こんにちは。
徐々に娘のインターナショナルスクールの年度末が近づいています。
昨日は、学期末の授業参観のようなもの(Celebration of Learning =COL と呼ぶ)がありました。
そして今週は、学校全体で行われるスポーツディもあるし、来週はHonours Day (優秀者発表式兼終業式みたいなもの?)なるものも予定されています。
全部、親が観に行ってよいイベントです。
学年末だし、それに伴う行事が色々予定されているこの時期。
私の感覚だと、
もろもろ全部の行事に基本ちゃんと参加して。
全て終わったら夏休みだよね。
旅行に行くとしても、一時帰国するとしても、その後だよね。
学年末の総仕上げだし(←この感覚が既に🇯🇵的なのか?)、COLもスポーツデイもオナーズデイも当然、全部参加するよね。
疑いなくそう思っていたし。
周りも当然、そう考えているものと思い込んでいました。
が、違いました。
今週から休んで、2週間早めに夏休みに入り、もう新学期まで会えない子。
COLを休む子。
COLは親子で行なうアクティビティが必ずあって、そのテーマも事前に知らされているのに、
親が当日来ない子。
(親が忘れていた可能性もあり)
などなど。
昨日のCOL、この1年間で1番出席率が低かった気がします。
今年度最後のCOLの出席率が1番低いって…
そうなんだ😳
学校行事、休んでいいんだ。
で、思う。
自分がいかに、
「学校は行くもの。学校行事の参加はマスト。」
そう思いこんでいたか、ということに。
自分側に選択権がない。
無条件に、条件反射的に学校に行く。行かされる。
でも、こちらにきて、様々な親子を見ていて気づきました。
学校に行くか行かないかは、本人が、親が、選んでよい、ということ。
もちろん日本の風習とか、空気とか。
そういうものがあって、単純にマレーシアのやり方を日本にスライドさせることはできないと思います。
でも、本来、学校は、通う側の意思で行っていいはず。
行事に参加するかしないかは、こちら側で選びたいし、その選択権はこちらにある。はず。本来は。
そういうことに気付いたのでした。
子ども時代からの、こういうことの積み重ね。
常にやらされている感か、自分で自主的に、人生の日々のひとつひとつを選んでいくか。
それが、実はその後の生き方にも大きく繋がっていくのではないか。
その一人一人の自主的な、能動的な生き方は、
長い目で見て、各人の幸せに、
繋がっていきはしない?
今の日本を思い。
マレーシアを日々見ていて。
そんなことを思った、学年末の娘のスクール行事でした。