やっと読了。

年末からずっと読んでいたのだが、元旦から寺社巡りで毎日出歩いて、大変良い運動になり、夜になると眠くなり・・・と、なかなか読み進めることができなかったのである。

 

雲南の妻」を読んで、村田喜代子氏の芥川賞受賞作「鍋の中」が読んでみたくなり、調べてみると、本書に収録されているとのことで、読んでみた。

本書は、村田喜代子氏のデビュー30年を機に精選された短篇集とのこと。

 

村田喜代子傑作短篇集  (著)村田喜代子

 

「鍋の中」で芥川賞、「百のトイレ」と「白い山」が収録されている『白い山』で女流文学賞、「真夜中の自転車」が収録されている『真夜中の自転車』で平林たい子賞、「蟹女」が収録されている『蟹女』で紫式部文学賞、「望潮」が収録されている『望潮』で川端康成文学賞を受賞。

 

なるほど、こんなに受賞されていたのか・・・と村田喜代子氏の力量に圧倒される。

 

どの作品も、どこまでが現実の世界を描いていて、どこから「あちら側」の世界を描いているのかに気づけず、読み進めていくと、いつの間にか「あちら側」になっていたり、ミステリーになっていたり・・・。

 

「雲南の妻」でも思ったが、村田喜代子氏は、自らが見て実体験したように、未知の世界を描くことに巧みなのではないか。

なので、物語であるにも関わらず、これって実話を元に書いているのかも・・・とついつい思ってしまうが、突然、「魔」のような世界に迷い込んでしまい、ぞぞぞっ・・・とする。

 

と、謎めいている村田喜代子作品であるが、食べもの、お料理がよく登場する。

美味しそうなものも多いが、そうでないものも。

 

例えば、「鍋の中」のまずい料理の描写。(太字は本書からの引用)

 

南瓜と高野豆腐と鶏肉を煮たものであったが、鶏と高野豆腐は鍋の中でみわけがつかないほどまっ黒で、(中略)そしてこれらのものはただもう醤油辛くて、わたしの舌を縮みあがらせた。わたし達はしいんと押し黙って、口を動かした。うっかり口に抛りこんでしまったものの持って行き場がない。私の舌はこのひどい食べ物をのせたまま、途方にくれてさまよっているようなぐあいである。

 

うむ。大変まずそうである。

この部分を読んで、私は、そういえば最近というか、ここ数十年というか・・・「まずいもの」を食べたことがないぞ、と思った。

私が最後に「まずい」と思った物を食べたのはいつだったのか・・・・。

 

日々、食事を作っていて、「美味しくないもの」が出来てしまう場合がある。

しかし、それは「美味しくない」のであって、少しお醤油をかければ「まあ、まあ」になったりする程度。

 

この「鍋の中」は、親たちがハワイに渡航するため、中学~大学1年のいとこ4人が田舎の祖母宅で夏休みを過ごす物語である。

滞在中、主人公の高校生たみちゃんが料理を担当することになる。

海老と蓮根の炊き合わせ」、「茄子と牛肉と蒟蒻の炊き合わせ」、「韮と豚肉のいため物」、「鶏レバーと葱とピーマンを炊いた」・・・。

高校生でこの食材の組み合わせでお料理するとは、おぬし、やるな、という感じである。

 

主人公は、お祖母さんと一緒に入浴しているとき、お祖母さんの口癖「極楽、極楽」を聞きながら、

 

おばあさんはきっといつでもこんなふうに極楽と一緒に暮らしているのだろう。するともう半分はそちらのほうに心がつれ去られていて、何十年も昔のことは夢のようなものなのだ。(中略)半分は夢の中で、わたしという孫娘などはいちばん新しい夢なのかも知れない・・・・・・。するとすると、いったい心が半分だけ覚めてはたらいている人の目には、世界はどんな姿にみえるのだろう。

 

と考える。

うーむ。このあたりがとても興味深かった。「極楽と一緒に暮ら」す、「心が半分だけ覚めてはたらいている」。

私は、まだまだ、極楽と一緒に暮らすところまではいっていないが、極楽を身近にたぐり寄せたいとは思っている。まだ、まだかも。

 

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とらや赤坂店の到来物の続き。

 

赤坂店限定の「残月」。生姜入焼菓子

 

 

Webサイトによると「明け方まで空にうっすらと残っている月、「残月」を表した、生姜風味の焼菓子」とのこと。

 

 

大正7年(1918)の菓子見本帳にも描かれているとのこと。

皮がしっかりめの食感で、表面の「すり蜜(フォンダン)」が見た目にも素敵で、しっかりと生姜の風味が効いて、「技アリ」の美味しさだった。