物事の成否に於ける解釈と評価は、それぞれ異なる立場があり一定ではないだろう。
それが一端芸事となると、流儀だの、正統だのと喧しい。
その流儀の掟を守ることを使命として永年芸事に身を置いてきたのだが、当方必死(比喩)であるにも拘らず、
習いぱなしの方に教えてしまう失敗を幾度となく経験してきた。
世はパラダイム転換の最中で、迷走台風が現れたり、消えてしまったり「今まで経験したことがない」状況に
右往左往のドタバタ劇に言葉もない。
私たちは意義あることに向かっているのだろうか?
修証義には
「人身得ること難し」と書かれている
また「最勝の善身を徒にして露命を無常の風にまかすこと勿れ」ともいう
意義あることとは、天分 地分 自分という 立場をわきまえ
わがことのみならず、垂直に貫く歴史に参加することではないだろうか
遠いところで起きた出来事、命が芽生え、幾重にも出来事が織りなされ、DNAに刻まれて
到達したこの空間時間に「自分が生きている」
絶対の存在が「ゆけ」と命じた我々の命、この時点で、泡のような金銭に溺れて消滅してはご先祖様にも
先師たちにも申し訳ないだろう
現実問題としては、食の安全を確保し、健康で元気に過ごす
生きている目的は、明確に表明する
例えば私は「日本伝統ブドウの継承」して次につなぎたい
私の内容はつたないかもしれない、いやつたないだろう
しかし、習ったことには「真」が練り込まれているはずだから
同志が掘り起こし輝くものにしてくれる可能性は多大だ
その同志とはただいまの同志かもしれないし
10年後、50年後、100年後かもしれない
継承することには「熱」が必要で、その覚悟を保持するためには健康であらねばならない
人それぞれ使命も違う
悪のお役目を任されている方もあろう
天の経綸はニンゲンには理解できないから
行いをするときに反復して唱える呪文が私にはある
「動機善なりや」
8月も終わりにこのようなことを考えて、原稿用紙に向かった