Prime Readingでタダで読めた。マンガだけでなく文章で説明されているところもけっこうあるので、分かりやすい。
☆☆
「フォト・リテラシー」とは聞き慣れない言葉だが、要は写真を読む側の能力・倫理・責任を問題にしているようだ。本書では、写真とりわけ報道写真を中心に扱っている。報道写真といえば、「演出(やらせ)」の問題や「救うべきか、撮るべきか」という撮る側の倫理が問題になることが多いが、それとはちょっと視点が違うようだ。
著者は、正教会の司祭。本書ではキリスト教を軸にロシア精神を論じられているが、その前提にあるのはロシアはヨーロッパではないということ。近代以降、後進国ロシアが西欧化を進めたことはよく知られるが、その際にロシア正教が問題になる。ロシアにおける欧化政策は、同じキリスト教を奉じているだけに、日本以上に難しかったのかもしれない。
☆☆
法学の古典的名著。本書では、まず法と文化や言語との関りから、丁寧に議論を進めていく。そして、法学の歴史を分かりやすく概観し、最後に法社会学の重要性を強調している。具体的な法律問題は、あまり出てこない。これから法学を勉強する人のためには、良い本だと思う。
☆☆☆
キリスト教関係の書籍は多いが、ギリシア正教やロシア正教に関するものは少ない。著者は正教会の司祭で、カトリックやプロテスタントと比べてあまりよく知られていない正教会を誤解なく知ってもらおうとしている。
著者はまず、ギリシア正教が広まっているギリシアやロシアはオリエント文化圏にあるとし、西欧とはっきりと区別する。西欧は自らの源流を古代ギリシアに求めるが、著者によるとそれは間違いだと言う。古代ギリシャを継承しているのは、ヘレニズム世界・ビザンツ帝国・ギリシア正教だということだろう。もっと言うと、正当なキリスト教はギリシア正教だと言いたいのだろう。
本書のタイトルは『ギリシャ正教』だが、本書ではギリシア正教はロシア正教も含まれるものとしており、ロシア正教についても詳しく解説されている。著者によれば、ロシアも東のキリスト教の文化圏に入る。これは、ピョートル大帝などによる西欧化政策をどう評価するかにもよる気がする。現在のロシアはヨーロッパの一部と考えてもよさそうではあるが、著者の考え方に基づけば、ロシア正教会が存続しているロシアはヨーロッパではないということになりそうだ。
ドストエフスキーがたびたび取り上げられていて、興味深く読めたが、記述には同意できないところもあった。全体として、正教会の立場が貫かれており、カトリックやプロテスタントからは反論もありそうだが、これはこれでいいかも。
☆☆☆
1973年が初版という古い本。著者は、学者ではなく作家・精神科医である。本書では、ドストエフスキーが癲癇(てんかん)であることに注目し、読み解いている。そこで著者が注目するのが、『白痴』の主人公であるムイシュキン侯爵である。『白痴』は未読だが、議論にはついていけた。
著者が述べる癲癇についての医学的な見地については、古い本ということもあり読み流したが、ドストエフスキーの著作活動において癲癇が重要な要素になっているというのはその通りだと思った。フロイトのドストエフスキー論についても紹介されていて、勉強になった。
☆☆☆
著者は、ロシア文学の研究者。本書では、その文学を中心に、ロシア文化を多角的に論じている。放送大学の教科書を底本にしていて、各章ともコンパクトにまとまっていて読みやすい。ロシアをスラブと西欧との和解ととらえているところが勉強になった。
☆☆
著者はヘーゲルを専門とする哲学者。ウィーンに滞在研究したときの体験を基に、「世紀末ウィーン」の特質と思想を論じている。
第一章と第二章では、オーストリア・ウィーンの歴史と文化についてまとめられている。なかなか勉強になった。
第三章~第五章は、著者のウイーンでの体験が、主に教育について紹介されている。
第六章~第八章では、「オーストリア哲学」の可能性が論じられている。ドイツとは違うオーストリア哲学独自の特質が、ウィトゲンシュタインを例に示されている。
全体として、エッセーとして読むべきか。参考文献は、便利だった。
☆☆☆
「何でも武器になる」ということで、動物や鉄道、ネジや標準化、語学などが取り上げられている。その結果、武器と道具の境界が不確かになっていくわけであるが、そもそも戦争と平和とを明確に分けることができるのかという関心から論じられているように思えた。
(頂き物のため評価せず)