露木(ろき)ブログ

露木(ろき)ブログ

キャリア迷子やHSP気質、アトピー性皮膚炎、腸トラブルなどで悩んでいた経験を持つ、男性セラピスト(整体師)。
20代後半から施術者に転身しました。
今ある暗闇から抜け出す途中、抜け出す糸口が見えない方に届いて欲しい言葉を綴っていきます。

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こんにちは、露木です。


神奈川は多摩区の自宅サロンで整体とアロマトリートメントの施術をしています。


今回の投稿、めちゃくちゃ長いのですが女性の方みんなに読んでほしいです!


サラッと読んでみてください◎


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事業計画書を作っていた時期に、市場調査として同業他社(男性セラピストという属性で営業している店舗)を調べてみたことがあります。


その際に、男性セラピストから施術を受けるメリットとして「女性ホルモンが活性化されて綺麗になる・痩せる・健康になる」といった記載をしている店舗をよく見かけました。


私の友人にへバーデン結節(手指が曲がってしまう病気)を患った女性がいます。

また、更年期前後の女性セラピストでバネ指などの不調が原因で引退を余儀なくされる方も見かけます。


最近の研究でエストロゲン(女性ホルモン)の分泌が減少すると骨や脳、肝臓、甲状腺などに不調をきたすことがわかってきました。


へバーデン結節やバネ指に関しても、エストロゲンの分泌不足が大きく関係しています。


28歳をピークに分泌が減少していく女性ホルモンと、それによる不調。

更年期前後の女性にとってはリアルに感じる不安だと思います。


そういった不安を持つ女性を「男性セラピストの施術で女性ホルモンが活性化」という宣伝でふわっと集客するのが、自分はどうも責任感がないなと感じてしまいました。ただ、これだけ多くの人がこの記載をする背景にはエビデンスがあるのだと思い、医学的根拠があるか調べてみました。


まず、女性ホルモン分泌の詳しい流れですが、①視床下部からホルモン(Gn-RH)が放出され、脳下垂体にて分泌されたホルモン(②FSHと③LH)が女性ホルモン(④エストロゲン⑤プロゲステロン)の分泌を促します。卵巣では④エストロゲンと⑤プロゲステロンの分泌度合いに応じて視床下部にフィードバックがなされ、そこで分泌量が足りないと再び②FSHと③LHが分泌されることになります。


35歳前後から早いペースで女性ホルモンの分泌が減少すると、ホルモンバランスを整えようと視床下部から以前よりもたくさん②FSHと③LHのホルモンが分泌され、それらの過剰分泌がからだの揺らぎに影響してきます。


(ちなみに女性ホルモンはコレステロールから生成されるため、女性ホルモンが減少していく28歳以降は徐々に脂肪がつきやすい体質になります。年々痩せづらくなりますが、あなたを守るために変わっていく身体のことも愛してあげてくださいね。)


今回調べた結果、恋愛状態にあるとドーパミンの分泌が促されるという現象については医学的根拠が見つかりましたが、女性ホルモンの分泌が促されるという研究などは見つけることができませんでした。


どうやら恋愛初期ではPEA(フェニルエチルアミン)という物質が分泌され、それが食欲を抑えたり肌を綺麗にすること、そしてドーパミンにより意欲的になることや快感、多幸感を得られるということが「男性セラピストの施術で女性ホルモンが活性化」という謳い文句に繋がっているのかなと思いました。


女性ホルモンはエストロゲンとプロゲステロンの2種類で、施術によりそれらの分泌が促されるという医学的根拠はなく、少なくとも私は自分が理解できていない状態では安易に「女性ホルモンの活性化」で宣伝しないようにしようと心に決めました。


また、恋愛状態で分泌されるドーパミンやPEAの分泌が促されるという論理で「男性セラピストの施術で痩せる・綺麗になる」と宣伝している方は、お客様がご自身に恋をするという前提で論理を展開していると思いますが、すごい自信だなと思いました。男性に触れられるだけで女性は恋したりしませんよね。


女性ホルモンの減少で悩んでいる方には、医学的根拠がない何かよりも大塚製薬が開発したサプリメントをオススメしたいです。大豆イソフラボンが女性ホルモンと似た働きをすることは知られていますが、実は腸内細菌が大豆イソフラボンをエクオールという物質に変換して初めて効果を発揮します。この腸内細菌は女性全員が持っているわけではないため、大豆製品を直接摂取しても効果が出ない方が一定数いるようです。エクオールのサプリメントは既に変換された形になっているため、女性ホルモンと似た働きが期待できます。


長くなりましたが、少しでも不安を感じる方が正しく対処できますように。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

もし読み切って感想などあれば各種SNSなどでコメントお待ちしてます♪


ではまた次回の投稿で!

 

 

概要



アドラー心理学や脳科学を用いてコーチングをしてきた著者が、目標設定やすぐ行動するためのコツなどをまとめた書籍。



感想


同じ人間でも、成果をあげている人とそうでない人では何が違うのか。そのひとつに行動量の違いがある。

自分のことをやればできる人間だと思っていても、結局やれなかったら意味がない。

この本を手に取った理由は、そんなやれない自分を変えたかったから。




本書はテクニックが37分割されているため、どこから読んでも構いません。重要度の高い印象を受けた内容が後半に固まっていたため、私は後ろから読みました。




現在整体の仕事をしていますが、その仕事中はもちろん、昔から悩み相談を受けることが多かったように記憶しています。

中学では主に恋愛相談、大学ではアルバイト先での宣伝に関して店長から悩み相談をされたり、社会人になってからはモラハラ被害などの相談を受けたりしました。

それぞれの話を聞いた後に自分ではどうしたいのかなどを聞いたりしますが、もっと解像度を上げるためにはどうしたらいいのか、どうやったら本音が聞けるのか、ずっと曖昧なままでした。

本書はもちろん、やる気に頼らずすぐやる人になるコツが書いてありますが、やはり著者がコーチであることから各セクションにコーチングに関係する内容が散りばめられています。

当時悩み相談を受けていた自分が、この本を読んでいたらどんな声がけができただろう、もっと彼らの力になれていたかもしれない、そんな感想が出てきました。

また、やれていない自分をコーチングをするための本、という印象も受けました。

メタ視点から自分の現状を把握する方法、目標設定の際に陥りがちなミスや大事にすべき価値観、定期的な振り返りとその際に気をつけるべきポイントなど、実践的な内容が学べる一冊です。

最近自分を知ることがどんどん楽しくなってきました。
しっくりきたワークを他人でもできる形にまとめて、自分と関わってくれた人が必要な時に提案できるようにしておきたいと思います。
 

 

今回もブログを読んでくれてありがとうございました。

投稿はフォローしておくと見返せます。

ではまた次回の投稿で。

 

 

露木

 

日本におけるコーチングの第一人者のような人物が著したコーチングの解説書。



2年前、所属していたコミュニティで月に10名程度コーチングをしていた時期がある。

昔から「どのようにしたらその人自身が持つポテンシャルを十分に納得できる形で発揮できるか」ということに興味があった。


日本という国の教育はトップダウン式で、思考力よりも暗記力や集中力が評価される。自分で考えたり、失敗を恐れず意見を発表できる機会がとても少ない。大人になっても自分のやり方を模索したり試行錯誤するのが苦手な人が多い印象がある。


当時コーチングしていた時期は、クライアントに自分の特性や価値観を理解せず、周りのやり方を真似をしてしてしんどくなる人、明確なゴールが描けずに曖昧なビジョンで仕事に取り組んでいる人たちも少なくなかった。


この本は、当時の自分に送りたい本で、その時期に取り組んでいたコーチングでの悩みピンポイントで答えがもらえるような書籍となっている。どちらかというと既にコーチ経験がある人向けの内容かなと思う。


例えば、自分で選択ができないクライアント。やりたいことがぼやけていて、今まで社会でどう評価されるかを気にして選択をしてきた。自分がどんな価値観を大切にしているか、どういうものに魅力を感じるのか、今までの成功体験、自分の記憶にある宝物の体験を共有してもらうことで、思わぬ形で自分の軸が見えてくる。すると他者軸から自分軸で選択ができるようになっていくという。これ以外にも、チャンクアップ・ダウンから始まり、セッションが行き詰まった時に効果的な質問や視点をずらすテクニックなど、実践に使えそうな内容が豊富で、こういった質問力を身につけることで、よりクライアントが描く絵の解像度をあげることができるのだと感じた。


自分の夢を語る時のクライアントの活き活きとした声を聞いたり、暗闇がパッと明るくなるように表情が変わる瞬間。話を聞くだけでも、誰かの背中を押すことができる。


コーチングという圧迫感のあるネーミングではなくても、同じように誰かの人生を伴走できるような取り組みも続けていきたい。
 

 

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お読みいただきありがとうございます。

フォローで他の記事も読んでみてくださいね。いいねでお迎えします。

 

 

露木

 

 

 

 

こんにちは、露木です。

先日あまりメジャーな映画館では上映していない映画「茶飲友達」という作品を観てきました。一言で表すならば日本が抱える問題をリアルに描いた群像劇。さっそく考察していきます。ネタバレがあるのでご注意ください。

【あらすじ】

風俗嬢の過去を持つ佐々木まなは新聞の三行広告に「茶飲友達募集」という広告を出し、問い合わせてきた老人男性に「ティーガール」と呼ばれる高齢者コールガールを派遣するビジネスを始める。

サービスを利用する老人男性は、妻に先立たれたことやEDであること、老人ホームに預けられて家族とのコミュニケーションに不足を感じていることなど悩みを抱えており、心のどこかに孤独を抱えていた。

社会的に見れば正しくない「茶飲友達」のビジネスも、孤独を紛らわせたい高齢男性のニーズにマッチして拡大していき、やがて会員数は1000人を突破することとなる。

一方で、ティーガールや運営に関わるスタッフもまた孤独を抱えていた。

【群像劇】

①半額のおにぎりと生きる希望

お金があるにも関わらずスーパーで半額おにぎりの万引きを繰り返してしまう女性は、親の介護に疲れて人生に希望を失っていた。自殺を図るものの死に切れず、まなに救いを求めティーガールとしての活動を始める。

「こんなおばあちゃんでいいのかしら」

誰かのために尽くしてボロボロになってしまった自分自身でも、求める男性がいることや、まな達の優しさが伝播し徐々に自分の価値を信じることができるようになっていく。

一方で、彼女が抱える闇はそう簡単には姿を消すことがなかった。

◯所感

介護の問題はこれからの日本を代表する問題のひとつ。高齢化社会が進み、また核家族化が進んだ現在、昔に比べて子育ても介護もひとりひとりの負担が大きい。

今までは複数人で協力してやってきてなんとかなってきたものが、今の時代は個人でどうにかしないといけない。

子どもひとりで親二人の介護をするとなると、その子どもは自分の生活のほとんどを犠牲にしなければならない。もちろん情熱を注ぐ何かに集中することも、それを夢見ることもできず、自分がなんのために生きているのかわからなくなる。

登場した高齢女性は、ひとりで両親の面倒を見続けてきた。

まなやティーガールという職業に出会う直前までは自分というものを犠牲にし続けて来たせいで燃え尽きてしまい、希望がなかった。

誰しも”誰かの子ども”であるものの、役割はそれだけではない。

子育てや介護を外注したり周りに頼ったりできず個人で抱えてしまうことは、個を殺す。

”誰かの子ども”であることに加えて、”わたし自身”であることを尊重できる社会を実現しないと、これからの日本では個はどんどん死んでいく。


②シングルマザーが抱える孤独

スタッフのうちのひとりの女性は妊娠していた。相手に妻子がいることが判明し、責任は取れないと告げられて連絡が途絶えてしまう。

産婦人科では産まないことを前提に話が勧められ、国から受け取ることのできる補助金の少なさや生活保護申請の難しさに不安を募らせていく。

親のいない家庭で育った女性は、寂しさを埋めたくて絶対に子どもが欲しいと願っていた。強い意志を持ってまなに相談し、スタッフたち総出で相手男性に子どもを認知するように働きかける。


◯所感

現代日本は母親が抱える責任が重い。

男性側が身勝手な性行為をして妊娠、出産することになっても、男性側に責任が問われることが少ない。お金がなかったり、不安に押しつぶされて自分の子どもを手にかけてしまうシングルマザーのニュースでは、母親は逮捕されるのにその子どもの父親には一切責任が及ばない。

一瞬目を離すと死んでしまう儚い生き物を育てていく不安に加えて、お金の心配までしないといけない。

最近身近なところで離婚や養育費の相談を受けるようになりました。

女性がどんな状況にあっても”個”を殺さずに、”わたし自身”である状態でいられるか。
お金がなくてもなんとかなる社会には程遠いと感じます。


③何もしないで少しずつ傷つく若者

茶飲友達でドライバーを務める男性スタッフは、父親が脱サラしてパン屋を営んでいた。

結局うまく経営が立ち行かなくなってしまってパン屋を閉め、文無しになってしまい車で生活する父親の姿を見て人生に夢を見ることをやめる。

「どうせ失敗して傷つくなら、何もしない方がマシ」

そう告げる男性に、パチンコ中毒のティーガールは言う。

「あんたみたいに傷つきたくなくて何もしない奴は、実は少しずつ傷ついていくのよ」

◯所感

日本社会で挑戦することのリスクの高さ。
一度レールから外れてしまったら元の”普通の生活”に戻ることができないかもしれないという大きな不安。
とはいえ自分の心が踊るような挑戦がなければ少しずつ傷ついていく。

なんでこんなに失敗することが怖いんだろう。
それは、ひとつの理由として今まで失敗する経験がなかったからということがあげられる。

学校教育では、いい大学に入って、いい就職先について、結婚すれば幸せ。という社会が是とする価値観を気持ち悪いほどに浴びせ続けられてきた。

一問一答式のクイズばかりで、正しい答えが定められ、ゼロかイチかを決められてきた。

本当は世の中はもっとカラフルで、ゼロとイチの間にもずっとたくさんあるのに、多様性を認めず、社会が定めた幸せの形に合うことが幸せだと教え続けられて、それに従うように教育された私たちは、いつからか失敗がわからなくなった。

得体の知れないものが一番不安だ。

失敗を恐れる気持ちは、失敗を知らないから。
挑戦する気持ちは、失敗することで気づく”失敗してもこんなもん”という失敗の認知から始まる。


④自分の寂しさを他人の孤独で埋める

茶飲友達の経営者まなは、母親から”正しいこと”をしなさいと教育されてきた。

女性であるならば〇〇、母親であるならば〇〇、大学に入ったら将来は〇〇。

世間が求める正しいあり方というものに執着する母親は、まなや弟にもそれを求める。

窮屈な生活の中で、まなは風俗産業に従事することになり、それが母親にバレたことにより決別。病床の淵にある母親の面会にも行くことを拒んでいた。

「茶飲友達のスタッフやティーガールを大切にして、居場所を提供してあげることで、わたしははじめて人間であることが自覚できる」

確かにその時は茶飲友達に関わる人々、まなの周りにいる人々は救われていて、ひとときの安心感を抱いていた。

物語の最終局面、取り調べを受けるまなに警察官は告げる。

「自分の寂しさを埋めるために他人の孤独を利用するんじゃないよ」

◯所感

日本って寂しさを抱えた人が多い気がします。自分も含めて。

でも、その寂しさを表現すると、メンヘラって言われたり、情緒不安定なやばい奴っていうレッテルが貼られたりする。

なんでこんなに寂しいのかと言うと、ひとつには他人に優しくする余裕が生まれにくい社会構造があるのかなと思います。

自己責任論がまかり通る社会で、みんなが自分自身を守るのに必死になっている世の中で、自分ではなく他人に与えることができる人って、身近にどれくらいいますか。

それと、スキンシップの少ない文化圏なので、ふれあいが極端に少ないのも寂しさの一因になっている気がしています。

諸外国から見て異様なのが、アイドルの握手会。

触れるという行為が特別なものという認識。ほんとはみんな触れたいし触れられたい。

もっと安心できる世の中であって欲しい。

自分ができるのは、寂しさを抱える人たちに応急処置のように施術をすることだけ。結局自分がやっていることもまなと同じように自分の寂しさを埋めるために他人の孤独を利用しているのかも知れないけれど、その刹那的な安心感で救われる人がいるなら、社会的に正しくなかったり形はいびつかもしれないけれど意義のあることなのかなと思う。
 

こんにちは、露木です。

皆さんには挫折の経験がありますか。

今回の投稿では、誰もが経験する社会での挫折について話していきます。

●本来の自分と期待されている自分

皆さんは小学生の頃、どんな子どもでしたか。

私は子どもの頃、目立ちたがり屋で学校でもよく発言をする子どもでした。

女の子を笑わせるのが好きで、小学校低学年くらいまでは自分らしくイキイキとした人生を送っていたように思います。

しかし、年齢を重ねるにつれ周りと比較するようになり自己肯定感も下がっていきました。

理想の自分と現実の自分のギャップに悩み、いつしか小柄でおとなしい少年という人物像ができあがりました。

小柄でおとなしい少年は、女性の先輩や教員から面倒をよく見てもらえますが、逆に男子生徒や男性職員からは妬みの対象となります。自分の好きな女子生徒が後輩の男子生徒を可愛がっていたら気にくわないし、お気に入りの女子生徒が弱そうな男子の面倒をよくみていたら、男性職員はその男子をいじめたくもなるものです。

反りが合わない人とは距離をとればいいし、無理に合わせる必要はないと思いますが、当時は攻撃してくる人たちにいかに適応するか必死になっていました。

そうして男性だけのコミュニティでも大人しく、女性に対しては壁を作った状態で接するというような生き方になっていきました。

●ネガティブな妥協

皆さんにもこういった挫折はありますか。

学校生活は社会の縮図のようなもので、自分とは異なる考え方を持つ人たちとの共同生活を送ることとなります。

「ネガティブな妥協」を選択すれば、傷つくことなく平和にその場をしのぐことができます。ネガティブな妥協とは、すなわち自分本来の在り方を曲げて社会の形にフィットさせて生活を送ることです。

変に器用なところがある私たちは、往々にしてこの選択をしがちです。

しかし、「ネガティブな妥協」のデメリットは、自分本来の在り方を曲げることに慣れすぎてしまい、「本当に自分がやりたいこと」や「自分の感情」に向き合えなくなることです。

私自身もこの「ネガティブな妥協」を繰り返してきました。

「ネガティブな妥協」を選択する人たちは、

・自分の価値観がブレている
・自分の感情に向き合うのが苦手
・どうやって人から好かれるかを考える
・目先の安心感を優先してしまう

といったような状態にある人が多くなります。
心当たりはありますか。

●ポジティブな諦め

一方で、「ポジティブな諦め」では、自分本来の在り方を曲げずに生活をするため、社会の形になじめず、たくさん傷つくことになります。

「社会というものは自分とはそもそも合わない。でも自分は自分だし、傷ついてもいいから自分らしく生きることにしよう」

このスタンスを持つ人が「ポジティブな諦め」です。

社会にフィットさせに行かない分だけ、自分自身の価値観がハッキリしていて、自分の感情と向き合うのが得意です。

忖度せずに、自分がやりたいことは曲げない。

このタイプの人ってなんだか辛くても幸せに見える人が多い気がするんですよね。

女友達のひとりに、無遠慮な言動で同性からやたら嫌われてしまう人がいます。

彼女自身は

「私はなぜだか敵が多い人生」

と発言したのですが、自分自身の在り方を曲げることはせず、一周回って諦めて、それでも付き合いがある数少ない友人たちを大切にしていました。

社会の形にフィットするように自分の在り方を曲げなければ、当然ながら社会の中で浮くことになります。出る杭は打たれるこの国では、そういった人たちが攻撃のターゲットになりやすいのも事実です。

ただ、自分の在り方がしっかりしているため、他人からは攻撃されますが、自分で自分自身を攻撃するということがあまりありません。

私のように「ネガティブな妥協」に慣れてしまった人間からすると、羨ましささえあります。それは、私自身が価値観がブレていることや整合性のなさなどを気にして自分自身を攻撃してしまうというメンタルの自傷行為に苦しんでいるからです。

●「私って変な人なの」

多様性を認めようとする動きが活発になってきたとはいえ、やっぱり足並みをそろえたくなるもの。

しかし、学生時代と違って私たちがいま生きている世界では答えは一つじゃないし、ひとりひとりが選びたいものを選んでいい。足並みをそろえなくていい。

周りのことばかりを気にして「ネガティブな妥協」を繰り返していたら、あなたの人生はあなたのものでなくなる。

「私って変な人なの」でいい。

自分がやりたいこと、自分が思うこと、自分で選んでいい。

「ネガティブな妥協」がしみついてあなたがあなたでなくなる前に。