インドの仏教では、聖人の遺骨を納めたストゥーパを崇拝していましたが、

だんだんストゥーパ崇拝だけでは満足できなくなりました。


開祖であるブッタ(釈迦)を理想人物として崇拝したいと願うようになりました。


ここから仏像の誕生の肝心なところです。


弟子たちは、ブッタ(釈迦)の人格を通して、その説かれた「法」(ダルマ)を

信奉していたので、釈迦在世のときに、すでに釈迦の身を、通常人の

身体とは異なった、それを超えたものと見なしました。


釈迦の身体には、普通の人々とは異なった、すぐれた特徴があるに違いない

と考えました。


その思想が発展して、やがて仏には三十二相と八十種好とかいうすぐれた

特徴があると考えだすようになりました。


こういう見解に助けられて、ついに仏像が造られるに至りました。


仏像が創始されたのは、一世紀末ごろガンダーラにおいてで、また中インド

のマトゥラーでも始まりました。


どちらが先であったかは、両見解があり学会でも一定していません。


                           -つづくー

【今日の万葉集】

ことだま やそ ちまた ゆうけと   うらまさ の  いもあいよ

言霊の 八十の衢に夕占問ふ 占正に告る 妹相寄らむと

                 柿本人麻呂歌集

<一首の意>

言霊のはたらく 多くの道の行き合う辻で 夕占(ゆうけ)をした
すると まさしく占に出た
あの娘は私になびき寄るだろうと


※言霊とは言葉に宿っている不思議な力のこと。万葉人は目に見えない

 力を信じてきました。


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ストゥーパは大河の流れのごとく東南アジア、中国を経て日本へ伝わりました。


五重塔もストゥーパの変形で、塔の底には「覆鉢」といって、鉢をひっくり返した

ような形のものがあります。


また奥には、舎利、すなわち聖者の遺骨を納めるという建前になっています。


日本の寺院でみられる、「卒塔婆」もまたストゥーパの音を写したもので、形は

違いますが基づく考え方は同じです。


形も、表記する文字もすっかり変わって別になっているのが面白いですね。


                         -つづくー


【今日の万葉集】

あきはぎ ち          よ   た    な    しか  こえ はる

秋萩の 散りのまがひに 呼び立てて 鳴くなる鹿の 声の遙けさ

                            湯原王

<一首の意>

ハギの花があたりをかき暗くして散る中で
妻を呼び立て鳴く鹿の声が響いてくる その遙けさよ


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インドで有名なストゥーパは、サーンチーのストゥーパです。


昔はりっぱなものが多数あったのですが、破壊され現存している

もので完全な形で残っているものはサーンチーだけです。


大きさは高さ16メートル、一番底の部分の直径が37メートル

もあり、大変大きな古墳というか、塚のようなものです。


ストゥーパには聖者の遺骨・遺品が納められています。


このストゥーパなるものは墓として供養したのものか、

または拝むためのものか・・・


おそらく供養するのと拝むための両方の意味合いが

あったのではないかと言われています。


古代インドでにストゥーパという巨大な建造物があって、

人々がそれを崇拝していたという事実は、早くから西洋

でも知られていて、キリスト教の教父として有名な

アレキサンドリアのクレメンスは、「インドのピラミッド」と

呼んでいました。


いわれてみると、ストゥーパはエジプトのピラミッド、

日本の古墳、陵墓に似ています。


                 -つづくー


【今日の万葉集】

たびびと やど  の             わが こは  あめ たずむら

旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群

                       遣唐使の母

<一首の意>

旅人が宿りする野に霜が降ったら 私の子を羽で包んでやっておくれ
空飛ぶ鶴の群よ


※ 733年遣唐使船が浪速を出発するときに、旅立つ子に母が送った歌です。

  遣唐使船は通常四隻の船で構成されていました。しかしその船の全部が

  無事に往復できたことがあるのは、260年間の中で1度しかありません

でした。子を思う親の心は今も昔も変わらないですね。


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