(S/N 20260325-2 / Studio31, TOKYO)
子供の頃、通う学校は違ったが、よく遊んでいた近所の同い年の木村さんという女の子が、中学に上がってチマチョゴリの制服で通学を始めたのを見た時でも、ぼくには、それまでとは違った特別な感慨はなかった。今になって思えば、それはそのまま、そういうものなのだと自分なりに受け入れていたに違いない。
さて、高校を卒業すると、彼女を見かけなくなり、どうやら親の家を出たようだった。
通りすがりにご両親と会う機会があって、彼女の消息を尋ねると、アメリカの遠縁に世話になりながらアートの勉強をしているとのことだった。
その後、彼女は、時折、帰省してはいたようだが、運悪く、ぼくが彼女の顔を見ることはなかった。
***
ぼくには国際結婚した年の離れた従姉がニューヨークにいて、ぼくが大学を卒業する前年の春休みにそこを拠点に、ぼくはアメリカの東海岸を旅した。その計画段階で、木村さんが暮らしているのもニューヨークだったことを思い出して、彼女の親に連絡を取ってもらった。
その日、ニューヨークの五番街近くのコリアンタウンにある、焼肉レストランのバーで彼女と待ち合わせた。
顔を見るのは、実に三年半振りだった。お互い、もう子供ではなかったから、なつかしいうちにもどこかよそ行きの気持ちもあった。
白ダレに漬け置いた肉を日本のジンギスカン鍋のように中央が高く盛り上がった鍋で焼いて食べるのが本当の朝鮮焼き肉だと、その夜、初めて知った。
会話は、ふたりの子供の頃の思い出話に終始し、一晩かかっても語り尽くせそうもなかった。
食事の後、コロンビア大の学生などが集まるバーを知っているから、寄って行こうと彼女が言う。
近道らしく、古い汚れたビルに面した裏道だった。
「これ、ニューヨークタイムズの本社よ。お金がなくて直せないっていう噂だけど...」と彼女。
*
ハーヴェイズ・サルーンという古いバーの一隅で、ぼく達は、それほど遠くない将来の話を少しだけした。彼女は、頑張れるうちはアメリカにいるつもりだと言う。それは、彼女にとって日本に戻るよりも未来が見える選択のようだった。
「日本に戻った時は、連絡して欲しい」とぼくが言うと、彼女はテレビに見入ったまま、
「うん。わかった。そうする」と小声で答えた。
