ついに冬季オリンピックも幕を閉じました。
いろいろな感動的シーンがあったと思いますが、
私としては、やはりスピードスケートの小平選手の2つの美徳が最も印象的でした。
自分の滑りの後、大歓声に対し「お静かに」ジェスチャー、
(自己の成功に溺れず、出場選手がみな平等である環境を目指した)
二位に敗れ肩を落とす韓国の李相花選手を抱き寄せる、
(競技が終われば、人類という枠でつながる)
この二つは私に、1999年大ヒットした映画「アルマゲドン」の1シーンを想起させました。
それは、米国大統領が地球に迫りくる隕石に立ち向かう意思を表明する演説のシーンです。
I address you tonight not as the President of the United States, not as a leader of a country, but as a citizen of humanity.
今夜私は、アメリカ大統領としてではなく、一国家の首脳としてではなく一人類として皆さんに語りかけています。
我々は、今重大な危機に直面しています。
私はまずここでジーンときてしまいます。国家、宗教、民族、文化という単位を超越する事実、それはみな人間であるということ。
さらにこのようなことも述べられています。
Through all of the chaos that is our history; through all of the wrong and the discord; through all of the pain and he suffering; through all of our times,
この混沌たる歴史の中で人類は過ちを犯し、争い、様々な苦しみや悲しみを経てきました。
相手を理解しようともせず、我を通すことによって起きる争い。
これって、決して遠いところの話ではなく、規模こそ違うものの我々の身近にも存在することです。
小平選手の場合はもともと親友であったということですが、更にその元はといえば、お互い色眼鏡で見てしまいがちな国家間という背景から始まっているはずです。
にもかかわらずこのような関係を気づけるということは、お互いピュアな目を持っていたということもあるのではないでしょうか。
今の中国生活でも「日本人vs中国人」「上海人vs外地人」「現地採用vs駐在員」そしてその奥様同士、という属性による壁があると見聞きしますが、みな「人」です!
愚見を述べると、人類が完全に一つになるのは困難だとしても、お互いのアイデンティーを認め、尊重することは可能だと思います。
少々飛躍しますが、このような考え方が浸透すればいじめ問題もかなり減少する期待が持てます。
そういうわけで、日本人という枠でなく人として感動する今回の小平選手の美徳が世界平和につながっていけばいいなと感じました。