書店で平積みにされていて、その装丁の美しさと帯の優しい文章に惹かれて買いました。直後に立ち寄ったカフェで一気に読み上げてしまい、ある箇所で泣けてきてしまったので恥ずかしかったです
帯には、
「眠れない夜や、どん底にいるとき、ひとりぼっちだと思うときに、31の答えが、あなたの心をのびやかにする」
「恋や仕事や子育て、人間関係や生きることに悩む全ての人に」
そして、
「つらさの正体を知り、明日を開く書き下ろし人生論」
と書いてあります
まず、ばななさんのまえがきに感動しました。さすが大御所はいつになっても嘘みたいに謙虚でいらっしゃいます
“私は非常に特殊な環境で特殊な人生を送ってきました。
なので、私の考えや意見など、みなの役にはたたないだろう、と思い込んでいました。
しかしある日、叶恭子さんが思春期の人たちに向けて書いた本を読んだら、私以上に特殊な環境にいる人なのに、なぜかものすごくためになり、しみてくるのです。
もしも、思春期にこのような本に出会えたらよかっただろうなと思いましたし、私にも、自分の特殊さうえに見えているものがあるのかもしれないと思えてきました”
それでは、以下、自分にグッときた言葉たちを書き留めておきます。ただ、この本は質疑応答の形式を取っていますので、本来のcontextuality(文脈)をきちんと確かめたいという方は絶対に買われることをお薦めします。
とにかく、どこまでも救われる本だなと感じました
「その人のことをほんとうに思ってすることが、ほんとうの優しさ」です。なので、それはたとえ伝わらなくてもいいのです。それから、その人がほんとうに自分を思ってしてくれたことであったら、それが「自分の育ちからくる最もしてほしい優しさ」と種類が違っても、心から感謝できるような判断力と想像力があるといいと思う。
憎しみは、育ててしまうと育ってしまうものです。
育てないようにすれば、いつしか養分を断たれて枯れてしまいます。
ほとんどの憎しみは、自分の至らなさを棚にあげて相手にある種の甘えを持っていることから生まれているように思います。
考え方の出発点が憎しみの中にあると、どうしても憎しみぐせのようなものがついてしまうし、それはなかなか抜けにくいを思うのですが、少しづつなら変わっていく可能性があり、生きている限りはいつでも変わっていける、その自由こそが人生の醍醐味です。
Q7 長くつきあった人と別れました。でもまだ好きなのです。どうしたらいいのでしょう?
思い出すとき、いいことを思い出すからではないでしょうか。その人もあなたもわけがあって別れたのだし、それがたまたまタイミングが悪かったのだとしても、もう一度くっつけば、必ずもう一度同じようなことが起きるでしょう。
Q8 過去につきあっていた男性をひどく傷つけてしまい(彼は薬物中毒になってしまいました)、もうだれかと深く関わって傷つけることが怖いので軽い恋愛だけを繰り返していますが、どうしたらいいのでしょうか?
たとえつきあった相手が死んでしまっても、それは自分の責任ではない、そう言い切ってしまったら冷たいでしょうか?
でも私はそう思っています。
自分以外の人とつきあうというのは、本来そのくらいの覚悟が必要なことだと思います。
…この質問を読んでなによりも疑問に思うことなのですが「軽い恋愛」は相手を決して傷つけないのでしょうか?
軽く扱いあったという事実において、重い恋愛をしてしっかり傷つくよりも深い傷を相手の人生にも負わせているのかもしれないですよ?
傷つける人も傷つくのです。
…それと同じで、ほんとうの恋愛をしている人たちは、それぞれのことをしっかりやっていて余計なことを考えるひまがないから、会うときはなるべく仲良くいようとできる、自分の足で立っている人同士だと思います。淋しいから会ったり、ひとりでいたくないから時間を過ごしたりすることはないと思う。
天職とは、逃げれば追ってくるくらいの勢いでその人につきまとうものです。…なによりも人と比べないことが、天職の条件です。…それぞれがそれぞれの場所でそれぞれにしか書けない文章を書いている、その幸せに換えられるものはありません。
Q12 女性が社会で働くというのは、いろいろな意味でものすごくたいへんなことに思われます。なにを心がけたら、心身ともに健康でいられるのでしょうか?
これを書いてしまうと、怒る人もいると思うけど、「てきとう」であることがいちばんだと思うんです。私も、あるラインまでは潔癖なまでにこだわりますが、それがもうどうにもならないとなったら、投げ出して忘れてしまうようにしています。…日本の女の子は、世界でいちばんくらいにかわいくて賢くて根性があって強くて優しいのに、もったいないです。もう少し、てきとうでワイルドになっても、いいと思うのです。
…結局は、どこまで己を捨てず己を愛しながら、ちょっとてきとうさも取り入れ、完璧だという評判から常にダッシュで逃げつつ「もらうお金よりもちょっとだけ多く働くか」です。
多く働くのはちょっとだけでいいのですが、お金分ちょうど働いていると、上司は必ず気づきます。そしてさぼっている印象を実際の働き以上に与えてしまう。
もらっている額よりもちょっとだけ多く働く、そこがコツです。
それが超安くても、高くても、その法則は変わりません。
現代の人たちはいつも疲れ果てていて、生々しい人間の力をどんどん失っているのだと思います。寿命はのびているけれど、その分細く弱く長い感じ。今の時代ではそういう状態が自然なのかもしれないけれど、私には本能をもっとよみがえらせたいなという憧れがいつもあり、最後まであきらめたくないなと思っています。
人間って大義のためには生きていないんですね。自分の生命そのものと、すぐそばの愛する人たちのためだけに生まれて死んでいくんですね。
心を開いていけば、人生はちょうどプラマイゼロです。
プラスだけを見るのではなく、マイナスを見ないようにがんばるのでもなく、全部を俯瞰できる、それが歳を重ねてきた人間の強みです。
どんな悲しみにも、同じジャンルの、もっと深い悲しみが必ずあります。
自分のほうが不幸だと思ったときだけ、その人は真に不幸になります。
願ってもどうしても叶わないことがあるのも、この世にある理解しがたいけれど存在していることのひとつ、人生のひとつの側面です。そのことで自分が成長したり時間を有効に使って悔いなく生きる方向性を見ることが、結果的によかったと言えるようになるかもしれない。
少なくとも人の心の法則として「願いが叶う」という類いの叶い方は、力を抜いたときだけやってくるものです。しんから願って、忘れちゃうくらいのときに潜在意識は最も力を発揮するみたいです。
なによりも、自分はたったひとりしかこの世にいないのに、「うらやましいなあ」とだれかに思うとしたら、自分がかわいそうではないでしょうか。子どもができない自分でも、子どものいる人をうらやましがっちゃう自分でも、この世にひとりです。自分をかわいそうな人にしないで「そうだよなあ、ついうらやましく思うよなあ、でもやっぱしかたないよな、自分は自分だし、自分だからこそいいこともあるんだし」と自分だけはせめて思ってあげてください。
なんでも底の底の底に沈むと、そこには広い空間があり、呼吸も深くなり、ものごとが静かに見えてくるものです。
何度でも底に沈み、何度でも浮き上がり、底にいる自分のほうに軸を置くしかないのです。上に上がったらくちんな自分に軸を置いて生きていきたいと、だれもが夢見るでしょう。でも、人生はそういうものではないみたいです。
底(どん底の意ではない、心の中の水底みたいな、ひとりだけの場所、嬉しくもハイでもなく、悲しくもない)こそが、自分の軸のあるところだと思えれば、こわいものはかなり少なくなるはずです。そして感謝が静かにわいてくるはず。今日も生きていたという奇跡に感謝する気持ち、それからは自分はひとりではなく愛する人がいるという気持ち。
それに乗って突っ走ったり、浮き上がったりするのではなく、そこを基点に明日も生きるのです。
どこまでも優しく観音さまのように人をあたたかく包み込むばななさんを肌で感じ、なんだかただ生きているだけで素晴らしことだ、と思える1冊でした。ばななさんは、立派な哲学者ですね。
みんなが幸せになればいい、なるべきだ、と社会主義的思想にしばらくとりつかれました。自分をかわいそうな人にしないで、という言葉が心に強く残っています