最近、忙しくて、なかなかこのブログを更新できないままです。
この調子だと、どんどん忙しくなりますので
今のうちに、書きたいことを書いておこうと思いました。
このブログは匿名で、2006年からずっと描き続けているのですが。
最近、近しい人から
なぜ、何でも匿名やペンネームで書いているのですか
という質問を受けました。
筆者自身、最初書き始めたときは
自分のような新参者で、洟垂れ小僧のようなものが
えらそうに、拡販戦略や営業戦略について
ブログに書くのは、僭越すぎるだろうという
ある意味、謙遜の意味合いが強いと、ずっと思っていました。
しかし、ネット内で調べてみると
匿名ブログほど、悪質なものはない、
なんていう発言が結構、散見されました。
確かに、匿名ゆえに、なんの責任もなく
発言できて、気軽に自分の意見が書けるというのが
匿名の一番のメリットかもしれません。
筆者自身も、どうも責任逃れてきなものが
ないとは、言い切れないと思いました。
しかし、なにかすっきりしない、自分の本意ではない
匿名の理由ではないか、とも思いました。
それで、もう少し調べてみると
どうやら、匿名投稿というのは、おおきく2つの理由があることが
わかりました。
1つ目は責任のがれ、で自由に発言を楽しみたいというもの
もう一つは、匿名ゆえに、縛られない発言ができるというものでした。
筆者は、考えてみて
この縛られない発言とは何かと、熟考しました。
そして、ある結論に至りました。
これは日本だけの現象ではないと思うのですが
発言内容、提言内容というものは
たとえ、同じ内容であっても
発言者によって重みが変わってしまうものなのです。
ある意味、ふけば飛ぶような筆者が、いくら今の経済政策は
誤りであると言っても、経済の専門家でもない
筆者が、いくら強く発言しても、だれも聞きいれてくれません。
これが日銀総裁や、総理大臣、金融相の発言だと
並み居る専門家や、IMFの代表も、確かに一理ありますね
なんていうわけです。
そんなの当たり前ではないかと、
おっしゃる方もいらっしゃるかと思います。
しかし、提言内容が同じなのに、差別されるのは、腹ただしいわけです。
筆者は更にふみこんで考えてみると
日本的の現象で
やはり、歴史的に日本は村社会であったわけで
唐突な発言やとっぴな行動、
そのような者は、ある意味、出る杭として
とにかく叩く傾向があるわけです。
これは歴然としてあるわけです。
それで筆者は、強く思ったのです。
自分が成功して多数派となるまでは匿名でいこうと。
水面下に潜行して、出る杭であっても、
表に飛び出さず、このブログで、とんがった発言をしても
あくまで、匿名の人間の発言であり続けようと。
目立たず、自己研鑽を続けようと。
決して責任のがれでなく、いつでも、責任は取るつもりですが
成功を勝ち取るまで、
成功体験のない、社会の底辺にいようとも
いつの日か勝利をつかむまで、匿名でい続けようと
決心を新たにしたのでした。
今回はここまです。