春秋8月31日(日経新聞) | 論愚阿来無の欠伸日誌(ろんぐあらいぶのあくびにっし)

論愚阿来無の欠伸日誌(ろんぐあらいぶのあくびにっし)

「小人閑居して不善を為す」日々大欠伸をしながら、暇を持て余している。どんな「不善」ができるのか、どんな「不善」を思いつくのか、少し楽しみでもある。

 アラコキ(アラウンド古稀)世代が、何に夢中になり、どんなことに違和感を覚えるのかを徒然に綴っていきたい。

春秋8月31日(日経新聞)

 「自分で年を取ったなと思ったのはいつ?」。そう問われて、女優の高峰秀子さんは「明日にしよう、そう思った時ですね。前は、今日やるべきことは全部今日、済ませてた」と答えた。70歳を過ぎたころだという。(斎藤明美「高峰秀子の捨てられない荷物」)

▼「明日にしよう」。年齢にかかわらず、夏にはそんな気だるさがつきまとう。これを無精と称するのだと思っていたら、じつは無精に2種類あると知った。一つは「今日ノ所作ヲ明日作(ナ)スコト」だが、もう一つ「明日ノ所作ヲ今日作ス」のも無精であると、国文学者の故佐竹昭広さんが「古語雑談」に書いている。

▼はじめの方は懈怠(けだい)、あとは懶惰(らんだ)と呼ぶそうだ。どちらも今日からの逃亡であることに変わりはない、明日のことを行って一向に支障がないほどあいているのなら、今日自体が充実していないのだということになる――。佐竹さんはそう説明している。なるほど懶惰だって立派な無精である。

▼きのう、日銀がさらなる金融緩和を決め、政府は経済対策を発表した。民主党の代表選もあわただしい。懈怠はないか。懶惰は忍び込まなかったか。季節が移ろうとする今、そんな目でわが身と世の動きを見つめ直すことも必要だろう。「いちばんの大切は今の時間、卵抱く鶏(とり)がうつとりと目を閉づ」(河野裕子)