縁もゆかりもない。

 

私には時間がない、だからこそ丁寧に、慎重に、牛歩の稽古を重ねた。

しかしながら「氷が解ける」時は来る

私は信念(大したことはないが)を保持し、只管伝統の色に染まる人々に期待し往復80kmを通った。

 

今夜中伝を透過した会員たちを誇りに思う

国籍も性別も様々、年齢も私より50歳も若いどころか高校生までいる

 

今夜は「滝落」の場面で「ゆるみをとる」重要性を話した

手拭いを使い、実際を体験するのだが、国旗をいれた袋を探すと、30~40年物のビンテージが出てきた

 

 

誰に頂いたのだろう、齋藤名人か?

 

先師に恥じない稽古を継続したいと強く願う

それは私の生きがいであり、同志たちの生きがいとなってほしいからだ。

 

今夜中伝を透過した「同志」の相互礼を撮影した

 

来週は、松山は諒一道氏 西条は来一史氏 両人の「助教」考査がある、考査といっても禅問答のようなものだ(笑)

 

私の助手として指導的立場に至るための試練が始まるのだ

習いぱなしの世相から、わがこと以外に目を配ることができる人士として成長してほしい私の「欲」

 

終了後、数々の書き込みがある紙片をもって宗家の読み方を質問してきた諒氏は、口頭での質問に対処しようという意欲を感じて頼もしかった、歴代宗家の名を知りその方がどのような遺産を残してくれたか知る「助教」の誕生は心強い

むろん、図譜はくたくたになるまで読み込んでほしい・・・

 

ええ感じですよね