「我思うゆえに我あり」は、
デカルトの「方法序説」の方に出てきます。
自分は本当に存在しているのだろうか
本当に自分はこの世に存在しているのだろうか?
自分という存在は、
実は誰か他の人がみている夢の世界で
生を演じているだけで
夢を見ている誰かが目を覚ませば
消えてなくなる存在ではあるまいか?
そんな命題を真剣に考えた結果の結論です。
まったく、『夢のまた夢』
みたいな命題ですが。
デカルトは本当に真剣に悩みに悩んで達した結論は、
自分は誰かの夢の住人なんかではなく、
確かに地に足をつけて生きている
確かに
自分はこの世に存在しているという
結論に辿り着いたのです。
その理由は、
こうして自分の存在を疑っている自分が
懸命に、自分が存在しているかどうか疑い、
その命題について思考している。
一体、その思考を継続している者は何者なのだろうか?
もし、自分という存在が何者かの夢の中にあるならば、
こうして考えている自分、
この
「意識」
は何だろうか?
そのような思考の経緯を辿りながら、
自分の存在を疑う思う自分がいる。
これは
自分が存在している唯一の解ではないか。
我思うゆえに我ありは
このような道筋から生まれた言葉だと思います。(注)
さて、
デカルトの思考について、
3回に渡って書いてきましたが、
筆者が、このような思考法に固執する理由は
この思考を推し進めていくと、
あらゆる人間の思考が現実化していくことに
気づかされるからです。
まさに
思考は現実化する
by ナポレオン・ヒル
です。
デカルトの思想を進めて行くと
人間の考えが及ぶことは、
物理の法則に反しないかぎり
全て可能になるということが示されます。
まさに不可能なことはない。
という、人によっては不遜に聞こえる
本稿冒頭の言葉になるわけです。
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(注:上記内容は、あくまで簡単に端おって略して書いています。
世界遺産級の方法序説の説明に、私のような門外漢の解説で
事足りることはあり得ません。
正しい思考の経緯は、やはりデカルトの研究者の書いた本を
ご参考にされることをぜひともお願い致します。)
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