Prime Readingで読んだ。「他人を攻撃せずにはいられない人」の例をたくさん紹介しているが、かなり一面的な見方のように思えた。
☆
けっこう前の本だが、私の周りで本書がちょっと話題に上ったので、読み直してみた。「教養とは何か」というのは難しい問題だが、本書は「教養」というより「教養論」を主題とし、明治以降の教養主義の歴史を辿ることで「教養論」を分析している。その辺については竹内洋『教養主義の没落』でも読んだが、本書はその「没落」の要因にまで踏み込んでいる。
本書はニューアカまで射程に入れている。私はニューアカ世代ではないのでリアルタイムには知らないが、ニューアカに対する分析はなるほどと思わせられた。
現在は本書の出版当時よりも、文化的再生産が広く認知されているように思われる(いわゆる「親ガチャ」など)。これは階層の問題であるが、本書はそれを教養の観点から論じている。
題名にある「グロテスク」というのは、教養主義の中に隠されているものだと思う。それを明らかにしていく筆致がお茶目で面白い。
著者はフランス経済史の専門家だが、現代フランス史が専門なわけではないらしい。だいぶん前に著者の『歴史学ってなんだ?』(PHP新書)を読んで面白かったので、本書も積読していた。さいきん、フランスの五月危機について関心があったのだが、通史の中で五月危機がどういう扱いになっているのかを知りたかったので、本書を読んでみた。現代史ということだが、戦後から現在までが範囲となっていて、各章10年ずつ、1940年代から2000年代までを取り上げている(終章が2010年代)。
序章で著者は、フランスの歴史は「分裂と統合の弁証法」であるとし、その観点から記述していくとしている。つまり、現代フランスには常に大きな対立があるが、社会の外部の力によって統合していくのだと言う。なぜそのような過程を経るのかというと、フランスが「相対的後進国」だからである。「相対的後進国」というのは遅塚忠躬の造語らしい。以前、遅塚忠躬『フランス革命』(岩波ジュニア新書)を読んだことがあるが、その本には出ていなかった記憶。
フランスは先進国ではあるが、近代であればイギリス、現代であればドイツやアメリカには後れを取っていた。それが「相対的後進国」ということである。そのため、国内で分裂していても、英米独に追いつくために統合していくのだという。しかし、また新たな対立が起きて、新たな分裂が生じるのだという。本書では、こうした理解に基づいて、フランスの分裂と統合が描かれることになる。
1940年代のフランスの分裂は、親独派と反独派の分裂、さらに反独派内の国内レジスタンスと国外レジスタンスの分裂である。終戦後、これらの分裂は、ド・ゴールが押し出した「レジスタンス神話」によって統合されていく。ヴィシー政権に代表される親独派が、フランスの中で結構な勢力であったことは意外だった。ド・ゴールによって統合されていく過程で、なかったことにされていったのだろう。
1968年の五月危機についての記述は、予想外にあっさりしていて、肩透かしを食らった感じ。
☆☆☆
今回のロシアのウクライナ侵攻を受けて、読んでみた。全体を通して政治よりも軍事に偏った分析だが、意外と読みやすかった。また、説得力のある分析になっていると思う。
一般にウクライナ問題は、ロシアがウクライナを侵略していると考えられている。しかし、ロシアからすれば、NATOの東方拡大に対する抵抗と言える。現在のNATOには、ワルシャワ条約機構に属していた東欧諸国や、バルト三国も加盟している。これに旧ソ連の一員だったウクライナやグルジアなども加盟するとなると、ロシアにとってはかなり大きな脅威だ。
ソ連崩壊後のロシアの軍事力はNATOに及ばない。そのため、通常の軍事力に加えて情報戦やサイバー攻撃などの非軍事力も組み合わせた「ハイブリッド戦争」を志向しているように見える。実際、2014年のウクライナ紛争においては、特殊部隊や情報工作を駆使して、短期間でクリミアを併合している。もっともロシアからすれば、「カラー革命」などは欧米から仕掛けられた「ハイブリッド戦争」ということになる。
ただし著者は、中心はあくまでも軍事力であると言う。クリミア併合やウクライナ東部紛争、シリア内戦、カラバフ紛争においても、ロシアの軍事力が重要な役割を果たしている。そして著者は、ロシアの軍事演習の分析を通して、軍事戦略を推定している。この辺はこの著者ならではの手法だが、それによるとロシアは非国家主体との戦争を想定しつつ、その背後にはNATOの支援があると考え、大規模戦争に対する備えも怠っていない。また、戦術核の使用も想定しているようだ。
筆者の提言によると、地政学的に日露による対中包囲は成り立たない。なので、日本がロシアに譲歩してもロシアから得るものは少ないだろうと言う。したがって日本は、西側の一員としての立場を固め、ロシアに対する妥協はやめたほうがいいとのこと。そう考えると、今回のウクライナ侵攻に対する日本の非難は、北方領土問題の解決を遠のかせるとは限らないということか。
☆☆☆☆
Prime Readingで読めた。ここのところ、チベットよりも存在感があるように思われるウイグル問題。ウイグルの現状について詳しく報告されている。想像以上にハイテクな管理がなされているようだ。
☆☆☆
以前から教育経済学には関心があって何冊か本を買っていたのだが、実際に読んだのは本書が初めて。けっこう前に話題になったときに読んだのだが、ちょっと機会があって読み直してみた。
著者は教育経済学者として、エビデンスの重要性を強調している。岡本薫『日本を滅ぼす教育論議』でも言われていたことだが、私も以前からエビデンスなしに教育政策が決定されることには疑問を持っていたので、最初に読んだときからその点については強く同意できた。
ただ、今回ざっと読み返してみて、ちょっと受け取り方が変わった。私の関心が変わったことに起因しているのかもしれないが、しつけや子育てといったミクロな問題についてはエビデンスの扱い方に注意が必要だと感じた。
教育には「子どもたち」について考えるだけではなく、「その子」に目を向けなければいけないときがある。もちろん、エビデンスが重要であること自体には異論の余地はないが、そのエビデンスが有効な範囲の確定には注意が必要だろう。
以前、読んだ石井英真編著『流行に踊る日本の教育』に、エビデンスに基づく教育に警鐘を鳴らす論文が収められていた(杉田論文)。杉田論文を読んだときはエビデンスを軽視するような誤ったメッセージを発信するのではないかという危惧を抱いたのだが、エビデンスの使い方に注意をするべきだというのはその通りだろう。
☆☆
本書では、「唱歌」を通して日本の近代化の過程を描こうとしている。その際、重視されているのは、歴史的なコンテクストで見ていくことである。そして、そこから日本の近代化の一端を明らかにしょうとしている。近代日本における国民の形成を具体的に知りたかったので、読んでみた。
国民国家の形成においては、国民の連帯意識や帰属意識を涵養する必要がある。それは言い換えると、国民意識を共有する国民を育成するということである。この「国民づくり」において、もっとも重要な装置の一つだったのが音楽である。それを、「国民音楽」と呼ぶ。
「音楽」というと芸術の一つと考えてしまいがちだが、それは西洋近代のものの見方で、唱歌に代表される国民音楽は必ずしも芸術を志向していない。唱歌もあくまでも「国民づくり」のためのツールで、情操を豊かにするというよりも、健康や道徳に寄与するものと考えられていた。
もっとも、現在も残っている唱歌は童謡に近いものが多く、皇国史観や道徳教育の色の強いものは残っていない。したがって、現在の「唱歌」のイメージは当時の唱歌とは必ずしも一致しない。
唱歌の中には地理唱歌や歴史唱歌などもあり、唱歌による知識教育を通しても「国民づくり」をしようとしていたことが窺える。さらに体育とも結びついて、身体づくりのための唱歌遊戯などもあった。これは、ラジオ体操として今日にも残っている。
合唱を通して「国民づくり」をする唱歌は、より一般的には「コミュニティソング」と呼ぶことができる。そこから派生して、卒業式の歌、校歌、県歌などについても考察されている。いずれも、コンテクストを変えながら、コミュニティソングとして生き残っている。
戦後、左翼勢力による「うたごえ運動」があり、労働者の歌もつくられた。これらはイデオロギー的には戦前の唱歌とは対立するものの、コミュニティソングと見ることができる。
本書を通して一貫しているのは、唱歌などの表面を見るのではなく、歴史的なコンテクストから理解しようとしていることである。それによって「うたごえ運動」の衰退も、ただ単にイデオロギーの変化というよりも、国民意識の変化として見えるようになってくる。唱歌に限らず、文化をどう捉えるかという問題提起にもなっているように思える。
☆☆☆☆