仏像を見ると、妙に心安らかにになります。


仏像は種々様々な名前を持っています。

その名前、由緒はどんなのなのか考察したいと思います。


ご存じのように仏教はインドが発祥ですね。

仏像崇拝は仏教の歴史のある特定の時期に現れました。


開祖の肖像も彫刻も残さなかった仏教が、なぜ突然仏像を

作りだすようになったのか。


仏教の造形美術は、マウリヤ王朝以後、ことにアシューカ王の

頃から急速に発展しました。


最初の出発のよりどころとなったものは、ストゥーパ崇拝でした。


ストゥーパとは土を盛った大きな塚(土饅頭)のことで、

サンスクリット語でストゥーパ(stupa)、俗語でトゥーパ

(yhupa)などと言います。


それが中国の漢字で写して、「塔」と言いました。


日本の五重塔というのも、それを受けています。


「塔」という漢字は、土が集まって(合して)、上に草が

生えているという印象を与えたのでしょう。


音を写すと同時に意味も写したんですね。


                -つづくー


【今日の万葉集】

        こころ              あま        なが

うらさぶる 心さまねし ひさかたの 天のしぐれの 流れあふみれば

                                  長田王

<一首の意>

わびしい思いが胸をみたす。
無限の空をこめて時雨の降りつぐのを見ると


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先週土曜日に行ってきた立川談幸師匠の会で

子は鎹(かすがい)の演目がありましたが、

本来は「子別れ」という演目です。


噺が長いものだと、持ち時間に合わせて分けて演じられます。


今回の「子別れ」もその一つです。

この場合、上・中・下と三つに分けらて演じられます。


「上」の部分が、亭主の吉原がよいで、あきれた女房は子供を連れて

家を出ていくが亭主は相変わらず吉原に居続ける場面まで。


「中」の部分が、とうとう年季明けの女を家へ引っ張ってきて後妻に

するが、朝寝はするし飯はつくらない。そのうち女は出て行ってしまう

場面まで。


「下」の部分が、性根を入れ替えて働き、一人身で生活も楽になって

はや3年。そんな中仕事先で偶然別れた息子に出くわす。

すっかり大きくなった姿に驚き、また母親のことを聞くと再婚もせず

女手ひとつで頑張っているとのこと。子供のとりなしで元の鞘に納まる

といった話。


「上」の部分の噺だと、演目は「おこわ」

「下」の部分の噺だけだと。「子は鎹(かすがい)」となります。


私の好きな演目の一つです。



ドンSR(社会保労務士)の一筆啓上-表慶館

東京都国立博物館の「表慶館」です。


【今日の万葉集】

あき た  ほむ  よ   かたよ   きみ よ こちた  

秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 君に寄りなな 言痛くありとも

                      但馬皇女(たじまのひめみこ)

<一首の意>

秋の田の稲穂の向きが一方に片寄るように、そんな風にあなたにばかり

寄り添いたいのです。どんなに人の噂がきつくても・・・


※この激しい恋の歌は、高市皇子(たけちのみこ 40歳代)の下に身を

 寄せていた但馬皇女が 高市皇子の弟の穂積皇子(ほづみのみこ 20歳代)

 に恋して詠んだ歌です。 大胆でおおらかな女性ですね。


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一昨日の土曜日は、今年最後の立川談幸師匠の「落語会」でした。


※独演会は、12月12日(土)午後3時より京成町屋駅の「ムーブ町屋」

でありますが・・ 

詳しくは、http://www.d4.dion.ne.jp/~t-dankou/ でどうぞ。


14日の落語会の演目は、

 ・黄金の大黒

 ・権助魚

 ・子は鎹(子別れ)


権助魚で出てくる「焼きもちは遠火で焼けよ、焼く人の胸も焦がさず、

味わいもよし 」という一節がいいですね。


今回もまた、17時30分開演までの間、スケッチブックを持って東京都

国立博物館へ行って阿弥陀如来坐像を書いてきました。

仏像の「お顔」はやっぱり難しい!



ドンSR(社会保労務士)の一筆啓上-阿弥陀如来坐像

(クリックすると拡大します)


阿弥陀如来坐像 定朝様式。

東京都国立博物館 常設展示場 第11号室の暗い部屋で

立ったままスケッチしていると、危ない人と思われているかも・・


【今日の万葉集】

     くめ  わくご      ふ     いそ くさね   か     おし

みつみつし 久米の若子が い触れけむ 磯の草根の 枯れまく惜しも

                          河辺宮人

<一首の意>

(みつみつし)久米の若子が手を触れたという磯の草の枯れるのが惜しいことだ


※海辺の松葉に横たわる乙女の屍を見て、悲しみ憐れんで詠まれた歌です。


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